忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

2011.1.27

2011年01月28日 | 過去記事
http://www.asahi.com/politics/update/0126/TKY201101260568.html
<親小沢派に勝手はさせぬ 民主・安住氏が党内引き締め策>

<民主党国会対策委員長に就いた安住淳氏がねじれ国会を乗り切るため、まず「身内」を引き締め始めた。党所属議員の質問に政権の方針と異なる内容がないか調べ、議員の「考課表」をつける徹底ぶり。小沢氏に近い議員からは「言論統制になりかねない」との反発も出ている。
 
「誰がさぼっているか、質問をちゃんとしているか、若手議員の考課表をつけてほしい」。安住氏は26日の拡大国対役員会議で、衆院の各委員会の筆頭理事に通常国会終了時に出席率などの考課表を報告するよう要請した。閣僚が答弁の準備に手間取るような質問をしないよう、若手を指導することも求めた。野党から追及されるすきをなくすのと同時に、党内の「親小沢」派による政権批判の質問を牽制(けんせい)する狙いもありそうだ。
 
官僚にも議員を「監視」させる考えだ。安住氏は19日に国会内に各府省の官房長を集め、「変な質問をする与党議員がいたら連絡して欲しい」と求めた。
 
安住氏の「指示」を直接聞いた議員の一人は「言論の府としての国会を否定する発言だ」と不満を漏らすが、安住氏は25日の記者会見で「与党として身の処し方とか、発言の仕方は当然ある」と語った。(野上祐)>



 いま、産経新聞が一所懸命に報道しているが、田母神氏などの講演会や保守的な集まりに「自衛隊情報保全隊」を使って、参加した自衛官などを監視しているとあった。これは薄ら左翼が「監視」することを趣味としているわけではなく、社会主義とは「どうしても監視せざるを得ない」というイデオロギーなのだとわかる。

社会主義とは密告社会であり、支那朝鮮では親兄弟すら信用できぬという暗黒社会が繰り返される。理由とすれば「放置しておくと打倒される」可能性が増すからだ。だから徹底的に「反動勢力の芽」は摘まねばならない。また、これを単純に「裏でやるか表でやるか」とすることはできない。その「差」は歴然だ。国家権力を振りかざして言論を統制する、あるいは何らかの圧力で潰してしまう、ということが堂々と行われるようになると、その国のモラル、民度は急速に低下する。これは中露や北朝鮮をみればよくわかる。だから民主党もモラルハザードが止まらないのであるが、人類の普遍的価値観と言われる「人権」という言葉はこういうときにこそ使われねばならない。

例えば、自分が会社に四六時中監視されているところを想像してみればいい。評価を得たいと思う人は、寝転んで漫画読んだりもできなくなる。夫婦喧嘩もできないし、パンツ一丁でくつろぐことすら躊躇われるはずだ。つまり、人間性が失われていく。会社ならば「組織人」という「いきもの」に成り下がり、自分の頭でものを考えることが無意味、且つ、酷く億劫になる。人間は自分の存在を「無意味」と思うことは苦痛だからだ。

見た目は整然と暮らしている。しかし、その実、それは人間の暮らしではない。民主党がこういう社会主義的なバカをするのは、自衛隊を私兵だと考えているからであり、国会議員とは「組織団体の一員に過ぎない」と思っているからだ。代議士とは選挙によって選ばれた代表だという観点がすっぽりと抜け落ちている。頭の中に民主主義などない。実に危険な集団である。








http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110126/stt11012618420050-n1.htm
<民主・安住氏「党首討論定例化を」>

<民主党の安住淳国対委員長は26日、国会の党首討論(国家基本政策委員会合同審査会)について「2週間に1回とかルール化を図る工夫は必要だと思う」と記者団に述べ、与野党の国会運営上の駆け引きで党首討論の開催が少ない現状を変え、定例化するよう野党に呼びかける考えを示した>


