忘憂之物

忘憂之物 4





たまに深夜にもやっているが、よく日曜日の朝などにはテレビの討論番組がある。疲れのとれぬ起きがけの頭で見ていると、リアルな不愉快が増幅して目が覚めてくる。数分も耐えられないほど強烈だ。酒も飲まずにみていられない。

司会者が「各党の代表の方々に集まってもらいました。さあ徹底討論してもらいます」とか紹介すると、その後はわぁわぁ、相手の話を遮ってやぁやぁ、大きな声でがぁがぁ。気分も悪くなるはずだとテレビを消そうとするが、我慢してよく聞いてみると、どうやらそれだけではないと気付く。

例えば経済について。庶民にはアベノミクスの実感がないとか、格差はますます広がっている、とか左側から言っている。中小企業はどうなるのか、低所得者の生活改善は考えているのか、と政権与党の代表者に詰め寄る。

いつからか政治家は人気商売になったから、政権与党も「マヨネーズが値上がりしたとか、そんな瑣末なことしるか。勝手に何とかしろ。経済なんぞは日本国全体で上がればいいんだろうが」と言えない。そんな本音を言ったらすぐに「弱者切り捨て」などと誹られ、次の選挙まで政治家をやれなくなる。キューピーから苦情も来る。

共産党や社民党、それからみどりのナントカなども「みんなが潤えるように」みたいに無茶を言う。鳩山なんかは地球規模、人類規模で友愛精神を、とかポン中レベルの阿呆も言っていた。世界人類が幸せでありますように、は政治家ではなく宗教家の仕事だ。

そもそも中小企業なんか、ずっと昔から「苦しい」。儲かって仕方がなく、どんどんと仕事があるなら大企業になっている。だからリスクもしれている。ダメなら倒産して負債を抱えるくらいだ。べつに社会的な責任を問われたりしない。くたびれたオヤジが赤提灯で「工場つぶしちゃってさ」で済む話だ。

貧乏人も売春婦と同じく太古からいる。「格差」なんぞは人類生誕の時からセットされている自然の摂理だ。それを人工的に平均化しようとして社会主義は1億人以上を殺した。

国会議員は国家単位、国家規模で物事を考えてもらわねば困るが、国家規模で格差を(是正ではなく)なくせ、とやれば社会主義の失敗になる。「ストップ!貧困!」が政権を獲れないには理由があるのだ。「コンクリートから人へ」もダメだった。人はコンクリートがなければ困る。「電気と命、どっちが大切」も阿呆だった。命を護るのには電気もいる。近代的な生活を営み、且つ、それを維持しようとするなら「必要なモノ」はある。

また、どこかの田舎の年寄りが難儀している、などもいまに始まったことじゃない。それに社会福祉や地域対策などシステムだけの問題でもない。ご近所の世話焼きや気の良い隣の主婦が、あるいは近くに住む息子夫婦とか、あくまでも「日本の社会風土」自体がなんとかしてきたことだ。

それは「感謝の連鎖」であり、日本独特の「情けは人のためならず」を文明として成り立たせた実態である。例えば最近、日本国内で財布や現金を紛失、それが届けられた合計金額が189億円とあった。それも「千円以下」の金額が最も多く届けられていたとか、人がいなければ何でも盗む支那人が大いに驚いていた。

東北の震災でも、津波に流された金庫は6000個近くあった。中の現金を数えると23億円。これも大半、可能な限り持ち主に返された。これには欧米もびっくりしていた。

日本人が道端で金や財布を拾うと「拾った、ラッキー」ではなく「失くした人は困っているだろう」が心に浮かぶ。それから拾った金をポケットに、のリスクも知っている。わずかな金で泥棒になることを避ける。また、金額の多寡ではなく自分が「拾い乞食」になることに耐えられない。こういう民度、文化はシステムで育成、管理できない。政策でいうなら教育関連の政策しかない。だから日本人の民度を支那朝鮮レベルに堕したい共産党や社民党は「日本人たるもの」みたいな教育に反対する。

もちろん、弱者対策や貧困救済は政治の仕事ではある。しかしながら先ず、その対策を講じる国家、救済を施す社会というモノが確立していなければならないのも自明だ。つまり、国会議員が日本国レベルで「良くする」政策を作りだし、法案化して世に出すことで成る「結果」なのだ。それから見落とした部分、生活現場での諸問題は地域や市町村、隣近所で穴埋めをする。困っている人を助ける、声をかける、見守るなどを勝手にやるわけだ。日本はずっとこうやってきたし、それが可能だったのは「日本人たるもの」という教育の賜物だった。教育ニ関スル勅語、いわゆる「教育勅語」はその再確認だった。

それでもいまの日本、ちょっとだけ「日本人たるもの」が弛んできていた。貧乏でも無職でも「国が悪い」と言って平気でたかるのも出てきた。なにかあっても自分は絶対に正しい、悪いのはいつも相手という感覚でいる。なんでも「日本が悪い」で済ませる支那朝鮮マインドと同じだが、政治家は国民の合わせ鏡でもある。公的な影響を考えもせず、自分の主張、あるいは自分の党の言い分だけをがぁがぁやる姿はみっともないが、そういう政治家をのさばらせているのも国民だった。だから民主党なんぞが政権も盗った。

そでで痛い思いをした日本国民は2度目の安倍政権を誕生させた。さすがは日本民族、失敗を認めて改めたと感心したモノだが、先の都議選では自公圧勝の結果とはいえ、共産党も9議席から17議席へと躍進、堂々たる「第3党」になったとか。なかなか奥深い国民性だ。
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