忘憂之物

菅伸子夫人「ここは居心地がいいのよ。出たくないわ」

菅伸子夫人「ここは居心地がいいのよ。出たくないわ」





<本誌は7月15日号で、伸子夫人が企業経営者や官僚OBなどを公邸のティー・パーティに招待し、
「ここは居心地がいいのよ。出たくないわ」と発言していたことを報じた。

菅政権名物の公邸パーティ、原点は学生時代にあった。
「公邸でパーティをしていると聞いて、ああ伸子さんらしいなと思いました」
こう語るのは、夫人の津田塾大学時代の同級生だ。

「彼女とは同じ寮に住んでいましたが、入寮のとき、お母さんが付き添って
他の学生の倍ぐらいの荷物を持ち込んでいたので驚きました。ヒラヒラのフレアスカートにレースのシャツ、
周りより明らかに高級な洋服を着た伸子さんは、いまでいうセレブの存在でした。旧姓は姫井ですが、まさに『姫』だったんです」

そんな伸子夫人、学生時代は毎週末に寮の自分の部屋に友人を呼んで、煌びやかなティー・パーティを開くのが習慣だった。
「寮生の間では、伸子さんからティー・パーティにお呼ばれすることが、一種のステイタスになっていました。
私は一回しか呼ばれなかったのですが……」

夫人にとってパーティは、自身の影響力を誇示する常套手段だったらしい。
その人心掌握術は、首相が「私よりも伸子の方が能力が高い」と公言する通りである。
http://www.news-postseven.com/archives/20110809_28008.html >





ここは居心地がいいのよ。出たくないわ





⇒女性は確かに優れているといえる。もちろん、管直人の「私よりも伸子の方が能力が高い」というのもおかしくはない。しかし、女性が男性を見下した時点、妻が夫を安く見積もったそのとき、その値打ちはダメ男以下になる。ただのバカ女、邪魔臭いだけのババアになる。女性は意図的に、あるいは確信犯的に「男の3歩後」をついていくから大人であり、策士であり、天女となる。でなければ、基本的に粗野でガサツな野郎どもは社会で役に立たない。

男なんぞというモノは能力はあっても使わないし、気付かないし、それを悪用することをまず思いつく単純な生き物だ。それを女性、母親や家族、そして妻を通じて「護りたい」と気付いたとき、その護るべき対象こそが「社会に通じている」のだと気付く。だから多くの馬鹿な男も仕方なく、真面目に生きる事を選択する。それを繰り返すことが鍛練となり、日々の生活における練磨となり、本当の意味で男は強くなる。

男とはそれほど「自分のためにだけ」という条件ではするべきことがない哀れな生き物なのだ。つまり、旦那を小馬鹿にして威張り腐る嫁は鬼だ。世の鬼である。その最悪レベルの夫婦がいま、首相官邸で好き放題している。家に鬼がいれば、男の選択肢は二つ。近寄らないか服従する。この場合は後者だが、このいずれもが男の芯を腐らせる。芯が腐れば覚悟も腐り、男はふらふらと定まらぬ事を言ったりやったりする。それをみた鬼はますます豪胆になる。「針の筵」をして「居心地がよい」とまで言えるほど強靭となる。今ここ、だ。
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