なんだ?来年から通う法学部の課題の参考資料が「朝日新聞ばっかり」だと悩んでいるのは知っている。それも毎年テーマが決まっているらしく、昨年は「少年法」だったとのこと。今年は「死刑制度」か「国籍法」じゃないかと予測はしておいたし、いずれにしても「朝日の論調と逆のこと」が正論であるとも教えておいた。他に何を悩んでいるというのか。なに?おおぉ?ああぁ?なるほど。ンで?なんで?ふ~ん、そりゃおまえが、うん・・
聞いてみたら、ま、こういうことだった。
事例①:倅の場合
クラスの違う女子の友人がいる。先日、そこに男性の友人数名が混じって談笑していた際、倅は男性の友人と認識して話しかけたのだが、振り返ったのは女子生徒であった。倅は相手に対して「おまえな~」と切り出したらしく、相手の女子生徒は「おまえと呼ばれる筋合いはない」として立腹した様子だったとのこと。それから挨拶もしてくれない。ちなみに、その女子生徒に対する恋愛感情もないし、今後ともその可能性はない(笑)。
「どう思う?」と妻は真顔で詰め寄ってくる。私は正直、
と思ったのだが、その前に、だ。いつからか、私もほとんどの女性に対して「おまえ」と呼ばなくなっていることに気付く。そして、それは「妻と知り合ってから」であることも思い出した。しかしながら、その理由とは「偉そうだから」とか「相手が怒るから」などではなく、イヤらしい話だが「相手次第」であるとも自明であった。つまり、その女性に対して「おまえ」と呼ぶことに違和感がある場合である。また、私が「おまえ」と呼んで違和感が無い場合、それは「名で呼ばれる」ことを意味する。名前を呼び捨てに出来る女性のことだ。ちなみに、ここに我が妻が入っていない(笑)。
ンで、だ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101102-00000119-jij-bus_all
<独身女性「彼氏いない」7割=半数が3年以上交際なし―電通総研>
<独身女性の7割が恋人不在、しかも5割が3年以上交際していない―。電通総研が2日発表した結婚や恋愛に関する調査で、こんな実態が浮かび上がった。恋愛に消極的な「草食系」を自覚する男女が6割を占める中、互いに相手の誘いを待つ受け身の人が多いことも原因と分析している。
インターネットでの調査に回答した独身女性757人中、「彼氏がいない」人は69.3%。このうち「3年以上」が34.7%、「これまで付き合ったことがない」が15.2%で、ほぼ半数が3年以上も男性と交際していないとの結果が出た。
また、結婚の条件(複数回答)では「信頼できる」(68.0%)、「価値観が近い」(64.1%)、「安心できる」(61.4%)が上位を占めた。一方、かつて「3高」としてもてはやされた「高年収」(15.1%)、「高身長」(11.1%)、「高学歴」(4.8%)は、いずれも下位に沈んだ。
調査は23~49歳の独身女性を対象に今年2月と9月の2回実施した>
――――さて、この「恋人不在」の7割の半分「3年以上彼氏なし」の女性とは「おまえ」と呼ばれることが多い女性か、そうでないか、さて、どっち?(だと思う?)
ま、もちろん、重要なファクターとして「男性のキャラ」にも影響される。「呼ばれる側」ではなく「呼ぶ側」のことだ。我が倅が、いわゆる「もやしくん」であることは言うまでもない。線は細いし、声は高いし、ニヤケ面だ。こんなのから「おまえ」と呼ばれたら犬でも怒る。倅は高校で「君付け」で呼ばれることが多いと言うが、ちなみに、これは私と同じ現象ではあるも、その原因は全くの逆だったりする。幼き頃の私はナイフみたいに尖っては触る者みな傷つけたわけで、ある意味、とてもララバイララバイだった。しかし、倅は単純に「勉強が出来る子」とされて「君付け」はある種の「おちょくり」を包含した愛称のようなものだ。そんな倅から「おまえ」と呼ばれたわけだから、その女子生徒も拒絶反応せざるを得なかった。もし、そう呼んだのが、映画「クローズ」(※みてませんw)に出てくるような男前の武闘派不良キャラだったら反応は違っていた可能性がある。
すなわち、ンなものはセクハラと同じ、なにをされたか?よりも「誰にされたか?」が重要視されるわけだ。将来有望の爽やか新人サラリーマンから「今日も可愛いね!」と言われたら「そんな・・・ぽっ」となるが、ふにゃふにゃしたニヤケ面から同じことを言われたら「なに?キモイんですけど?」となるのだ。つまり、倅よ、おまえは、そこらの小娘に「おまえ」と呼んでしまっただけで嫌悪されるほどの小物臭がする・・・お、おい、どこに行くんだ・・お、おい・・・
な、なんだというんだ・・・?
