忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

ツシマテンは可愛いけど凶暴につき

2012年02月10日 | 過去記事





唐・新羅連合軍は百済を滅亡させる。660年だ。それから3年後に「白村江の戦い」となる。倭国は毎年遣唐使を送り、いまと同じく「外交的解決を」と望むが適わず、百済は唐に支配される。倭国はそれでも漢族とは相容れない、と知っていたから百済遺民の反乱を助ける。

倭国は800の船に4万人の兵を3派にわけて朝鮮半島に上陸。現在の錦江近郊、白村江で戦いを繰り広げるが、劉仁軌の火計に半分の船をやられて負ける。敗戦をうけた天智天皇は、唐・新羅連合軍が報復、侵略に来るのではないかと西日本各地に防衛砦を築く。そこから倭国は急ピッチで律令国家へと進む。701年には大宝律令制定、倭国は「日本」となる。

過去、日本はこのように敗戦というか、外国からの侵略がみえたとき、国家防衛を急ぐ、ということを繰り返してきた。しかしながら、国家として初めて「他国からの支配」を受けた1945年だけは真逆に進まされた。本当なら1952年、すぐにでもGHQ憲法を破り捨てて核武装すべきだった。それをしなかったから、いまでも困った国になっている。

ま、それはさておき、その「白村江の戦い」でやられたとき、日本人は対馬北部、朝鮮半島に最も近い千俵蒔山に烽(すすみ)を置いた。狼煙だ。大陸から軍隊が来たぞ、となれば狼煙を上げる。すると、その煙を見た久原の黒蝶山でも狼煙を上げる。次は豊玉仁位の天神山、次いで大山嶽とつなげてから白嶽、荒野隈の防人も続く。狼煙は対馬南部の竜良山が最後となる。これを海を越えた壱岐で確認、備前、筑前と伝えて最後は大宰府に届く。対馬が国境の島、国防の拠点、と呼ばれる所以だ。

対馬藩の「朝鮮方佐役」だった雨森芳洲の孫、松浦桂川は「対馬は『朝鮮抑えの役』と言っているが、現在の対馬には大した備えがない。しかし、対馬は朝鮮一国への備えではなく、中国や周辺の夷狄への備えである」と言っている。いまから250年ほど前のことだ。

ともかく、対馬は国防の拠点であるのに人も金もない、と松浦桂川は憂いている。「対馬を外敵が占領すれば日本の大事となる」として西国の諸侯からも金を集めよ、最低でも5万両~7万両は必要だという計算もした。これまでも何度か、地政学的な理由だけで対馬は外国勢力との衝突の場にもなっていた。松浦桂川だけではなく、このままでは、いつかやられるぞ、という警鐘は鳴り止まなかった。そしてそれは1861年、文久元年に現実化する。

尾崎浦にロシアの船が来た。「船が難破したから修理させてくれ」とビリリョフ艦長が言った。この男はロシア帝国海軍中尉だった。ときの対馬藩主宗義和に修理工場を立てる資材と食糧、そしてなぜだか女を要求する。「ポサドニック号事件」だ。


対馬藩内では対応を巡って協議する。協議の内容は簡単だ。戦って追い出すか、それとも話し合いでなんとかするか。そうこうしているうちにビリリョフは兵隊を芋崎に上陸させる。名目はまたしても「修理工場」だ。しかし、兵舎や練兵場もある。誰が見ても「基地」だった。また、ロシア兵はなぜだか沿岸を測量し始めてもいる。長閑な対馬の村ではレイプ事件が起こる。木材や食料、薪炭が奪われる。牛馬がいなくなる。煮ても焼いてもロシア人、やることは一緒だ。

上陸からひと月ほど、ビリリョフは芋崎の租借を言い始める。永久租借だ。つまり、この地を渡せと、船が難破だぁ?お前らはどれほど呑気なンだと本性を現す。ロシア兵ももうこそこそしなくていい。好き放題やってよい、とされたロシア兵は大船越の水門を通過しようとする。ここには対馬藩の警備がいる。これを制止すると、ロシア兵は躊躇いもなく松村安五郎を銃殺する。そのまま郷士を2名拉致して捕虜だとした。そしてそのまま番所を襲撃する。武器を強奪し、反撃に出た郷士も住民もいたということで、翌日には100人を越える兵隊で大船越の村を襲撃、略奪の限りを尽くす。

