忘憂之物

来年も。ね♪

■2009/09/11 (金) 来年も。ね♪1

気付いたのだが――――

8年前の9月11日、30歳の私は40歳の社長マンと居酒屋にいた。居酒屋のテレビがついていたのだが、カウンターで飲んでいる客の「お?うわぁ!なんやこれ!」という声に反応して画面を見ると、アメリカの世界貿易センタービルに旅客機が突っ込む映像が流されていた。

続いて、ビル自体が爆破解体されたように崩れ落ちる映像が流される。「戦争が始まった?」という声も聞こえた。私は社長マンをホッタラケにして、焼酎を持ったままテレビの前に陣取った。なにもない、ただ、「うわぁ~~」と思っていた。不安もない。なにもわからないし、どうなるのかもわからない。「有事」とはそんなものなのだろう。

それから、毎年、なぜだか8年連続で、この9月11日には「どこかで飲んでいる」ことに気づいたのである。産経新聞に叱られるのではないかと思うほどだ。

だから今年も慌てて朝日新聞の社説を読んでみた(笑)。

http://www.asahi.com/paper/editorial20090911.html
<9・11から8年―「テロとの戦い」を超えて>

「超えて」と書いてあるが「超えて」どこに行くかはわからない。また、朝日新聞は書いていないが、被害者3千人のうち24名は日本人が死んだのである。

最後だけ引用するが、

<アフガニスタンをどう再建するか。いま世界が直面するもっとも難しい課題の一つだ。しかし、はっきりしていることがある。イスラム社会との対話を深めることなしに、イスラム過激主義にうち勝つ道は見いだせないということである。>

この新聞は8年経っても「対話を深めろ」と書いている。まあ、対話するだけならインド洋で自衛隊が給油する必要もないから、それで話が済むなら大歓迎ではあるが、朝日新聞や社民党は一所懸命に「そうすべき」と言うも、残念無念、相手が聞いてくれないから話にならないのである。また、それと同じ量だけ支那共産党に向けて発信してほしいところだが、たしかに「皆殺しにして解決」とはいくまい。支那共産党じゃないんだから。

「2」へ

■2009/09/11 (金) 来年も。ね♪2

そして、わかりやすい「国際社会VSテロ組織」という構図に気をもむ前に、日本国に照準を合わせているテロ国家をなんとかせねばなるまい。明らかに順番が逆だ。

無論、海洋国家である日本は台湾海峡を介する「シーレーン」の安全確保は死活問題であるし、地球に日本がある限り「アフガニスタンの再建」も国益に影響する課題であることは間違いない。なにより、同盟国であるアメリカが3000人も米兵を追加しているわけだから、給油くらいはしておかないと何を言われるかわかったもんではない。

しかし、だ。

アフガニスタンの問題など、どうせ時間も金もかかる話なのである。日本国は「できること」をやるべきであり、先に解決しておかねばならない問題こそ優先させるべきであるというのだ。でなければ、たかだか「給油するだけでも大騒ぎする」ようなわけのわからん国が、今後、どのような扱いをされるのかと思うに、それこそ背筋が凍るのである。

そして、言うまでもなく、最優先で解決せねばならない問題とは「北朝鮮による日本人拉致攻撃」である。この問題を放擲しているから、国際社会の問題に口をはさむ権利すらないと侮られるわけだ。

また、今まではある意味「金だけ」で済んだかもしれない。無論、その金は日本人が心血を注いで得た「血税」であるが、湾岸戦争において莫大な金額を差し出した日本は、アメリカから感謝もされなかった。今度は「金だけでなく人も出せ」と命令されるだろう。そして、次期政権はガソリンの代わりに自衛隊を派遣するのである。

「3」へ

■2009/09/11 (金) 来年も。ね♪3

相変わらず、そこに「日本人の意志」はない。ただ、国際社会の都合と大国の意向に沿うだけだ。自国の国民や領土さえ護れない国は、いくら金があっても国際社会から認められないのであろう。流れに流されて、まさに「コップの中の嵐」だけでわぁわぁと政治屋が騒ぐだけだ。そして、またもや日本国民は「目先のはした金」に転んで、大義を問う政治家を落選させるという愚を犯した。

「命をかけて拉致被害者を取り戻す」という政治家ではなく、高速道路がタダになるとか、子供を養う足しにしろと金を恵んでくれる政党を大勝させて、今、本当にそうなるのかと、いや、そもそも「それで大丈夫なのか」と無責任な不安感を隠しもしない。どころか、開票日の翌日から市役所に電話し「いつから金がもらえるのか?」と催促して、衆愚政治の堂々たる結果を晒す始末である。

また――――

アメリカは全世界にテロリズムを拡散させて当惑している。真正面を見つめ、真一文字の口元のまま吊るされたフセインを、処刑する側だけが「覆面」をつけていたように、薄っぺらな正義はめくれあがって中身がとっくに見えている。64年前には日本で功を成した「占領政策」も、イラクの象徴を処刑し、イラク人の文化や伝統をぶち壊した後では収拾がつかなかった。また、イラク人は日本人のように、焼け野原の水道管ですら「並んで水を分け合う」こともなかった。「年寄りや女子供を優先的に救う」こともなかった。そこまでの公共心は育っていなかった。

「4」へ

■2009/09/11 (金) 来年も。ね♪4

抑圧された多くの民は暴徒と化し、力で作った秩序は崩壊した。無法地帯における宗教とは、自分を救うためにあって他人を救うものではなかったと証明した。「ブッシュ、サンキュー」と歓喜に沸き、量販店から我先にと略奪するイラクの人々の姿を見て、この国の治安が急速に悪化し、安定を見るには数年では足りないだろうと誰でも思った。朝日新聞などが懸命に「ノー!ブッシュ!」と憤るイラクの一部の民を報道したが、それも焼け石に水だった。治安はなかなか回復していなかった。

9.11のテロ攻撃でいきり立たせたアメリカ国民も、その被害者を優に超える「戦死者」を数えると、急速に厭戦ムードが広がり始めた。これが、国連決議をすべて受け入れ、全てを曝け出してアメリカとの戦争を避けようとしたイラクを、アメリカがその国連を無視して攻撃して滅ぼした結果だ。自分で大火事にしておいて、周囲に「消せ」と命令している。

それでも、とりあえずはそれが現実なのだから、日本は日本国内でテロ攻撃を受けないように警戒せねばならない。あくまでも「現実問題」として、即刻に米軍を追い出すなど、日本国内でのテロを誘発させるようなものだ。今更、社民党が頑張って米軍基地を追い出したところでアルカイダは「日本を標的から外す」などしてくれない。あっさり許しくれるはずもない。

また、繰り返すが、それよりも先に現在進行形で発生している「拉致攻撃」に反撃せねばならない。うっかりすると「対話して国交正常化して援助して」と言いだす不埒な者どもがいるから油断できない。

今は「テロとの戦い」においてはガソリンスタンドでもなんでもいい。先ずは「北朝鮮から日本人拉致被害者を全員奪還することが最優先」なのである。それのみが重要であり、それだけが日本国の存在を護る「始まり」となる。
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