忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

小室圭さん・眞子さん結婚記者会見での発言、文書回答の全文

2021年10月27日 | 忘憂之物




「貴様にお父さんと呼ばれる筋合いはない」。

実際にこの言葉を発したのは十年と少し前になる。「前の車を追ってくれ」とか「逆探知失敗しました」みたいなセリフだが、自分には関係ないと思っていたら甘かった。「ただいま~腹減った~」からの「おかえりなさい、遅かったのね、すぐ支度するから」という安物コントの冒頭のような、あまり使いたくはないセリフでもある。

娘が結婚するとか言い出して男を連れてくる。会ってくれとせがまれる。その時点でもう否定的に相手を見ている。そこに我が娘が選んだ人ならきっと大丈夫、などという呑気さはない。信用と信頼の差異は厳然として存在するし、時限爆弾を止めるときの「青、いや、黄、マテ、赤だ!赤の配線を切れ」というくらいの無責任で娘は嫁にやれない。

だから吟味する。頭から尻尾までじっとりと、品定めするように観る。それから「収入は?」「いままでなにをやっていたんだ?」「いつ、どこで知り合ったのか」など、尋問のような質問が重なり、何故だかその間、妻と娘は神妙にすることになっている。

しかし、結局のところ、将来のことなどわからないから、心配と寂しさ、不安と諦めの中、ふたりがそれでいいなら、と送り出すことになる。いまは孫も二人出来て元気にやっているが、それはそれとして、未だに納得はしていない。そういうものだ。


しかしながら、当然、猛烈に「反対だ!」とする場合もある。理由はいろいろあろうが、実のところは単純なことだったりする。それはそのまま、相手の男が「単純なことを複雑にする奴」だった場合だ。つまり、なにかと胡散臭い。


借金がある、などとくに珍しくもない。ちゃんと返せばいい。親がいないとかも仕方がない。国籍が違うもあるかもしれない。日本の伝統文化を尊重するなら文句もない。しかし、胡散臭いのはダメだ。ちなみに「胡散」はポルトガル語の「ウサンナ」から生じていると言われる。元々の意味は胡散臭いだ。中国語でも「胡散」と書く。意味は胡散臭いだ。つまり、今も昔も、そこでもここでも、胡散臭いのはダメだ、ということだ。



だいぶ懐かしいがタレントで羽賀研二というのがいた。いまは沖縄刑務所にいる。「遊び人キャラ」だったから梅宮辰夫は猛反対していた、くらいの記憶は残る。娘の梅宮アンナは「バラエティ番組で知り合って交際が始まった」とのことで、ワイドショーでも多く取り上げられていたが、実のところ羽賀に多額の借金があるともバレる。羽賀は「誠意をもって」を繰り返して、マスコミから「誠意大将軍」とか玩具にされていた。

梅宮の辰っさんは単に「遊び人で借金があるから」反対していたわけではなかった。羽賀が逮捕されると更に詳しい事情も報じられるようになったが、羽賀は「住専問題」で逮捕された不動産会社の社長と縁もあった。それを知っていたからか、梅宮辰夫は羽賀を「稀代のワル」と称して露骨に嫌っていた。

それでも梅宮アンナは父親に逆らうわけだが、羽賀と同棲しているマンションに帰宅すると浮気相手と真っ最中だったりした。4WDや多目的トイレでもなく、地方ロケだと嘘を吐いて自宅ベッドでコトに及んでいた。

それからも嘘と借金、言い抜けと開き直りに目が覚めて破局したが、誰も驚いた人はいなかった。みんなそうだろうと思い、なんだったら「早く気づいてくれて良かった」とすら思った。酸いも甘いも知っている経験豊富な大人からすれば「その結果」に安堵した。



当たり前のことだが、結婚となれば「ふたりだけのもの」ではない。つまり、当事者だけの問題でもない。周囲の人間や家族というものがある。結婚して無人島で暮らすわけでもない。結婚すれば「家庭」ができる。そこには「これまで」というものがあり「これから」というものがある。

だから周囲はいらぬ世話も焼く。それが「世間知らずの箱入り娘」なら尚更だ。未熟な二人が「ふたりのこと」として放っておけと言っても、まあ、聞きなさいと耳の痛いことも言うが、それは実のところ、本当に無関係とはいかないからだ。なにかあれば困るのは同じだし、悲しい想いをするのも同じことだし、だから言っただろう、とは言いたくないからだ。

当人からすれば迷惑千万、心が傷つくことがあるかもしれない。そして何かと案ずる周囲に対して敵視するまでに至るかもしれない。しかしながら、結婚するなら親はもちろん、周囲の人々、お世話になった人々の納得を得なければならない。だれも「ちょっとマッタ!」を言わない状況。つまるところ、みんなが納得してふたりを認める。それを「祝福」という。



普通、大の男がたかが400ほど、借金があるなら返せばいいだけのことを、だらだらと四の五の言う奴を世間は信用しない。極単純な話を何年も拗らせ、代理人だの弁護士だの、解決金だの和解金だの、面会するとかドクターストップとか、いったい、どこのだれを嫁さんにしようとしているのか、この薄ら盆暗はわかっているのか?と怪訝に思うことは至極当然の国民感情である。



予想通り、会見は最悪だったと言っていい。日本国民に納得、祝福してもらえる最後の機会だった。そして日本国民は本当に祝福したかった。

結果は胡散臭さ倍増だった。白けた「お祝いムード」はテレビの中だけだ。非常に残念であり無念である。



御皇室は日本国の象徴であり日本国そのものだ。だから日本国民の多くは心配していただけだった。どこかの30歳女性「まこちゃん」が、どこかの馬の骨と結婚するだけならおめでとさん、本人がいいならいいんじゃないの?苦労するのも人生だ、いろいろあって当然だし、ま、がんばんなさい、くらいのものだが、内親王の御成婚として受け止めれば、実に由々しき問題だと認識せざるを得ない。

せっかくの目出度い門出ながら日本国民が大いに憂う日になった。




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