忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

だれか「かしこく“ど左翼”を葬る方法」とか書いてくれ

2009年12月20日 | 過去記事

マーケティングコンサルタントの「西川りゅうじん」氏という人が、産経新聞で自分の「ある中」を告白している。そのコラムを読んだ私も、これは是非とも「ある中」を目指して頑張ってみようかという気にさせられた。だって「ある中」になれば良い事尽くめである。

おっと、

「ある中」とは「アル中」のことではない。なんでも「歩く中毒」らしい。なんとも良い感じのネーミングだが、ま、言葉狩りされるまでもう少しか(笑)。

ともかく、先ず、ずんずんと歩けばこの寒い時期に体が温まる。血液中の中性脂肪も燃焼させてくれる。有酸素運動は、このたぷんとした腹も燃焼させてくれるというのである。それに何より気持ちが良いのである。清々しいのである。朝はとくに。ね。

また、コラムにもあるが、ギリシャの哲学者は「歩きながら議論した」と言われる。なるほど、布団の中で目を瞑って物事を考えるよりも、頭の回転が速くなるのか、それとも、単純にポジティブシンキングするようになるのかは知らないが、机に座って悶々とするよりも、なにやら前向きな案が浮かんでくると思ったら、どうやら歩行することにより脳内で「βエンドルフィン」というホルモンが放出されているらしい。「バキのネタ」は本当だったわけだ。ストレス軽減、鬱病にも効果があるらしい。なるほど、「足」という漢字は「口」が「止まる」と書くとある。歩けば文句も出なくなるわけか。

ならばもう、こいつらは東京湾まで歩いて、そのまま、ぼちゃぼちゃと太平洋に飛び込んで死んだほうがいい。「東京教組」とかいう連中だ。

http://sankei.jp.msn.com/politics/local/091220/lcl0912200131000-n1.htm
<東京教組が“病休指南” 手当減額一覧>

権利権利で生きてきた人間が、どれくらいおかしくなるのかという標本みたいな話だ。教員の組合が、どれほど「ど左翼」なのかがわかる。オゾマシイ連中だ。

<東京都公立学校教職員組合(東京教組)が発行する機関紙に「かしこく病休をとる方法」と題した病休取得の“指南書”とも取れる内容の特集記事が掲載されていたことが19日、分かった>

ま、簡単に言えば「ズル休み指南書」である。大の大人がである。「48日以内は大丈夫だから、休まないと損ですよ」とやるわけだ。「当然の権利ですよ」と。

で、どんな奴らなのかと思ったら、こんな奴らだった。↓

http://www4.ocn.ne.jp/~ttutokyo/
<東京都公立学校教職員組合HP>

見たら、思わず外に向かって歩きだしそうになった。なんのことはない「闘争」の文字が並ぶ、薄気味の悪い「ど左翼」のホームページだ。こんな連中が、人様の子供を、いや、日本人の子供を教育しているというのは、今更ながら深刻な問題である。


元公立高校の校長先生だった「一止羊大」氏の書いた「学校の先生が国を滅ぼす」(是非、一読を!)にも「不正な労使慣行」などが慢性化、教育委員会も暗黙の了解でありながら、世間にばれると現場にだけ責任を取らせて知らぬ顔をする、ということが当然のごとく行われているとある。他にも、勤務時間中に組合活動で学校を抜ける「中抜け」や、とりあえず年休届は出しておいて、何事もないようだと破り捨てる「破り年休」と呼ばれる「制度?」があるらしい。とんでもない連中だ。自分たちの「権利」を守るためならば、なにをやっても「当然の権利」だとでもいうのだろう。腹が腐っている。

そして、こいつらのいう「権利」とは簡単だ。

仕事をせずに金だけやればいい。これが最高の権利なのだろう。それでも「仕事がしたい!日本人の子供に、日本がどれほど酷い国なのかを教えねばならん!」という教師には、こっそりと「倍額」渡して家で遊んでもらっていたほうが良い。国がゴルフセットを配り、家と車を配り、夜の繁華街は教員免許を見せると無料、支払いは国がさせていただきますとやれば、こいつらも少しは大人しくなる。「ようやくこの国は我々の権利を理解し始めた」とか言って「日本は少しだけ良い国」だと認めてくれるかもしれん。こんな連中、そういう類の生き物だと認識すべきだ。そして、あなたやわたしの子供たちは、こういう連中に教えを乞うているのだと自覚するに「遅きに失する」ことを覚悟しながらも、なんとかしなければならない。具体的になんとかせねばならないのだ。


んで、こいつらの「無駄」がどれくらいかというと、だ。

<休職理由の約7割を占める精神系疾患のため病休中の教員へ支払う給与だけで年間約50億円に上り、全体では70億円を超えるとみられている>

「必殺仕分け人」を呼んで来い。ふざけるなよ。


そして、さすがはキチガイ。言い訳も素晴らしいぞ。


<東京教組幹部は産経新聞の取材に対し、「組合員の関心を引くため記事の真意と離れたインパクトのある見出しを付け配慮が足らず反省している。真意は組合員に病休制度を十分に理解させることにあり、病休を勧めるものではない」と話している>


このゴミのような機関紙のタイトルは「かしこく病休をとる方法」だった。これは「配慮が足らなかった」そうだ。んで、このゴミ機関紙は「病休を勧めるものではない」そうだ。

これが通じると思っている。大の大人が、これで世間さまが納得するだろうと、なんだ、配慮が足らなかっただけで、病休を勧めているわけじゃないんだ、そうなんだと納得する、もしくは、これで何か文句があるのかと開き直っているのである。

「かしこく家計簿をつける方法」は「会計簿をつけること」を勧めていないのか?「かしこく法人化する方法」は「法人化すること」を勧めていないのか?「かしこく英語を学ぶ方法」「かしこくテーマパークで遊ぶ方法」「かしこく資格をとる方法」「かしこく貯金する方法」・・・・おまえらにはもう「かしこく賢くなる方法」が必要だ。


いや、

「かしこく東京湾に飛び込む方法」のほうがいいな。一掃だ。

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