 これも支那や北朝鮮によく似ているとお気づきだろう。自分に原因があるのに、あたかも相手が悪いかの如く議論を進めようとする姿勢も、いわゆる「左翼イデオロギー」の典型である。この元NHKはこのあたりを良く知っているから、政権交代前からいろいろと知っている者からすれば「まさか?なんでこんなことを・・?」と悩む発言も堂々と出来る。要するにこの発言だけがメディアを走れば目的達成なわけだ。知らねば「自民が逃げている」と判断してくれる有権者はいるだろう。

しかし、まあ、古い話だが、安倍政権のときに合意した「定期的な党首討論」から逃げ続けたのは、当時、地方演説ばかりしていた小沢代表である。また、松岡元農林水産大臣が自殺した際、その告別式の日が党首討論だった。これに「合意したことを守らないのか」と詰め寄ったのは民主党だが、安倍元総理が党首討論に出れば、今度は「冷血漢」だの「部下の告別式にも出ない非道な総理」と叩いたのも民主党とマスコミだった。

こういう全体主義思想の中で生きていくならば、ポリシーやらプライドやらは邪魔なだけなんだろう。だから民主党の議員は恥を知らない奴が多い。











http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2011012600817
<自衛隊情報保全隊、問題ない=菅首相>

<菅直人首相は26日午後の衆院本会議の代表質問で、自衛隊内部の規律保全などのために情報収集に当たる情報保全隊の活動について「外部からの働き掛けなどに対して隊員を保全するため、関係法令に従い適切な方法で行われるものだ」と述べ、問題ないとの認識を示した。自民党の小池百合子総務会長への答弁。
 
小池氏は、情報保全隊が自民党議員の講演会に出席した自衛隊員を監視していたとの一部報道を取り上げ、「不当調査だ」と批判。これに対し、首相は事実関係の確認は避けながらも、「思想、信条の自由を侵すことはないと認識している」と述べた。
 
首相はまた、北朝鮮による日本人拉致の実行犯、辛光洙容疑者の釈放嘆願書にかつて署名したことについて、「辛光洙という名前があったことは、書類は渡されていなかったので、確かめることはできなかった。大変不用意で反省している」と重ねて謝罪した>



 本来、自衛隊情報保全隊が調査せねばならないのは、北朝鮮の工作員を釈放してくださいとサインする政治家などが対象だ。それに「菅の言葉」にはもう何の意味もない。あれは「原稿を読む音」だと判別するのがよろしい。不快なだけだ。











http://www.asahi.com/national/update/0126/TKY201101260491.html
<死刑確定者の4割、拘置所の医療に不安 日弁連調査>

<全国の拘置所に収容されている死刑確定者のうち約4割が、拘置所内の医療について不安や疑問を感じていることが、日本弁護士連合会が26日に公表したアンケート結果で明らかになった。
 
日弁連によると、アンケートは2009年12月~10年2月、確定者ほぼ全員にあたる110人に発送。90人から回答があったという。このうち40人(約44%)が医療に不安や疑問を「感じたことがある」と答えた。自由記述では「医師の診察が受けられない」「問診だけで聴診器を使ってもらえない」などの回答があったという。
 
また「レーダー電波が体に設定」などという回答もあり、日弁連は「文面から明らかに精神疾患が疑われる者が複数いる」と指摘。刑事訴訟法が、心神喪失者の死刑執行は大臣の命令で停止できると定めていることから、「執行停止すべきかという点で問題だ」としている。
 
アンケートは、面会や手紙のやりとりなど所内の環境について質問した06年のものに次いで2回目。「面会する人はいない」と答えた割合は、15人(約26%)だった前回から、今回は11人(約12%)に減った>



 特攻隊の遺書に「もろともと、おもえばいとし、このしらみ」という抜群のセンスが光る一句があった。この人殺しどもは、その病苦も「償い」であると思って受け入れればよろしい。「痛いのは生きている証拠」という言葉もある。自分たちが殺した被害者は、もはや病気も怪我も関係ない。ふざけた話だ。

