忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

セクシュアル・マイノリティーに理解が乏しいを理解する

2012年12月06日 | 過去記事



出勤途中、なんとなくラジオをつけると面白くない。しょうがないからNHK教育ラジオにすると、タレントの「はるな愛」が出ていた。よく知らないが「障害者」とか「性同一障害」を取り上げる番組だった。

以前も少し書いたが、私はニューハーフとかオカマに偏見は無い。オカマバーは好きだし、ニューハーフに知り合いもいる。一緒に酒も飲むしメシも喰う。そういえば施設にもいる。80歳になる爺さんのホモだ。認知症の「相手」もちゃんといて、居室でキスしてたとか、ちょっと聞きたくない事実もあった。普段から隣同士に座り、互いの手を握り合っている。

まあ、なんというか、ちょっと気持ち悪いだけのことだ。別に人様に迷惑かけるわけでもなし、私は基本的に他人なら好きにすればいい、という考え方だ。もちろん、娘が男になったり、倅が娘になったり、妻が虎になったり、は許さない。勘当する。これは差別ではなく、我が家の「仕来たり」だから文句は言わせない。いや、妻の虎は我慢する。

その番組。「障害者の性」ということでセクシュアル・マイノリティーをやっていた。50歳の男性が性同一障害、脊髄損傷で半身麻痺、訪問介護のヘルパーが男性だと「お風呂が恥ずかしい」とかやっていた。どうにかならないのかと。

それから「日本はセクシュアル・マイノリティーに理解が乏しい」とか、ステレオタイプの「日本は視野が狭い」「世界から遅れている」をやったあと、これまたお題目のような「(男らしく女らしくではなく)自分らしく生きる」とかで〆る。

朝から不気味な話だと溜息を吐き、ラジオは消した。そしてその日の夜、仕事が終わって帰宅する際、またラジオをつけたら「再放送」だった。エライ力の入れようだが、他に番組がないのか。朝も夜も「障害者のセックス」とか「性同一性障害者のセックス」をやる教育ラジオというのもNHKらしくてよろしいが、殊更に取り上げる必要はあるのか。

なぜ普通に暮らしている普通の人が「TMF(体が男で心が女)」とか「FTM(その反対)」の存在を意識し、偏見や差別がないかを自問自答し、受け入れる努力をし、理解するために学び、その彼ら彼女らを傷つけることがないよう努めねばならないのか。そういう「ちょっと変わったアレ」は、今も昔も「放っておかれる」ことでどうにかなってきた。お好きにどうぞ、と社会は認めてきた。あるけど見ないように、いるけど気にしないように、と気を使ってきた。それ以上は求め過ぎだ。「変な目で見るな」とか何様のつもりか。

というかそもそも、毎日毎日、テレビで「オネエタレント」やら「ニューハーフ」を見ない日は無い。「はるな愛」のラジオだってそうだろう。とっくに市民権は得ているし、とくに偏見なんかも無い。モノには限度があるし、適度というモノもある。これ以上になると「利権」とか「特権」がちらほら見える。例えば、テレビでよく見る「巨漢の女装タレント」は安倍さんが総裁選出されたとき<安倍晋三は腹が痛いといって国を売りとばしたみたいな馬鹿>とコメントした。これが問題とされないのは、このデブオカマが「性同一障害だから」なのか。しかし、石原前東京都知事が同性愛者について<足りない感じがする>と言ったら差別ななんだ、大騒ぎで批判していた。自分は良くても他人はダメ、なのか。

つまり、これは支那朝鮮人の言い分と同質なのだ。日本と日本人に対する誹謗中傷は問題とされず、支那朝鮮に対する言葉は慎重に選ばされる。大きな声で被害者を演じるのは、差別を利用して「特権化」させる常套手段である。もうこの構図は飽きた。



障害者もそう。

過日、内閣府が障害者に関する世論調査を行うと、商業施設や販売店が「車椅子用のスロープ」を設置していないのは差別かどうか、と問うと「思う」が47%だった。「障害者への偏見がありますか」については9割以上が「ある」だった。また、日本は2006年、国連が採択した「障害者権利条約」を批准していない、と批判する声がある。そこで内閣府の担当部会は世論調査を受け、ここに「障害者差別禁止法」も付け加えろ、という意見書を出した。立派なお役所仕事ではある。

