忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

ガチコメ的「地球家族の考え方」

2008年02月24日 | 過去記事
■2008/01/04 (金) ガチコメ的「地球家族の考え方」1

正月も4日目らしい。早いもんだ。

今日から仕事という人も少なくないだろう。さあ、今年も始まりましたご苦労様です。

例年通り、私は「正月休み」なんつーものを頂いておりませんので、今月の中頃、妻と温泉でも行って参りますきゃほぉい!という今日この頃、皆様、おせちの残り物を捨てたら古館に叱られますよ。こんにちは。生ライトです。なまなま。

さて、2008年度も正月から、我らが朝日新聞、エンジン全開でございます。あいやー
http://mytown.asahi.com/shiga/news.php?k_id=26000140801040001
<あした晴れたら・・・/国籍問わない社会に>

この「社会に」というところがミソでございますな。「国籍問わない世界」は無理だと知っているんでしょう。もしくは「国籍問わない国際社会」とか「国籍問わない地球温暖化」などと書いてくれればいいんですが・・・。

<参加した日本人たちに簡単な英語で語りかけながら、カレーに似た自慢の家庭料理「メヌード」をつくってみせた。料理をほお張りながら、笑顔で話しかけてくる参加者を見て、「言葉は通じなくても、心を開けば気持ちは伝わる」。目頭が熱くなった。>

日本人男性と結婚したフィリピン人のおばあさんが、自国の料理教室で日本人と触れあったと感動しておられる。「マリと子犬の物語」でも目頭が熱くなるかどうかのこの時勢に、なんとも心温まる特集を組んでいただいたそうだ。さて・・・

「2」へ

■2008/01/04 (金) ガチコメ的「地球家族の考え方」2

<支援センターの開設は、大津市柳が崎の在日コリアン2世、河炳俊(ハ・ビョン・ジュン)(59)が企画した。河は、日本人と外国人の懸け橋になろうと活動する市民団体「近江渡来人倶楽部」の代表。日本人と韓国人のはざまで生き、「国籍を問わず、人々が憩う場をつくりたい」と強く願うようになった。>

「人々が憩う場」をつくるのは結構なことだ。外国人の方が暮らしやすい国、社会、地域をつくることには大賛成だ。まあ、今でも日本は信じられんくらい暮らしやすいがな。それはそれで結構。大いに頑張ってもらいたいところではある。ただし、「国籍を問わず」というところは引っかかる。

文化交流において「国籍」というものが障害になるという前提はいかがなものか。「国籍」は関係ないだろう。いや、むしろ、その「国籍」が違うからこその「交流」ではないのか。

それにだ、清水寺でも平等院でも伏見稲荷でも八坂神社でも、外国人の人はたくさんいる。みんな堂々と甘酒飲んだり、参拝したりして、日本の文化に触れておるぞ?伏見稲荷の甘酒屋で、真向かいに白人が座って甘酒飲んで変な顔をしていたが、それはそれで楽しそうにしていたぞ?甘酒飲むのに「国籍」は関係なかろう。

「国柄の違い」というものもある。「文化」の違いといってもいい。日本はとくに、それを取り入れることは得意分野であろう。受け入れて解釈することが得意なのだ。めずらしいもの好きだしな。愛想もいい。情けないほどになww

そもそも、外人を見て差別する日本人は、他国と比してどれほどいるというのか。なにゆえこの朝日新聞記者は目頭が熱くなるのか。阿呆ぢゃないのか?ならば今里新地にでも行け。熱くなるのは目頭だけではあるまい(嘲笑)。勝手に触れあえww

「3」へ

■2008/01/04 (金) ガチコメ的「地球家族の考え方」3

それにだ。

「世界人類が仲良くできますように・・・」と心の底から望んでいるならば、それこそ「国籍の違い」など、ちっぽけな問題ではないか。無理矢理に話題にすることもあるまい。また、現実に、たとえば在日朝鮮人、韓国人の3世ともなれば、黙っていれば全然わからんではないか。日本の文化にどっぷりと浸って育ってきたのだ。違いなどあるまい。そして、免許証や登録証を見せるほどの間柄になるならば、それこそ「ああ、そうだったの。」で済む話だ。少なくとも、私は「ええぇ~~!!朝鮮!!??ありえねぇ~~!!」とか言われたことがない。私も普段は気にもしていない。正直、本気で忘れている(笑)。

わざわざ「本名」を名乗るのも勝手だが、おかしいのはつまり、通常の社会生活や他者とのコミュニケーションにおいて発生するであろう諸問題、トラブルなど、そしてそれは「どこの国籍であろうと」発生する問題であるのに、それを「国籍の所為」にするところが病んでいるというのだ。

人格的に欠陥がある、もしくはマナーやルール、モラルを軽視する、どの国においても、自分勝手、身勝手に振舞うことは、それはたとえ「日本人同士でも」トラブルになるし、原因のあるほうは社会からはじき出されることもある。それは「国籍」に問題があるのではなく、そいつ「個人」に問題があるのだ。

「4」へ

■2008/01/04 (金) ガチコメ的「地球家族の考え方」4

例えば、

レストランに入って食事をすれば「支払いをする」ということ。

これに国籍が関係しないのと同じだ。

これを払わずに店を出ると捕まる。当然、社会から罰せられる。白い目で見られる。家族も恥をかくし、笑われるだろう。つまり、それを「国籍差別」だと騒いでいるのと同じだ。日本という国は、ちゃんとする外国人にはちゃんとする。ちゃんとしていない日本人にもちゃんとしない。それは、責められて然るべきだからだ。