ま、しかし、だ。死刑を執行するには「生きていてもらわねばならん」わけだ。それも元気で健康、本当ならばあと何十年も生きられるだろうに吊るされる、というところが良い。だから、日弁連は頑張れ。刑が執行される直前まで、生きる喜びを味あわせてやればいい。











http://www.asahi.com/politics/update/0126/TKY201101260479.html
<江田法相「死刑は欠陥」発言を撤回 「言葉きつすぎた」>

<江田五月法相は26日、報道各社のインタビュー取材に応じ、14日の就任時の記者会見で「死刑はいろんな欠陥を抱えた刑罰」と述べたことについて、「欠陥というとちょっと言葉がきつすぎるので訂正したい」と発言を撤回した。
 その上で「どんな命も命である限りは大切にということが世の中になければ、温かい人間社会はできない。そういう意味で、取り返しのつかない死刑にどう向き合うかは本当に悩ましい」と語った。
 
また、国際結婚の破綻(はたん)時に一方の親が子どもを国外に連れ出さないよう定めた「ハーグ条約」への加盟については「国境を越える人の移動を国際ルールで処理することは国を開くこと。前向きに検討しなければと思う」と積極的な意向を示した。離婚後も両親が子どもの親権を持つ「共同親権」について「(ハーグ条約に)加盟すると(日本の)親権制度を改めないといけないのかというと、そんなことはないのでは、という直感だ」と発言。「一緒に住むことは終わりでも、子どもは一緒に育てようというように、離婚の形も昔とは違ってきている。『チルドレンファースト(子どもが第一)』というのも国際ルールとしてあると思うので、その点を考えながら検討を進める」と述べた。
 
千葉景子元法相が導入を検討したが実現しなかった「選択的夫婦別姓」については、「政治的にはいろんな困難があるが、結婚しようとする2人の選択肢ができるだけ広がるようにした方がいいと思う」と語った>




 「きつい」のは、この馬鹿の頭の中だ。んじゃ、欠陥品も「悩ましい品」と言えばよろしい。欠陥部分は「悩ましい部分」だ。おそらく、馬鹿だと思われるだろう。

また、このあとの発言も悩ましい、というか、気持ち悪い。

<どんな命も命である限りは大切にということが世の中になければ、温かい人間社会はできない>

こいつ、還暦も過ぎてチンゲ生えてるのか?(失礼)その大切な命を奪った命が同じ重さにあるというなら、それはもう、神様か童貞だ(笑)。なんという戯言、なんという偽善なのか。こいつの言う「温かい人間社会」とは、殺人犯が「チョー反省した!」と野に放たれて、被害者は「殺されるだけ」だという社会のことか。













http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110126-00000015-cnippou-kr
<奇誠庸が“猿セレモニー”釈明 「旭日旗にカッとなった」>

<奇誠庸(キ・ソンヨン、22、セルティック)が‘猿セレモニー’について釈明するコメントを載せた。

奇誠庸は26日(以下、日本時間)、自分のツイッターに、「観客席にある旭日旗を見た胸は涙が出た」と書かれている記事を載せた後、「弁解か…私は選手である前に大韓民国の国民」と書いた。

う回的に‘猿セレモニー’をした理由を明らかにしたのだ。旭日旗を見て怒りを抑えられなかったと解釈できる。旭日旗は日本帝国時代に使われた日本の軍旗で、現在は自衛隊旗だ。日本軍国主義の象徴だ。

奇誠庸は25日に行われたアジアカップ準決勝の韓日戦で、前半23分、ペナルティーキックを決めた後、カメラの前に走って行き、頬を膨らませながら左手で顔をかくふりをした。

これに対しネットユーザーは「日本人を猿として侮蔑したようだ。本人もスコットランドで人種差別を受けておきながら日本を刺激するのは軽率な行動だった」と非難した。
試合が終わった後、奇誠庸はミクストゾーンで記者らに対し「いろんな意味がある」と淡々と話した。