対馬藩主、宗義和はそれでも食料や塩、薪炭を送り続ける。どうか、ひとつ、このへんで勘弁して出てって下さいと。村は襲わないでくださいと。しかし、それも無理もない。長崎奉行の岡部長常は対馬藩に「紛争を回避せよ」しか言わないからだ。ビリリョフには書簡を送っている。それは不法行為ですぞ、という内容だ。強盗が、それは強盗だと言われて止めるなら警察はいらないが、それがいまでは「遺憾の意」となる。無意味、という意味では同じだ。

このままでは対馬は盗られるし、対馬島民は皆殺しにされる、となって、ようやく幕府も動く。外国奉行の小栗忠順を対馬へと派遣、ロシア総領事にポサドニック号退去を要求する。状況を把握した小栗は江戸に戻り、対馬の重要性を説いて江戸幕府の「直轄領」とする提案を出す。これは外交問題だとして、国際世論に訴えるべきとマトモをやるが、老中はコレを却下、小栗は辞任させられる。理由はすぐにわかった。イギリスも対馬を欲していた。老中・安藤信正はイギリス公使オールコックと協議し、イギリス東洋艦隊の軍艦2隻が対馬にて示威行動をとらせる。イギリス海軍中将ホープもロシア側に厳重抗議、なに先手を打ってるんだ?イギリスとやるつもりか?と凄む。

分が悪いと見たロシア領事ゴシケーヴィチは対馬にてビリリョフを説得。1861年9月19日、ポサドニック号は帰って行った。そのときロシア人の作った不細工な工場やらも壊した。それから明治維新となる。イギリス政府に「対馬を征服しましょう」と提案していたオールコックの思惑は外れた。安藤信正は坂下門外の変で「武士なのに背中を切られた」と笑われ、女性問題がバレ、収賄もバレて老中をクビになった。維新で新政府軍と戦うも敗れ、居城の磐城平城も落城する。イカレコレの最後だが、いまの日本のズルイ政治家も首のあたりが寒くならないか。

ま、ともかく、明治政府が帝国陸軍を健軍すると、対馬には特別部隊を置いた。これが現在の陸上自衛隊対馬警備隊の所縁になる。対馬は日本の防衛上、非常に重要な拠点であると周知された結果だ。だからいま、韓国人は竹島は不法占拠するが、対馬には資本を入れて自衛隊基地周辺の土地を買う嫌がらせをする。旅行者を増やし、商売をさせ、島を汚す。

街路樹を勝手に抜き、代わりにムクゲを植える悪戯をする。韓国の与野党議員も「対馬返還要求決議案」を発議させる。日本に来て日本語が読めない、と無茶を言って困らせ、島中をハングルだらけにして喜ぶ。私が泊ったホテル、いや、もう名前を出そう。厳原の「ホテル対馬」だ。そこの「非常口」がハングル表記だけだった。消防法違反じゃ?と従業員に問うも鼻で笑われた。ここは「テマド」だとでも言いたいのか。

しかし、だ。

いま、韓国の海運会社「大亜高速海運」に対して長崎県と対馬市が約4600万円の補助金を出して、韓国人観光客を誘致しているとバレて騒ぎになっている。その海運会社は竹島を遊覧する便も運航している。船内では竹島は韓国領土、とするPR映像を流しているとのことで、日本の「保守」らからは非難轟々、金のために国を切り売りするのか、と叩かれている。対馬市も非難は承知の上だったらしく「批判もあると思うが、島の振興のために大亜便は必要と判断し、支援を決めた」と説明もした。これに対しても「無理ない」と理解する声もある。愛国心はわかるが、それでは喰えないからだと。以前、このブログでも書いたが、北方領土の「レポ船」と同じだ。北海道の漁船はロシアに情報を流してカニ漁を見逃してもらっていた。これも喰う為だった。

日本政府は「北方領土は日本の領土です」と言いながら何もしてくれない。でも漁師はカニを獲らねば喰って行けない。対馬島民も「韓国人お断り」で頑張る店もあるが、いつかは妥協して受け入れる、あるいは対馬から出るしか道がない。喰って行けないからだ。高齢者は更にどうしようもない。対馬の福祉介護関連の求人をみると泣けてくる。給与が京都、大阪の3割減だ。行けば分かるが物価は安くない。離島だから高いモノはあるが、安いと感じるモノなどない。対馬島民はそうやって生活しながら税金を払う。