<小学生の時、韓国籍の友だちが「朝鮮人、朝鮮人」と日本人にからかわれた。仲裁に入ると、河も標的になった。新聞配達のアルバイトをしていた時には、日本人の同級生に待ち伏せされ、一緒に働いていた友達を連れていかれたこともある。顔中アザだらけの友達を見て「なぜこんな目に遭わなきゃならん」と怒りが込み上げた。>

だからそれは「朝鮮人だから」だというのか。日本人でそのような目に遭った者は、すべからく自分に原因があり自業自得で、心清らかな朝鮮人にだけは差別心むき出しの日本人は、虐めを繰り返したというつもりなのか?虐められた経験など、そこらに転がっているではないか。理不尽なことは「国籍」に関係なく起こり得ると、その年になっても気づかんか?では、特亜の国では「日本人!日本人!」と虐める子供は皆無なのか?

50も過ぎて、甘えたこと抜かすんぢゃない。

その「差別」や「国籍」に逃げ込むことが、世間から蔑まされるべき愚であると知れ。

「5」へ

■2008/01/04 (金) ガチコメ的「地球家族の考え方」5

<河の目指す「共生の場」は着実に形になりつつある。「外国人との間に壁をつくる日本人は多い。その壁が解けたとき、希望にあふれた住みよい社会ができるんだと思う」。そう、つぶやいた河は、二つの名前が書かれた名刺に視線を落とした。(敬称略)>

私には理解できんが、その「国籍」に基づく本名を名乗ることを否定はしない。だが、通名という特権を悪用し、さも自慢げに「名前が3つある」と悪意に満ちた朝鮮人を私は知っている。私も公安で聞かれたことがある。私の活舌が悪く、登録証に記載されている通名とは「違う名前」に聞こえたそうだ。で、こう確認された。

「登録証にあるほうの通名でお願いします。」

常態的にあることなんだと認識した。私は、こんなもん出鱈目だと思った。だから「差別される」ことになると自覚した。そんな出鱈目なことをする民族、嫌われて当然だ。警戒されて然るべきではないか。私も、そんな奴らは警戒する。まったく信用していない。

この50過ぎた在日のオサーンよ。貴様、日本に50年以上も暮らして、

「名刺に名前がふたつある」

ということを異常だと思わないほうが「異常」なのだぞ?それとも、そのどちらかは「ペンネーム」か「ハンドルネーム」なのかww?

「国籍を問わず」などという前に、先ず、己の「名前」をはっきりしろ。貴様、それは「素性を問わず」に近い感覚であるぞ?「素性」のわからん者を警戒することは「差別」ではない。普通のことだ。全世界共通の常識だ。おまけにだ、その「国籍」の者どもは、日本国内において、外国人犯罪のワースト1と2であるぞ?勘弁してくださいとなるのは当り前ではないか。まともに生きてる在日が迷惑するのだ。たとえば、私のような者がな。

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また、別に「帰化」することを絶対とは思わん。だが、そこに「選挙権が欲しい」などという「日本国」に関わることを望むならば、帰化は絶対条件であると思う。

それは、「レストランで食事をしたら支払いをする」と同じくらい当たり前のことなのだ。それがわからんから、もしくは悪意を持って叫ぶから、その薄汚い魂胆が明確だから、嫌悪されるわけだ。住んだこともない「祖国」とやらに愛着を持つのは勝手だが、余所の国に迷惑かけるんぢゃない。日本に住むなら日本に敬意を払え。それは国際人としてのマナーだ。私は日本を愛しているから、日本に帰化するのだ。うらやましいか?

「6」へ

■2008/01/04 (金) ガチコメ的「地球家族の考え方」6

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我が社の社長は在日だと書いた。その「国籍」における感覚を紹介しよう。

「民団でも日本に帰化した奴はいっぱいおる。それは商売がしにくいからや。なにかとややこしいやろ?日本人やってことなら、信用もつくしな。でも、みんな韓国名のままや。オレもそうするしな。コリアンジャパニーズ。韓国系日本人として生きるんや。やっぱり、韓国は祖国やからな。日本人になるのは商売のためや。しゃーない。」

一般的な在日の感覚がこうだとは言わん。ただ、民族教育をどっぷり受けた人はこうなるということだ。冗談ではなく、「他の民族よりも優れている」と本気で思っている。その根拠はすべてが「トンデモ歴史観」に基づいている。つまり、捏造だ。

私が気を許す「北朝鮮籍」だった社労士の先生は、親から入れられた民族学校を中退したという。だから貧乏したと笑う。その先生はキムチも好きだし、韓国料理も好きだし、なによりコリアン女性が好きだww

だが、その先生は民族学校を辞め、自力で日本の大学に入った。彼はこう言う。

「やばいと思いましたよ。無茶苦茶ですもん(笑)。ともかく、朝鮮民族はすごくて、日本人は野蛮で残虐で、劣等民族だとww で、そんなわけないとww」

韓国併合や朝鮮戦争などの話もした。私とほぼ同じ歴史観である。

「あれね、日本が併合しなかったら、今、中国よりも酷いんじゃないですかね?」

日本人にも色んな人がいるように、在日であろうと、アメリカ人であろうと、支那人であろうと、どこの「国籍」であろうと色んな人がいる。それが当たり前であり、普通だ。

民主党の長尾先生が言っていたとおり、

「レッテル貼りはダメですよ。話してみないとわからない。」

ということだな。保守名乗る奴でも変な奴がいるしなww

在日は己でレッテルを貼るのを止めよ。貼られたレッテルをはがすの手伝ってくれ。

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