一部のネットユーザーは「日本に向けたセレモニーではなくセントジョンストンのファンをはじめとするヨーロッパに向けた揶揄ではないか」と分析したりもした。

ヨーロッパで「イエローモンキー」は東洋人を侮蔑する時に使う表現だ。09年にマンチェスター・ユナイテッドが韓国に来た際、FWフェデリコ ・マケダが似たゴールセレモニーをした。当時ゴールを決めたマケダは、両耳を手でつまんで上唇を出しながら猿の真似をし、論議を呼んだ。

日本ネットユーザーも奇誠庸のゴールセレモニーに激怒している。「これに反応すれば私たちは本当に猿」とし、奇誠庸のセレモニーに不快感を表しながらも自制する雰囲気もある>



 「いや、別に・・・」とでも言っておればいいのに、この朝鮮ザルは誇らしげに「観客席にある旭日旗を見た胸は涙が出た」とかツイッタ―に書く。こいつは「胸中にて涙が出る」ような感情になったときは「サルの真似」をするのか。変わった朝鮮ザルだ。

岡倉天心がアメリカに滞在していたころ、横山大観とボストンの町を歩いていると現地人から「What sort of -nese are your people ?Are you Chinese, or Japanese, or Javanese ?」とからかわれた逸話がある。キミらは何ニーズ?チャイニーズ?ジャパニーズ?ジャワ人?と問われたわけだが、岡倉天心は「We are Japanese Gentlermen But what kind of key are you ?Are you a Yankee, or a donkey, or a monkey ?」とすかさずやった。私たちは日本の紳士だが、キミは何キーなんだ?ヤンキーか?ドンキーか?それともモンキーかい?

このサッカーの朝鮮ザルは何キムチなのか。















http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110126-00000011-jij-soci
<袋かぶせ、襲撃か=小2女児切り付け―山口県警>

<山口県宇部市の路上で小学2年の女児(8)が下校中に切られ重傷を負った事件で、女児は顔や首以外にほとんど傷がないことが26日、県警捜査1課への取材で分かった。現場にポリ袋が落ちており、同課は、逮捕した無職山田昌宏容疑者(23)が女児に袋をかぶせ、正面から襲った可能性があるとみて調べている。
 
捜査1課などによると、女児の傷は顔と首など前面に集中しており、計15、16カ所あった。ほかは足などに小さな擦り傷しかなく、争った際に付くような傷はなかった。現場に落ちていた黒いポリ袋をかぶせるなどして、正面から襲った可能性があるという>




 テレビで「犯罪者の更生施設」をやっていた。仮出所などで出てきても社会復帰が出来ないそうで、それを福祉で面倒見ながら自立してもらう、という主旨らしい。60代の男性は「こういうの(更生施設)がなければまた(犯罪を)やっていますね」と答えていた。この男性は77歳の女性を路上で襲いバッグを奪って逃げた。強盗傷害だ。

日本には「犯罪者が社会復帰するための施設」が57もあるらしい。もちろん、人権擁護の観点から、全個室でプライバシーも守られている。その日の夕食は「すき焼き」だった。食後は仲間らと雑談したり、テレビを見たり、将棋をやったりと長閑な光景だった。施設の責任者は「社会復帰するためには衣食住が必要。それを国がやらなければ再犯する人は減らない」と言った。個室にベッド、テレビにフローリングの部屋を用意し、洗濯や食事の用意などは福祉の職員がしてくれて、医療施設も我々の一般生活よりも充実している。職業案内も担当がついて、生活の心配をせずゆっくりと、みつかるまで世話をしてもらえる。不景気でね~年だからね~と言っておれば誰も責めない、どころか、湯浅誠のような極左運動家が肩を叩いて励ましてくれるかもしれない。

結構なことだ。私の心が腐っていれば、この悠々自適な生活を手に入れるため、路上で人を襲うだろう。何も苦労して仕事を探さずとも良い。気に入らないことがあれば「犯罪者差別だ!老人虐待だ!人権侵害だ!」と騒げば、誰かが何とかしてくれる。少なくとも「ンなら、おまえなんか、もう死ねばいい」とは誰も言ってはいけないことになっている。

