忘憂之物

エイジ議員、覆面脱ぐ…「断腸の思い」で議場へ



エイジ議員、覆面脱ぐ…「断腸の思い」で議場へ

<大分市議選で初当選したが、覆面での議場入りを拒否された覆面レスラー、スカルリーパー・エイジ議員(44)(無所属)は19日午前、覆面を脱いで市議会本会議に出席した。

 「このままでは議員活動ができない。断腸の思いで決断した」と話している。

 午前10時に始まった代表質問に出席するため、本会議場の出入り口で覆面を脱ぎ、金髪とめがね姿で議論を聞いた。市議会(定数44)は18日、エイジ議員が求めていた覆面での議場入りについて採決し、議長と本人を除く42人のうち、41人が反対した。市議会の会議規則に明記されていないものの、覆面が本会議場や委員会での着用を禁じる「帽子の類」に該当することも採決で確認された。

 ただ、議会側は行政視察といった議場外の公務での覆面着用も問題視している。議会運営委員会が26日にも結論を出す見通しで、エイジ議員は「議場の外まで規制するなら法的措置を取り、徹底抗戦する」としている。

 板倉永紀議長は「議会の決定を受け入れてもらえたと思っている。議場以外の扱いは会派で意見を集約して決める」とした>





襟のついていないシャツのことを「Tシャツ」。ちょっと厚手の素材で作られた長そでシャツは「トレーナー」という。これらの名付け親は石津謙介。岡山市出身のファッションデザイナーだ。「VAN」ブランドの創始者である。

「カジュアル」とか「キャンペーン」もそうらしい。「プレミアム商品」もそう。1911年生まれの石津がどれほど時代を先取りしていたか、よくわかる。ファッションにこだわりがあり、肺炎を患った入院先で死ぬ際もパジャマを拒絶、三宅一生デザインのシャツを着たまま、93歳で息を引き取った。お洒落な爺ちゃんだ。

ちなみに「TPO」もそうだった。Time(時間)、Place(場所)、Occasion(場合)の頭文字だが、要するに時と場所、場合に応じた方法・態度・服装等の使い分けのことを言った和製英語だ。「TPOがなっていない」とは、例えばプロレスラー議員が覆面のまま議場に入るとか、現役の国務大臣が国会内でファッション誌の撮影をしたり、競馬情報を携帯で見たり、原発事故で忙しいのに現場を邪魔する元総理のことを言う。簡単に言えば常識の無い阿呆のことだ。あと鳩山由紀夫の普段着全般とか。アレに応じたTPOは地球に存在しない。

また、石津も死ぬときはパジャマを着なかったが、仕事のときは数十万円のスーツを着込んでいた。「カジュアル」の語源となる人物は、ちゃんと公式の場では「カジュアル」ではなかった。つまり「TPO」ができていた。一廉の人物とはこういうことだが、思い出すのは懐かしいホリエモンだ。

ホリエモンはニッポン放送の社長やフジテレビの社長と会う際、Tシャツだった。それで「日本は形式にこだわる。古臭くて馬鹿みたい」とテレビで威張っていた。しかし、ホリエモンは破綻したリーマンブラザーズとの交渉の際はスーツにネクタイで行った。つまり、相手によって「形式」を使い分けていた。

中途半端な阿呆餓鬼は高校の卒業式やら成人式やら、いちびった格好でふざけても、就職の面接ではスーツで行く。ホリエモンと同じく、ちゃんと通じない相手を知っている。困った顔して許してもらえるところでだけやる。元々からして大した拘りでもない。

「TPO」にはpartnerもmateも含まれない。誰と会うとか、誰が来るとか関係ない。「相手」ではなく、あくまでも時間と場所、それから場合を勘案して相応しいとされる服装や言動を心掛けるのが常識人だ。

とはいえ、私も個人的にネクタイは嫌い。いまの仕事ではつけないから嬉しい。そもそも英国は樺太北部と同じ緯度だ。彼らは紳士だからではなく、寒いから襟元を締めた。つまり、温暖湿潤な日本の季節風土には無用。アレは本来「洋服」として区別されるべきモノであり、日本における公式の場では「和服」を着ればいいだけだ。しかし、今現在の日本の社会常識の中「ネクタイをつけるべき」時間、場所、場合においては私もつけた。そこで「イランではネクタイを禁止しています。ブータン王国も民族衣装の着用を義務付けています」とか理屈はやらない。そんなの「ちょっと変わったアレ」だと看做される。だから未だ、少なくない金も使ってたくさん持っている。いまはタンスの中で眠っている。

