忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

雪山で飲むのは「山崎50年」がいいなぁ

2009年12月21日 | 過去記事
最近、ちょっと時間ができたので(泣)、妻ともくだらん話をする。我ら夫婦の会話で、以前からヒートアップする話題ではこんなのがある。それは「どういう死に方が嫌か」そして、「それは前世でそういう死に方をしたからである」という話だ。ちなみに私は「なんか狭くて深い穴の中に、頭から突っ込まれて放置されて死ぬ」というのが「嫌な死に方ベスト1」だ。・・・ん?・・・ちょっとマテ。こういうのを書くと、万が一、恨まれて殺されるとき、そのようなシチュエーションを用意される心配はないか?ww・・じゃ、じゃあ、やっぱ酒飲んで死ぬのがイヤかなぁぁ・・wwあっはっは。

ま、しかし、想像してみてほしい。指先と足先が少しだけ動かせて、あとは瞬きくらいしかできない状況。真っ暗で逆さまなのはわかるけれども、上にも下にも行けない。このまま誰にも発見されず、そのままそこで「詰まって」死ぬとしたら・・・嗚呼ぁ!もう発狂しそうじゃないか。ウリ発狂。

ちなみに妻は「水の中で死ぬのがイヤ」とのこと。前世では「船が沈んで溺死した」と言い切る。つまり、人間だった可能性が高い。となれば、私はモグラかオケラか。なるほど、それでてぃんこがモグラみたいなんだとか、ほっとけ。

ま、ともかく、意外に人気なのが「凍死」ではないだろうか。まさに「眠るように死ぬ」というイメージがある。肌色は蒼白となり、本来は赤紫を帯びる「死斑」も薄紅色となるらしい。腐敗してガスが溜まることも少なく、ほぼ「完全体」のままの遺体で発見されることからも、とくに女性やアベックなどは、この方法を考えるかもしれない。映画やドラマでも多く使われている「シーン」でもなかろうか。また、苦痛も少なそうだとか、なにか、目を閉じていれば、雪山が光り輝く教会に代わり、愛らしい天使が下りてきて、パトラッシュと一緒に天国へと運んでくれるような気がするのかもしれない。

たしかに砂漠を歩いて水が切れてカラカラに干乾びて死ぬのと比べると、極寒の中、体温が下がり、意識が遠のいて・・・目を閉じて、そのまま静かに・・・のほうが楽っぽい感じはする。ホントは知らんがね(笑)。

また、自殺の方法はずっと「首つり」がトップらしいが、これの理由は「お手軽さ」だろうか。流行した「硫化水素」とかもあったが、やはり、トップは首つり自殺だ。

何かで聞いたことがあるのだが、首つり自殺のように、いわゆる「頸部を圧迫して」呼吸困難による窒息死に至った場合は、先ず「絞殺」と「扼殺」のどちらかを調べるらしい。「絞殺」とは頸部に紐などの索状物を巻きつけて絞める。これは首つり自殺(自絞死)でも同じだ。んで、もうひとつの「扼殺」というのは手や腕で絞めて殺した場合のことをいう。すなわち、扼殺ならば他殺の可能性が高いわけだ。また、いずれにしても他殺の場合は、手であれ紐であれ、被害者は必死にもがき苦しむ。呼吸を確保しようと頸部を掻き毟ることになる。その時に付く「縦の傷」を「吉川線」と呼ぶらしい。たしか、大正時代の刑事で、その傷に着目した刑事の名前が「吉川」だったとか聞いた。


ま、そんな話はともかく、くだらん話の続きだが、「嫌な死に方」を語り合ったとすれば、次は「ならばどんな最後が良いのか」という話になる。もちろん、家の布団でみんなに見送られながら・・・がいちばんに知れているが、人間、産まれてくる時も場所も何も選べないが、唯一、人間は「死ぬとき」を自由に考えることができる。そう考えれば、これは話し合っておく必要もあろう。ちなみに、私はやっぱり「凍死」かなww

妻も「とーしー!!」と元気に叫んでいる。寒がりだから砂漠かと思ったが、どうやら「砂」がイヤらしい。あと「らくだが怖い」とか、どうせその程度の理由だろう。そういえば少し前、我ら夫婦と同じようなことを考えて、ほんまに雪山行って酒飲んで帰ってきた阿呆がいた。なかなか死ねないもんだなぁっとww

http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/091208/crm0912080134005-n1.htm
<自殺に失敗、寒くて119番 家賃着服を告白して逮捕>

寒くてwww

そら寒いわっ!!ww

飲みが足らんのだ。飲みが。ガツンと飲め。ガツンとww

<帯広署によると、高平容疑者は5日、自殺しようと上士幌町糠平の山に入ったが「酒を飲んで凍死しようとしたが、寒くて死にきれなかった」と119番。病院で勤務先の社長に横領を告白して7日、社長に付き添われて出頭した。ほかにも着服したと話している。高平容疑者は「着服した金はパチンコなどに使った」と話しているという>

ほんと、雪のように真っ白な阿呆だな。ただの「雪見酒」じゃないかww



また、こんな阿呆はどうでもいいが、つい最近、悲惨な事故もあった。雪山は怖い。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091220-00000001-maip-soci
<富士山遭難 「担いで帰りたかった」…片山さん泣き崩れ>

今日、大阪では雪が降ったらしい。ちょっといま、大阪に用事がないので知らない(泣)のだが、ついに京都は氷点下である。寒いのである。雪山は魅力的だが、本当に危険なのだろう。それでも行かれる方は、是非とも気をつけてもらいたい。用心に越したことはない。せっかく写真を撮っても、せっかく思い出ができても、帰れなければ悲しい話だ。