人にはプライドやらモラルやら、いろんな不必要なものがあるから、なかなか真似は出来ないが、これらもその気になれば捨てることは出来る。捨ててしまえば何も怖いものはない。国が面倒みてくれる。ずっと死ぬまで甘えて暮らせばいいことになっている。

宇部市で8歳の女の子の顔を十数ヶ所、刃物でえぐった23歳の男も数年で更生施設の世話になるかもしれない。女児の顔面の傷は消えるかどうかわからないが、少なくとも心の傷は残ることだろう。数年後ならば女児はまだ中学生だ。もうその頃になると、このキチガイ刃物は更生施設で「すき焼き」を食べている可能性がある。施設の仲間から「やっちゃったことは仕方がない。お前が悪いんじゃないよ、社会が悪いんだョ。早く忘れて、自分の人生を生きなければダメだぞ」なんて励まされているかもしれない。

女児がトラウマを背負いながら思春期を迎える頃、この女児の顔面を切り裂いたキチガイは「社会復帰の観点」から、衣食住を保障してもらい、仕事を探してもらい、洗濯してもらい、資格を取得させてもらい、社会に復帰して行くのかもしれない。このキチガイは23歳だから、数年間の刑務所暮らしを経ても30歳にも満たない。もしかすると結婚もして、子供もできて、過去の犯罪を反省しながら生きて行くことが出来るかもしれない。しかしながら、もし、この女児が「一生消えない顔面の傷」を受けていたとしても、それは国が助けてくれるわけでもなく、自分で乗り越えるべき運命ということになるわけだ。

高齢者の犯罪が増えているらしい。再犯率は50%を超える。「仕事がない。家族がない。住むところがない」でまた犯罪に手を染める。今度は社会復帰させろ、として国が公金を使って面倒見るわけだ。対応が悪いとまた犯罪をするぞ、と脅していることに他ならない。こんな迷惑な存在が他にあるだろうか。野良犬でも命を賭けてゴミを漁る。落ちているモノを喰ってその辺で勝手に死ぬ。暑い寒いも言わないし、腹が減っても喰えなければ死ぬだけだと知っている。野良犬は「人間社会に溶け込もう」などまったく考えていない。

「人を襲う」ことは同じ、いや、野良犬はそのときでも自分の牙や爪で襲う。ナイフで顔面を狙ったりしない。また、野良犬は腹も減らぬのに、身の危険を感じぬのに人を襲ったりしない。人間社会を恨んでいたり、羨ましがったりもしない。用がなければさっと身を潜めて隅のほうで生きる。しかし、我々は人間だ。人間は人間の尊厳を守らねばならない。だから、私は犯罪者の更生施設も仕方がないと思う。我々の税金を使って犯罪者にすき焼きを喰わせてもいい。部屋の掃除もしてやればいい。ただ、日本の社会には言論の自由もあるし、表現の自由もある。私は人間を尊重するが、それでも身勝手な犯罪者は野良犬より下等な生き物であると断じておく。身勝手な理由で人様を刺したり、殴ったり、殺したりしておいて、警察に捕まって叱られて、反省したから許してくれと、今までは間違えていたから、今度はちゃんと生きたいのだと抜かす愚劣は人間だけだ。

そして、こんなのはいつか崩壊する。「人権を守ること」は当然だが、人様の人権を奪っておいて、犯罪者の人権だけを守れという腐った理屈を通すなら、これはいつか必ず崩壊する運命にあろう。しかし、これが悩ましいところだ。殺してはいけない。山に捨ててもダメだ。それはすべからく、アレらが人間だからだ。だから、心の中で蔑む他ない。企業は「そんな余裕ないですよ」とウソをついて雇わねばいいし、人を殺しておいて「今の世の中は生き難い」という中高年の犯罪者にも、大変ですねぇ~頑張って下さいよ!と言いながら、心の中で「早く死ね、この犯罪者め」と思っていることにしよう。


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