ある程度の定着をみたと思しき社会的な慣習とか、今現在において社会的常識とされる立ち振舞いにおいて、例えばネクタイのように「問題がない」とは思わない。しかしながら、今現在の社会生活を営む上で、多くの人々が納得しているかどうかを問わず、一応、議論の余地なしと判断されているモノを引っ繰り返すには、多くの人が得心する「それなりの理由」も必要だし、然るべき順序というモノが厳然として存在することも「常識の範疇」である。つまり、例えば「社の制服」に違和感があり、それが問題だと認識した上、さらに理路整然とした説明に基づく「根拠」を述べることもでき、且つ、その変更を訴える、あるいは「特例を認める」ように提案する場合、先ずは、大前提として「社の制服を着用する」ことである。「社の制服を変更せよ」は「社の制服を着用してない人間」に発する資格はないからだ。

「ネクタイはいらないと思います」はネクタイ着用の上で申すから「その場」が与えられる。「いらないと思うからしません」では順序が逆なのである。「いるか・いらないか」の前には絶対的に常識が問われる。無論、その「常識」とは変更可能なことではあるも、現時点で認知されている「常識」を守らない人間に常識を語る資格はないと看做されるからだ。

更に例えると、最近、ようやく問題化されている「反韓・反中デモ」。これも以前から「差別的な表現はどうか」「暴力的な言動は慎むべき」という意見があった。その理由は「目的の正当性を問われる」からだった。案の定、民潭やらは「ヘイトスピーチ」として問題化させた。朝鮮半島がゴミ箱かどうかはともかく、在日がゴキブリかどうかはともかく、いわゆる「従軍慰安婦」やら「強制連行」は嘘っぱちだ。だから絶対的に言っていることは正しい。しかし、それには「やり方」というものがあった。やはり、言葉は選ぶべきことだった。その目的が「多くの賛同者を得る」とか「正しい歴史認識を持ってもらう」ならば、それは誠意を尽くし、時間もかけて、効果的に訴える必要があった。

彼らがそれを無視した結果、その目的すら「間違っている」と周知されてしまう懸念があった。それから「逆に利用される」ことも、過去の事例を見るまでもなく、容易に想像できた。民潭も総連も、反日メディアも捏造すらしなくていい。チマチョゴリを切り裂いたり、ありもしない差別を用意しなくてもいい。「証拠」は叫びながら歩いている。「どこのだれが差別なんかするんだ、日本人は差別が嫌いな稀有な民族だ」という横から、日の丸を揚げた「朝鮮人を叩き出せ~」が歩いてくる。「ゴキブリ朝鮮人を殺せ」と叫んでいる。

「死刑制度反対」もそう。理屈はともかく、今現在は刑法として機能している制度である。これに当たり前ながら法務大臣が執行命令を出す。これを批判するのはおかしいわけだ。もっとおかしいのは、死刑制度反対論者が法務大臣に就任、執行命令を出さないことだ。この場合忘れてました、ではなく、自身の主義信条に反する、とか無茶苦茶な理屈をやる。

反対するのは勝手にすればいい。そのために立法府に来たのだ、でも構わない。しかしながら、それを理由に行政に支障をきたしてよいわけない。司法に口を出したり、圧力をかけたりも許されない。どこかの日弁連やNGOが文句言うのは仕方がないが、それを国内の政治家が公然と批判するから「常識がない」と馬鹿にされる。福島瑞穂は度々「死刑執行に強く抗議する」とか声明を出すが、それが現職の参院議員、弱小政党とはいえ「党首」だというからシャルル=ルイ・ド・モンテスキューもボルドーワインを噴き出す他ない。物事の道理もなにもあったもんじゃない。



