忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

冷静に見守るとらすとみー

2010年02月01日 | 過去記事


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昨年末のツレ仲間の忘年会。私は不参加だった。毎年のことだが、いい年ながらも阿呆なことをして面白かったと聞いた。毎年、他のお客さんや店には迷惑かけないように、と固く誓うのだが、これもまた、毎年、少しだけ破られる。ともかく、粗野で粗暴だ。

その日、私は今度OPENする店の名刺やハンコをつくり、思いつく所用を済ませて自宅に戻る車の中で電話を受けた。土曜日の夜だというのに、こんなオサーン相手に電話をかけてきたのはツレの一人で、そいつとはもう、30年来の付き合いになる。いま、何人かで飲んでる、ということだった。めずらしく気が向いた私が「いまから、行こうかな」と言うと、驚いていた。待っているということだった。

前はいつだったのか思い出せないくらい、腹の底から下品に笑った。全員次の言葉が発することができぬほど笑っていた。話す内容はいつも同じだ。いわゆる「懐かしネタ」であり、それは「ツレの悪口」だったりもする。人の失敗や自分の失態なんかを思い出しながら話すと、数人の記憶が順番に出てきてつながり始める。そういえばこうだった、あれはそうだったと、昔の話だからホントの中にウソが混じることも許されて、何でもないエピソードが「絶対スベらない話」となる。

なにしろ30年の歴史がある。話題は尽きない。気づけば日曜日の朝5時だった。そのまま、ツレのマンションで雑魚寝する。そこは駅前の分譲マンションで、そのツレは20代でそこを買った。ツレ全員から殴られるほどの「工藤静香」に良く似た年下の嫁さんをもらい、そのまま調子の乗って立派すぎるマンションを購入したのだが、半年もせぬのに嫁さんはローンだけ残して消えた。時期も時期だったから、心優しいツレからは「キムタク相手に裁判を起こせww」と大爆笑され、癒えぬ傷跡にクレイジーソルトとデスソースを擦り込まれるほどの痛みを味わった。最近はもう、それが美味であるという。

また、30年も経てば、その周囲にいたはずの何人かは事故や病気、自殺なんかでいなくなっている。もちろん、そいつらの悪口も出て笑う。もし、幽霊というモノがあるならば、迷わず(迷って?)出てきて大乱闘になるのではないかと思うほど、その場が盛り上がるのである。仲間同士の会話では、言葉にグローブをつけないで殴り合う。もちろん、殺さないように手心は加えてあるも、それをそのまま、普段の生活の場に持ち込めば、警察に捕まるか、裁判ばかりやっていることになろう。デブはデブをネタにされ、ハゲはハゲをネタにされ、どころか、それは離婚や借金などという私的なところにまで及び、親しき仲にも礼儀はあるが、体も心も思い切り使って「殴り合う」ことも楽しいものだ。

こいつらは「死んだ方が良いぞ?」という相手が来るまで2時間半、料理には手をつけずに待っていたりする。仕事がなくなったと笑う私に「ようやく社会が正当な判断を下した!ザマミロww」と吐きながら、私のために布団を敷いてくれる。それに、こいつらは彼女や配偶者、親兄弟の悪口は絶対に言わない。本人が自虐的にけなすも、「おまえが言える立場かww?」と茶化す。要するに「おまえにはもったいない」→「周囲に恵まれている」→「だから、文句を言わず、ありがたいと思え」ということを互いに言いあうわけだ。

ツレである本人を貶めて周囲を持ち上げる。そういえば、河内屋のオヤジがよく、「おまえの奥さんにおまえの代わりは腐るほどいるが、おまえに奥さんの代わりは絶対にないから、大事にせんと逃げられるぞ?」と脅されるが、これは「河内流の褒め方」なのである。浪速の心意気なのだ。ま、河内屋のオヤジは本気で言っているのだが(笑)。






と、それを踏まえて、こいつらを見ながら昔話を少しだけ。


こいつら↓

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100201-00000025-jij-pol
<小沢氏問題、冷静な対応を=民主内の「けじめ」発言-鳩山首相>

自分で言うのもアレだが、私の若いころはおよそ「最低に属する人間」だった。いま、こうして安酒を一緒に飲んでいるツレでさえ、友人などと思ったこともなかった。いつも集団で行動してはいたが、その実、私は単独行動だった。ツレに誘われてバンドをやり始めて客が付きだすと、私はメンバーを「カラオケ」と呼んだ。練習でもバーボンを飲みながら来る私に、メンバーは喧嘩腰で説教してきた。私が「抜ける」と言い出すか、キレて暴れるか、それらも覚悟の上だったと笑う。

