忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

ダチョウバーガーって喰いたくないな。

2009年06月04日 | 過去記事
■2009/06/04 (木) ダチョウバーガーって喰いたくないな。1

古代アラブ人は「ダチョウ」が危険を感じると砂の中に頭を突っ込む奇行を見て、「現実から目をそらす臆病な行動」だと嘲笑した。頭から首まで地面に突っ込み視界をなくしただけで、まるで全身が“隠れた”かのように現実逃避する「ダチョウ」を愚かだとした。

日本でも「頭隠して尻隠さず」の諺がある。「敵」からはバレバレであるのに、本人は「隠れているつもり」、つまり「襲われない」だろうと安堵するのだが・・・?

http://www.asahi.com/national/update/0602/TKY200906020371.html
<「九条の会」発足5年記念、大江健三郎さんが講演>

出ました。脳減る症。

<講演した作家の大江健三郎さんは「核保有国と非核保有国との間に信頼関係がなければ、核廃絶は始まらない」という加藤さんの指摘を紹介。「そんな信頼関係などあるものかと笑いを浮かべた人もいるでしょう。例えば北朝鮮との間に。でも私は日本としてのやり方はあると思う。私たちが不戦の憲法を守り通す態度を貫くなら、信頼を作り出す大きな条件となるのではないか」と語った。>

この哀れなダチョウ老人は「憲法9条を守り抜くなら、北朝鮮との間にも信頼関係は構築できる」と言いながら「砂の中」に頭を埋めている。自衛隊を解体し、言われるがままの金を払い、日本国民全員が将軍様に忠誠を誓うならば、偉大なるお父様は微笑んでくださるだろうということだ。

「2」へ

■2009/06/04 (木) ダチョウバーガーって喰いたくないな。2

それからならば、だ。過去は水に流して大いなる慈悲の心で日本民族は生かされるであろうと、新たなる「日本人民共和国」の一員として将軍様の騎士となり、勤勉で真摯にトウモロコシを作り、共に自由経済という名の悪魔と闘うというならば、一緒に将軍様を讃える歌を高らかに歌い上げようではないか。

さあ、堕落した資本主義の権化であるジーンズを脱ぎ、肌を露出させた破廉恥な服装を止めよう。人民は人民として人民服を着よう。共和国を誇るバッジを胸に光らせて、討つべきは米帝だ!世界を恐怖政治から救うのだ!美しき労働者の時代が来た!将軍様と共に!

いやぁ、さすがは「私には帰るべき朝鮮がない」と涙するダチョウ老人である。その狂いっぷりは揺るぎない。人間の精神とはここまで堕落することができるという見本だ。

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さて、今度はダチョウではなくハトポッポである。
http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20090603AT3S0300N03062009.html
<北朝鮮問題「対話通じて」 中国大使、民主・鳩山氏と会談>

<中国の崔天凱駐日大使は3日、民主党の鳩山由紀夫代表と党本部で会談し、北朝鮮の核問題について「対話を通じて交渉していかなくてはならない。強硬に出ればいいという問題ではない」と述べ、制裁強化に否定的な考えを伝えた。靖国神社参拝問題については鳩山氏が「首相になったら参拝しない」と言及。崔氏は「民主党のこれまでの歴史認識は正しい」などと語った。(03日 23:01)>

問われる前に「参拝はしない」。首相になっても「参拝しない」から、どうか、首相になれるようにお願いしますと国家主席様にお伝えください。「ババ抜き」の「ババ」を、はい、ここにいれますよぉ~~とカードを持つ手に委ねられようとしているのは「日本国民の生命と財産」である。つまり、民主党の支那共産党に対する「貢物」である。

「3」へ

■2009/06/04 (木) ダチョウバーガーって喰いたくないな。3

いやぁ、さすがは友愛マンである。まさに「相手の幸せが自分の幸せ」であろう。この「愛の戦士」に、ならば、先の大戦で日本国を護って散華された英霊に対する愛はないのか、などと愚問を投げかけてはいけない。それでは友愛というものが発揮できない。こ素晴らしき友愛マンは、日本国に対する愛の話をしているのではない。その「友愛精神」とやらは日本国民に対して向けられてはいない。勘違いしないでっ!と怒られる。

そもそも、今更だが「友愛」というのは「兄弟愛」や「友情」という意味である。普通、国家などに対しては「愛」ではなく「義」(を尽くす)という言い方が正しい。政治家における国家とは忠誠を誓う対象であるからだ。すなわち、格好よく言えば、政治家とは“命を賭して忠義を果たす”という仕事であると思う。国家国民に対して友人のように、兄弟のように振舞われては困る。ハトポッポはこんな基本的な信条さえわからないのであろう。

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まあ、しかし、ここでダチョウには謝罪と賠償をせねばならないのである。ダチョウが砂に頭を突っ込むのは、現実逃避ではなく「地中の音」を聞くためだというのが正解らしい。忍び寄る「危機の足音」を明確に聞き分けるがため、あのような格好をするのだという。「9条を守っていれば平和が続くのに!」と喚いている阿呆どもと同じではないのだ。

鳥類最大の体格であるダチョウに危機が迫ったとき、あの脚力を活かして逃走するか、もしくは「小型の哺乳類程度」ならば真っ二つに切り裂くほどのキック力で攻撃する。

日本の「似非平和呆け9条信者」どもはダチョウに劣るといえば、ダチョウに失礼か。

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