大分県の市議会本会議でスカルリーパー・エイジ議員が覆面を脱いだとか。正体は金髪のおっちゃんだったわけだが、問題は議場だけではなく<議会側は行政視察といった議場外の公務での覆面着用も問題視している>ということだ。これが「常識」ではある。金髪オヤジはそれに対し<議場の外まで規制するなら法的措置を取り、徹底抗戦する>とか。いったい、なんのための2828票だったのか。定数44の「40番目」で当選ということだが、この金髪オヤジの公約とは「覆面で議場に入る」だったのか。

そういえば「ザ・グレート・サスケ」もそうだった。プロレスラーとしてのサスケに文句はないが、岩手県議会議員としてやったことは「覆面問題」で話題になったこと、それから興業先への交通費に政務調査費を流用したことくらいか。あと県議会で「(UFOの」県内で目撃情報が相次いでいるが、県はどう認識しているのか)と質問して面白がられたり。すなわち、別に議員にならなくてもよかった。

もちろん、職業に貴賎はない。プロレスラーでも政治家はすればいい。馳浩代議士みたいな例もある。ただ、国会で「コレがオレの原点だ」とか言って「ベトコン・エキスプレス2号」の格好をしない。ジャイアントスイングもしない。ちゃんと児童虐待防止法に取り組んだり、拉致問題対策特別委員会の幹事を務めたり、近隣諸国条項やら河野談話の見直しを訴えたり、国会議員としての仕事をしている。だから公式ページの経歴にも「1985年9月~2006年8月 プロレスラー」としか書いていない。「はせ通信」などのプロフィール映像にもプロレスの試合は出て来ない。言うまでもないが、現役時代の「馳浩選手」は長年、日本最大のプロレス団体のメインを務めていた。日本に帰国してのデビュー戦では当時のIWGPジュニア王者、小林邦彦を破った。圧倒的、且つ、衝撃的だった。

いわゆる「第三世代」と呼ばれた永田裕志、中西学、天山広吉、小島聡、大谷晋二郎、金本浩二ら、現在も「超」が付く一流のトップレスラーも育てている。申し訳ないが、スカルリーパー・エイジ氏と比して、あまりにも大きな差だ。そんな馳代議士ですら、プロレスラーを前面に出さない。たぶん、支持者で知らない人もいるだろう。もし、仮に覆面レスラーだったら、誰から何も言われずとも脱いだはずだ。それが「TPO」ではないか。

馳代議士はノーザンライトスープレックスも使わず、衆議院議員5期、参議院議員1期を務めた。現在は自民党の選挙対策副委員長だ。ちゃんと「政治家」として成果を上げて「政治家」として支持されている。認められている。見習って欲しいモノだ。


大阪にもスペル・デルフィン氏がいる。和泉市の市議会ホームページに覆面姿、名前も「すぺる・でるふぃん」とされているが、パスポートや運転免許証には素顔、それから本名の脇田洋人と記載されているのだろう。それに市の職員や他の議員と接する際は「礼儀として」覆面を取っている、と産経新聞にもあった。この「公私の区別」がわからない。

ま、いずれにしても「議会がダメ」ならダメだ。岩手県や和泉市はそれでいいんだろう。それに「覆面でも結果として当選した」と言われたら、そうですか、という他ない。有権者が「覆面でもいい」と投票したわけだ。中には「面白いから」もいただろうが、それは各政党もやる「タレント候補」も同じことだ。それに覆面で素性を隠す政治家は、もっと悪辣なのもいる。日本の有権者を騙して特亜のために活動するとか、中身は悪役レスラー顔負けのルール無用の残虐ファイトもいる。

「愛国マスク」が「売国マスク」だったとか、枚挙に遑もない。それによく探せば「キムチマン」とか「ギョウザ2号」もいる。仲間同士でくっついたり喧嘩したり、のアングル(仕掛け)もプロレスっぽい。最近、インディーズ団体みたいな政党も解党したとか。その前もローカルの大物を担いで看板あげたり、もあった。実にプロレスっぽい。国会質問で「ブック(台本通り)」をやるのもいるが、深刻な問題は外国との「ブック」か。

ま、私はプロレス観戦における「スマート(台本・ブックや仕掛け・アングルを知りつつ楽しむ)よりも「マーク(それらを知らないで楽しむ)」ほうが好きだが、国会中継やら新聞テレビを見る際は「スマート」でないと具合が悪い。騙されても笑えない。
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