<元F1ドライバーで冒険家の片山右京さん(46)ら3人が富士山(標高3776メートル)を登山中に遭難した事故で19日、静岡県警山岳遭難救助隊によって発見された2遺体は、行方不明の同行者2人と身元が確認された。死因は凍死だった>

風速1メートルごとに体感温度も1度下がるらしい。この事故の場合も「テントが吹き飛んだ」というから、相当な大風が吹いていたのだろう。この季節、標高2800メートルまで行けば、無風でも気温はマイナスではなかろうか。その寒さは想像を超えるものだ。

映画の「八甲田山」の撮影でも「カメラが凍った」とか「ケーブルが凍って使えない」などの逸話を聞くと、なんとも大自然の脅威、人間には何ともしかねることはあるのだと思う。書いていて寒くなってきた。



ま、しかし、


先ほどの「寒くて死ねませんでした」という横領男もそうだが、そういえば、昔、杉浦太蔵という人も「19歳のころ大雪山で自殺を図ったことがあって、でも寒くて、風邪ひいちゃうからやめた」という話をどっかに書いて、それが盗作だとか言われてたなww

いずれにせよ、認識が甘いんだろう。おそらく、私が妻からも社会からも捨てられて、虹の会長のところに行っても「新婚だからごめんね♪」とか言われて相手にされず、理事長のところに泣きついたら「もう特急に乗りましたわww」とか言われて、みんなから突き放されて絶望して、なんだよ、ちくしょう!もう、こうなったら先立つ不孝だ!とか言って、酒飲んで雪山に入っても、数分すれば「さっぶぅ~~~ヴヴヴぅぅ~~」とか行って帰ってくる。人間、なかなか「死に至るほどの苦痛」には本能的に耐えられんはずだ。

首つりでも飛び降りでも、要するに「一瞬」なわけだ。硫化水素でもそう、一瞬の問題だ。瞬間、だけ。考えなくていいし、苦痛に耐えることもない。警察官の自殺者が首を吊らずに拳銃で頭を撃ち抜くのもそうだ。アレは、ある意味、ずるいのだ。おそらく、「もっとも苦しまずに楽に逝ける方法」であろう。口に咥えてずどん。これで終わりだ。

また、練炭自殺などにしても、おそらく「苦痛」というものはあろうが、「凍死」と比して「苦しいから止めよう」と思った時にはもう遅いのではないかと思う。そういう視点からすれば、雪山で凍死するというのは、想像を絶する恐怖や苦痛を味わうのかもしれない。

この富士山の遭難事件においても、被害者の一人は絶命する前「奇声を発していた」という。今年の7月に起きた大雪山での遭難事故もそうだった。中高年の登山客10名が死亡するという痛ましい事故だ。歩くことができなくなり、座りこんだ登山客は「寒い寒い」と奇声を発していたというから、その恐怖感、絶望感、不安感、生命へのダメージは相当なものだろう。人間、“空腹と寒さには耐えられない”とよく言われる所以か。

ということで、結論とすれば、だ。



雪山で自殺は非効率的



これでOKだ。「楽そうに見える」というところが落とし穴。よくある話だ。


先ず、妙な言い方だが、せっかく「自分の意志で死ぬ」のだったら、自分のことで死ぬなと言いたい。MOTTAINAIのである。例えば、だ。

ありふれたシチュエーションで申し訳ないが、台風のあと、増水した川で子供が溺れているとする。それを見つけた瞬間、例えば、そこが「死ぬとき(かも)」だ。町を歩いていたら、目の前に暴漢が!!咄嗟に逃げようとするが、その時、しゃがんで動けなくなった女性を見つけてしまう、その瞬間のことだ。そこで瞬時に腹を括る。そこで「死ぬ覚悟」を出す。「あぁぁあ~~ここだったのか」と、それでは皆様、お先に失礼と。

これはもう普段から考えておくしかない。これは良い格好ではなく、あくまでも効率的な話だ。効率的に命を使う話である。なにがなんでも命が大事、人の命なんかより自分のが大事!という「本音」だけで生きている人には関係ないが、少なくとも、人様に物申すような「建前」を大切にしている人間ならば、溺れる子供を見捨てておいて、そのあと、いったい、どのようにして生きるというのか。雪山で寒い寒いと言いながら死んでいくよりも楽だし、先ず、それは自殺と言わない。また、それよりもなによりも「意義」がある。理由がある。結果がある。ま、言うまでもなく、これの究極が「特攻隊」だったわけだ。





また――――

よく「真綿で首を絞められる」とか言う。苦しいという自覚がなく、徐々に絞殺されていくという例えのことだ。日本国民は、真綿のように柔らかい言葉で包まれた政権を選んでしまった。「寒い寒い」と自覚できていたほうが良かったのかもしれないが、それでも友愛というソフトな真綿が日本の頸椎を締め上げている。よく見るまでもなく、真綿の中にはワイヤーが仕込んであり、それを「剛腕」がさらにぎりぎりと締め上げる。

他殺なのか自殺なのか。

それは日本の頸椎に付いた「吉川線」を確認せねばならない。

2 コメント

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Unknown (鷹侍)
2009-12-23 01:58:08
最後の文章の比喩が小説っぽくて感心してしまった。
保守系雑誌のエッセイに載ってそうよ。

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Unknown (久代千代太郎)
2009-12-23 19:44:12
>ひろっちゃん


お!

ひさしぶり!



ちょっと顔出してよ!よ!
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