例えば、そうやって必死になって集めた補助金4600万円を日本の旅行会社に出そう。ならば年間、6万人もの日本人が来るのか。大挙して押し寄せる韓国人観光客は、たしかに韓国資本の企業に金を落とす。そのおこぼれ、わずかな分だけが対馬島民の収入になる。商売のしやすい相手ではない。そもそも「商売がしやすい」で日本人に適う客層はない。しかし、だから対馬島民に「朝鮮人を叩き出せ~」だけで済むのか。韓国人がいなくなれば、日本人旅行者は増えるのか。そもそも武装したテロリストでもない韓国人旅行者を、マナーが悪いというだけで締め出すことが可能なのか。過日、日本の国会議員が韓国に入国できなかったことを、我々は馬鹿にしたのではなかったか。先進国がそんなことも成っていない、と笑ったのではなかったか。

つまり、韓国人観光客は仕方がない。来たいなら来るし、それをイデオロギーで拒む愚は説明の必要すらない。もちろん、度を越した旅行者にはナニ人であれ出入り禁止、もう来るな、ということはできる。そして国が成すべきは現状を把握し、問題を解決する法律を創ることだ。いまなら「外国人土地法」の見直しは必須だろう。「プロ釣り師」などの対応も急がれる。上対馬の寿司屋で一緒に飲んだ漁師も「撒き餌」には難儀していた。「あいつらは海を汚すことをなんとも感じない」とも驚いていた。先ず、困っているのは地元の人間なのだ。だから、今回の対馬市の補助金問題に際しても、反対の声を上げるのは先ず、地元の人間からだ。地元が反対しているのかどうか、コレは重要な確認事項である。

それに「島を丸ごと基地にすればいい」も正気か、と思う。あの雄大な自然を観光も出来ぬ軍事基地にするつもりか。いま現在の対馬でも「観光客が入れぬ」ところはある。少なくない。心配せずとも、対馬はすっぽりと基地だらけだ。対馬島民と陸上自衛隊対馬警備隊は持ちつ持たれつ、その関係は信頼の基に成り立っている。韓国人のチンピラが暴れても、警察より速く自衛官が駆けつける。赴任している間はちゃんと島に金も落とす。

それよりも、だ。

私が対馬に行って2日目か3日目、厳原をウロウロとしていたとき、昼飯を食いに道路沿いの食堂に入った。周辺にはそこしかなかったからだ。ここで「からあげ定食」を食べた。申し訳ないが、美味くもなんともなかった。安くもない。タクシーの運転手が客でいた。常連らしく、のんびりとオバサンと話していた。ヒマそうな店だった。

この店をそのまま、京都に持ってきたら3日で潰れる。こういう店は少なくない。つまり、対馬はホントに何もない。レンタルビデオ屋も空港近くにしかない。映画館はないから公民館で古い映画をやる。それに子供や学生は集まる。健気なモノだが、こういうところにいまの日本人が家族を連れて、あるいは彼女を伴って何をしに行くのか。野鳥を観に行くとか、自然を観に行くとか、あとはもう海しかない。そこに「外国だ」というだけで韓国人がたくさん来る。それはもちろん、迷惑もかけるが実際にやって来てくれる。言うだけではなく、ジェットフォイルで何万人も来てくれる。島民にそれを断われと言うか。

嫌韓ブームもたいがいにしろと言いたい。冷静になれと言いたい。

いま、言うべきことは国会議員に対してのみだ。「自衛隊の基地周辺の土地を買わせるな」しかない。対馬のアピールもして「交通の便が良くなれば儲かるかも」と旅行会社に思わせるのも手だ。関空から直行便があれば、確実にいまよりは日本人旅行者も増えるだろう。しかし、それもそれだけの話なのだ。

対馬市や対馬島民の愛国心を問うなど何様のつもりか。ならば自分が住めばいい。家族を連れて対馬に引っ越せばいい。次の選挙で「補助金反対」を言う候補に投票すればいい。もしくは「朝鮮人は追い出します」と公約を挙げて立候補すればいい。それでようやく「お前らも来い」と言えるだろう。

繰り返すが、いま言わねばならないのは国会議員に対してだ。外国人土地法もそうだし、外国人地方参政権もそうだ。選挙権がなければ韓国人が何人住みつこうが関係ない。所詮は外国人だ。単純に朝鮮人は無条件で嫌いなのだ、という人は勝手にすればよろしい。身近な朝鮮人を殺してみるのもいいだろう。勝手にすればいい。しかし、本当に対馬を憂うならば、対馬島民、つまり、そこにも日本人がいるのだ、ということを忘れないようにしたい。そこで生まれてそこで生きている日本人が昔からいる。だからこそ、それを護るのは日本国、日本人となる。監視すべき対象は昔なら幕府、いまなら政府だ。


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