しかし、日本にはもう「障害者基本法」をはじめとする「障害者総合支援法」もある。これ以上、いったいナニをするのかと思えば、それは「障害者を排除するような措置は禁止」ということだった。つまり、すべての商業施設や店舗は自己負担によりバリアフリーを義務付ける、ということだ。これをしていなければ「差別」「排除」だと訴えられる。

現在「罰則などは無い」という努力義務だとされるが、罰則は無くとも損害賠償は求めることが出来る。つまり、寄せられた「差別の事例」とされる「知的障害者の子供が騒ぎ、病院から“他の人の迷惑になりますから”と注意された」り、車椅子に乗る本人ではなく「介助者に話しかけたり」すればアウト、本人が著しく傷ついた、と訴えれば損害賠償の根拠法ともなるのが「障害者差別禁止法」だ。「人権擁護ナントカ」と同じようなモノだ。

健常者に対して無理難題、言う通りにしなければ罵詈雑言。昨年だったか、地元で友人と飲む際、近鉄奈良線の某駅改札口で「こっちは身体障害者やぞ!オオゴトにしたるぞこるぁ!」と駅員に怒鳴り、改札口の壁を蹴りまくるオッサンがいた。ピンクのセーターで化粧の濃い女の肩を抱いていた。駅員は通報して強要罪とか脅迫罪で訴えるべきだが、これも相手が障害者様なら我慢する他ない。勝てるわけない、となる。



昨年7月、大阪市平野区で無職の大東一広(42歳)が実の姉を刺殺した。姉は生活品などを届けに来たところ、腹などを数か所、包丁で刺されて殺された。大東は30年間も引き籠っていた。アスペルガー症候群と診断されていた。

検察の求刑は懲役16年。今年の7月に大阪で行われた裁判員裁判で下された判決は、求刑を超える懲役20年だった。要すれば「こんなの刑務所に入れておくしかない」だった。世間の常識を知る裁判員裁判の甲斐があった判例だが、被告の弁護士団はともかく、案の定、障害者団体やらメディアは「障害に対する無理解」を言った。しかしながら、毎度毎度、おまえらは被害者とか「殺された人に対する無理解」が過ぎる、と呆れたモノだ。

反原発でも頑張っている後藤昌弘とかいう弁護士は、この判決に恐れ戦き<ナチスの強制収容所に入れられたのはユダヤ人ばかりではなく、常習的犯罪者や障がい者もいたと聞く。社会防衛の名の下に、犯した罪と無関係に市民を隔離することが許されるという恐ろしい社会が来ようとしている>とか、中日新聞に阿呆を書いた。困ったらナチスを引っ張り出すのも常套手段か。どこが<犯した罪と無関係に市民を隔離する>なのか。大東はちゃんと、実の姉を刺し殺しているではないか。アスペルガーだから放り込んだわけでもない。

日本人で健常者で男性、自民党支持者で憲法改正論者は我慢ばかり。日本が好きだと言えば極右扱い。日本も軍隊を、と言えば危険分子。脱原発は無責任と言えば原子力村。慰安婦も南京もおかしいじゃないか、と言ったら歴史修正主義者。右翼扱い。もういい加減にしたほうがいい。



そういえば、野田総理も大阪府寝屋川市の街頭演説で<(首相には)胆力が必要だ。 途中でおなかが痛くなっては駄目だ>と言ったとか。仮にも一国の首相が「巨漢オカマ芸人」とか「無責任な阿呆のコメンテーター」と同じレベルの中傷しかできないことに唖然とするが、先ほどの「障害者総合支援法」における「障害者の定義」には「難病」が含まれる。つまり、原因が不明で治療にも抵抗性のある「潰瘍性大腸炎」は厚生労働省が指定する「難病」である。すなわち、この国の首相やメディアは「障害」を嘲笑っている。

こんな連中が弄る差別やら虐め、人権やら平和に正当性があるはずもない。



2 コメント

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Unknown (あきぼん)
2012-12-10 07:59:12
どんな団体でも現状のある事の 「感謝」を忘れると
いっぺんに胡散臭くなり、揚句に醜くなりますね。

かくいう私も忘れっぽいので、晩酌の折反省したり
言の葉を開き背筋を伸ばすよう心がけております。

週末、忘年会楽しみにしております
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Unknown (久代千代太郎)
2012-12-12 10:28:16
>あきぼん殿

おお、もうすぐですね。楽しみですな。

飲み過ぎないよう、お互いに気をつけましょう。。。。
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