何をするにも、真面目にやることは小恥ずかしく、一所懸命など馬鹿らしかった。


<鳩山由紀夫首相は1日午前、民主党の小沢一郎幹事長の資金管理団体の政治資金規正法違反事件に関連し、党内の小沢氏と距離を置く有力議員から幹事長辞任も含めた「けじめ」や「自浄能力発揮」を求める発言が相次いだことについて「自浄能力は当然、党として発揮しなければならない」と述べながらも、「この具体的な問題に関しては、検察が捜査している最中だから、われわれとしても冷静に見守るしかない」と語った。首相公邸前で記者団の質問に答えた>



自分の力を見せつけるため、居酒屋で後輩を裸にしてマジックで落書きしていると、ひとりのツレは私に全力で挑んできた。学校では「人を殴るのならオレを殴れ」と言ってきて、本当に殴られている阿呆もいた。私が集団から狙われていると聞いたツレは、たったひとりで加勢に来た。ポテチをかじる姉に「死ぬかも」と言い残して来たらしい。

私が付き合っていたオンナに手を出したと決めつけて、公園でボコ殴りにしたツレとは日曜日にコーヒーを飲んだ。他のツレからも「おまえの勘違い」だと言われ続けていた。実のところ、私もうっすら気づいてはいた。しかし、もう、今では昔の話。そのツレとも飲みに行くし、旅行にも行く。今更、ごめんと言われても、互いに頭を掻くだけの話だし、それに私も同罪だったりするし、どっちでもいいとすら思っていた。でも、20年近く経った今でも、こいつは「おまえの勘違い」だと言う。日曜日の朝も「玉子サンド」を喰いながら言っていた。私は聞いてみた。なぜ、あのとき、殴られながら黙っていたのかと。

「収まりがつかんやろ?」

とのことだった。私が「証拠」としていたのは「黙って殴られていたこと」だった。疾しくないなら殴り返すこともできる。無論、ボコられる結果は同じだとしても、自分の正当性を堅持し、敵わぬまでも私に一矢報いることはできよう。それに、その当時の私は嫉妬から怒っていたのではない。あくまでも自尊心、自分のモノに手を出されたということが、私自身の虚像で固めた「生き方」に傷をつけ、そこから様々な恥ずべきことが漏れだすのではないかという「恐れ」でもあった。だから、周囲の話も聞かず、真上目線からの「制裁」という感覚から酷い暴力をふるった。

「言えよ・・ww」

そう笑った私がマルボロに火をつけると、そいつは灰皿を指でこちらに押しながら、

「何回も言うたちゅうねん!!ww」

と怒っていた。私はまた笑った。こいつは20年間、私が殴っても、許しても、忘れても、ずっと「おまえの勘違い」だと言い続けていた。どころか、私が本当に「同じような」ことをした際も、怒り狂って私を殺して自分も死ぬと言うツレを止め、他のツレと一緒に間を取りなしてくれた。私はその時ですら、こいつは私に同じことをしたから罪滅ぼしのつもりかと見下していたのである。なんと小さい男なのか。


昨日も何人かから電話があった。私が職を失い、飲み屋でも始めると言ったから、それが伝わったのだろう。40前のオサーンが用もないのに電話をするはずもなく、要するに「だいじょうぶか?」の電話なのである。

家族はもちろん、応援してくれる。何があっても味方だというスタンスだ。ツレもさっそく、店の住所などをメールで回しているらしい。しかも、OPENから少し経って「ヒマになったとき」に行こうという計画だという。もはや、私にバレているところも阿呆である。

私が飲み歩いていた店や、そこで働いていた人も、もう、何人もが世話を焼いてくれる。とくにママさん連中はオカンのようになっている。あれはあるのか?これはどうするのか?と、まるで自分の店の2号店ができるようによくしてくれる。


ツレのマンションを出て、そいつとコーヒーを飲んで、んじゃな、と素っ気なく別れると、そこが実家の近くだと思い出して寄ってみた。

久しぶりに会ったオカンは、私の仕事のことや生活のこと、いろいろ聞きたいようで、私が質問している「オカンの病気」についてはテキトーに答えるくせに、私が曖昧な返事をしていると、何度も同じ質問を繰り返すから、もう、ボケとんかい!と言いつつも、

「オカンの産んだ長男は、世間様から助けられてちゃんとやっているからww」

と答えておくと、少しは安心した様子だった。

妹に小遣いを渡し、京都に戻ろうとすると、オカンは、

「オカン手当はないのんか?」

と言ってきた。

私は「子供手当と引き換えじゃ」と言いながらも、また、小遣いをやった。

財布は空になった。

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