3日の産経新聞。「派遣切り。孤独な新年」という記事の真横に「ただいま」と見出しのついた記事が並ぶ。正月を海外で過ごした家族の帰国ラッシュを紹介している。▼「恋人や友人と伊勢神宮に初詣に行った想い出が・・」と嘆く33歳男性。手持ちの3万円で実家に帰るわけでもなく、ネットカフェを泊まり歩き、所持金は2000円ほどになったという。▼また、関西国際空港によると、4日がUターンラッシュのピークだそうだが、その前日でも2万人近くが帰ってきた。カートにお土産を積みあげた人で混雑している。▼こちらは路上生活寸前、あちらは正月から海外旅行。一見すると絶望的な格差社会にみえないこともない。そしてこの記事を意図的に「並べた」のなら、産経新聞も捨てたものではない。▼だれでも正月から海外で過ごせるわけではない。いつもいつもというわけにもいかない。その年は何か特別だったのかもしれない。それにホームレスは昔からいる。つまり、これらは「当たり前のこと」に過ぎない。▼「派遣村」の「村民」に対し「まじめに働こうという人たちが集まっているのか」と発言した坂本政務官に、野党などから罷免要求が出ているらしい。そしてその「村民」は一人当たり最高で5万円支援されることになる。▼「ハンコ代がない」「交通費がない」と駄々っ子のような「村民」を、普段、血の滲む思いをして税金を払っている人々が養わねばならない。ハンコも買ってあげねばならない。▼「当たり前」の崩壊だ。だから産経新聞はニュースとして並べて扱った。「当たり前」はめずらしい時代になった。