忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

高梨「検査方法いつもと違った」やり直し求めるも受け入れられず

2022年02月11日 | 忘憂之物





「ドイツ人、大会により再び各国の仲間に」とニューヨークタイムスが報じた3年後の1939年9月1日、ナチスドイツはポーランドに侵攻。御存じの通り、その後は最悪の世界大戦になった。真偽不明ながら、ナチスのプロパガンダに国際社会が総じて騙されたことになっている。

そんな大会でアメリカ代表の黒人選手、ジェシーオーエンスが金メダルを取った。ウイニングランをした際、ヒトラーは立ち上がって手を振った。オーエンスも手を振り返した。無防備にもそれが世界に報じられて「ヒトラーは人種差別者」のイメージが大いに軽減されると、現地にいた記者らはベルリンの街に「公共の場所へのユダヤ人立ち入り禁止」どころか反ユダヤ関係の看板もなかった、と報じる。ナチス政権はとても温かいもてなしをしてくれた、社会は秩序が守られている、と称賛した。日本も「前畑がんばれ」を23回、「前畑勝った」を12回叫んだとか、日本初のラジオによる五輪生中継はいつかの大河ドラマの通り、大いに盛り上がった。

そんな「祭り」の後、ベルリン五輪の選手村、所長のウルフガング・フルストナー は五輪終了の2日後、ユダヤ人の子孫を理由に軍を退役させられ、なぜだかその後に自殺している。五輪開催の半月前にはドイツ内務省がベルリンのロマ族を一斉検挙、逮捕されてベルリンのマルツァーン郊外の特別収容所に入れられていた。「スポーツによる平和の祭典」。嘘は大きいほどバレない。

五輪史上初の「聖火リレー」もあった。ギリシャのオリンピアを出た「本物の炎」はブルガリア、ユーゴスラビア、ハンガリー、オーストリア、チェコスロバキアを通過して、ヒトラーの待つベルリン、オリンピック競技場に届けられた。ナチス政府は聖火リレーのコースを綿密に調査しているが、五輪後、このコースの逆を辿ってドイツ軍は侵攻した。調べは済んでいた。

まさに五輪のポリシー「より速く(Citius)、より高く(Altius)、より強く(Fortius)」をもって ヨーロッパを侵攻したわけだが、その所為で次回開催だった東京、その次のロンドンは中止になる。北京冬季五輪のあと、夏はパリ。冬はミラノとコルティナ・ダンペッツォの共同開催とか。夏と冬が違うだけで「同じ結果」にならないよう願うばかりだ。



ちなみに―――


そんな「ホロコースト五輪」だったが、日本人選手が男子マラソンで金メダルと銅メダルを取っている。金メダルは孫基禎。日本統治時代の朝鮮、新義州近郊出身の選手だった。銅メダルは南昇竜。全羅南道の順天出身だ。その後のメダルは円谷幸吉の銅、君原健二の銀しかない。つまり快挙だったわけだが、ちなみにベルリン五輪の出場国における「植民地国代表」はイギリス領のインド帝国とバミューダ、アメリカ領フィリピンだった。

「韓国は日本の植民地でした」が本当なら、ベルリン五輪には出ていないか、万が一に出ていたとしても「日本領朝鮮」として、バミューダの次くらいに並んでいるはずだ。それから「日本名を無理矢理つけられた」もどこにいったのか。堂々たる朝鮮名で世界五輪でメダルも取っている。

ナチスドイツは1933年にすべてのスポーツ関連団体に「アーリア人のみ」の方針が伝えられている。ボクシングのアマチュア王者だったエーリッヒ・ゼーリッヒやテニス選手のダニエル・プレンなども「ユダヤ人だから」を理由にドイツのスポーツ界から追放、除名されている。

もちろん、ベルリン大会にはユダヤ系選手がドイツ代表として出た。女子個人フェンシング のヘレンメイヤーだけだが、彼女は銀メダルを取った表彰台で「ナチス式敬礼」をしてアメリカに戻った。彼女の家族はまだ、ナチス支配下の労働キャンプにいた。たぶん、そういうことだったが、この話の裏にはIOCが西側諸国のボイコットを防ぐために「参加させた」という風説もある。いまのIOCをみるに、とても信憑性を感じる。



いま行われている北京冬季五輪。開幕式ではウイグル人の女性選手が、漢民族の男性との聖火リレー、最終ランナーだったとか。ベルリンの聖火ランナー、最終はフリッツ・シルゲン。ドイツの陸上選手だった。目立つ最終ランナーにユダヤ人を使うことはヒトラーでも照れ臭かった。習近平は世界を騙すつもりもない。もう隠しようもないが、つまり、世界をおちょくっている。

ほとんど見ていないから知らんが、細切れのニュースだけでも、日本人だけではなく、各国のメダル候補がたくさん失格になったり、妙な採点に戸惑ったり、ズルをした中国選手が金メダルを取ったり、おかしいんじゃないか、とやっている。私の感想だが、ぜんぜん、まったく、おかしくない。

そもそもが欧米諸国が選手や関係者に対し、中国には「PCやスマホを持ち込むな」と注意喚起せねばならない国、という前提からして「こんな国で五輪とかおかしい」と思わねばならない。

日本政府は直前ギリギリに注意していた。さすがは岸田政権と感心するほかないが、その呑気さは政府だけではないということだ。毛沢東は自分に靡かぬ村人全員、自分で墓穴を掘らせて生きたまま埋めた。その後継者が大会宣言を行う五輪だ。そこに「スポーツだけは公正にするはず」とか「政治的なことは関係ないはず」とか「中国大好き」とか思って参加したなら仕方がない。スマホを捨ててから、がっかりして帰国すればいい。帰りの飛行機の中、腹を触って臓器を数えて全部あるなら儲けもんだ。強制収容所の目と鼻の先で寝泊まりして、共産党員でもないのに無事でいられるのも五輪効果だ。

高梨沙羅選手ら、悔しい思いをした選手や関係者は気の毒だが、あんまり誰も驚いてはいないということも事実だ。今後、国際社会はもう諦めて、例えばTPPに中国は入れないのと同じだ。他民族大虐殺、領土拡張主義、人権蹂躙だけでも「平和の祭典」とか仲間にしてはいけない。「QUAD」に中国を入れるようなものだ。つまり、中国共産党が主催のオリンピックなど、もはや意味が通じないレベルに堕している。

そんなつまらぬことより、本当に怖いのは「祭りのあと」だ。



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