「・・・・おとしゃん、サイテー・・・」
むうぅ・・・
・・・・そ、それと、だ。
あとは年齢的なものがある。成熟した紳士は全ての女性に対して偉そうに言わないのだ。強い男は女性に優しくなる。それは子供やお年寄りに対するものと似ている。こういうと「相手が社会的弱者だからか?」という野暮な連中が湧くが、そうではない。相手が弱いのではなく、自分が強くありたいと願うのが紳士的振舞いなのである。
不自然ながら偉そうに振舞うのは、己の弱さを糊塗するために用いられている。周囲の馬鹿をみればよくわかる。他者に対して横柄になり、無責任を恥じない。例えば、民主党の連中がそうだ。懐かしいが、社長マンなどもそうだった。
野生動物でも、自分を大きく見せたり、毒があるように警告したりするのと同じだ。ライオンやトラは保護色になっているが、それはカメレオンと同じ、相手を捕食しやすいようにするためだ。襲われる心配のない、あるいは、襲ってきても「来るなら来い」といえる動物は、自分を大きく強く「みせる」必要が無い。こういう連中は「獲物」に対して「がおー」とやっても許される。「獅子吼」だ。
アフリカのサバンナで「百獣の王」が獅子吼する。それにシマウマやバッファローが「おい、ちょっとマテ。なんだ、おまえは偉そうに。いい加減にしろよ?ああぁ?」とは絶対にしない。しかしながら、日本の総理大臣が国会で演説すると野次が飛び交う。これはサルが吠えていたり、ブタが吠えていたり、ハトが吠えていたり、カイワレが吠えていたりするからだ。先ほど、倅から「おまえ」と呼ばれた女子生徒もそう。相手がヘラヘラ面の倅だったからだ。また、我々が道端で猫や犬、あるいはサル程度までなら、牙をむいて「きー!」とか「がぅるわん!」と威嚇されたら、びっくりすると同時に、少々、人間様としてムカつくのと同じだ。どんなに取り繕っても、そこには「見下している」という感覚が厳然として存在する。
コンビニの帰り道、路地裏を歩いていたら目の前に羆が現れて「がおー!」とされたら光の速さで逃げるはずだ。これに「びっくりさせやがって、あの熊野郎、今日の晩飯にしてやる!」という猛者は少ない。酔っ払いのオヤジにからまれたら「なんだこら?」と凄む若造も、本職の兄さんから「ボク?どこの子?」と話しかけられたら体温を失うのと同じだ。だから、白人は有色人種の国だけを植民地にしていたのだ。
ただ、なんにでも例外はあって、どのような場合でも「自分の生命が危険にさらされる」ならば、どんな小さな動物でも強大な相手に襲い掛かることがある。「窮鼠猫を噛む」だ。
ちなみに、大東亜戦争のときの日本がそうだった。欧米列強の植民地主義を目の当たりにした日本人は、本気で「国が奪われる」危機に直面していたわけだ。これが現代の「平和教の信者」どもには理解できない。想像もできない。また、このような連中は最も下劣な態度を自覚しない。すなわち、「相手が怖くないから横柄な態度を取る」のではなく、更に外道な態度である「相手が怒らないから調子に乗る」を平然と行っている。
倅の事例に戻そう。
倅はその女子生徒に謝ったのだという。それはもう、すぐに謝罪したとのことだ。しかし、それは逆効果だった。相手の態度はより強固に拒絶し始める。もちろん、倅には「謝罪というものは相手の許しを保障するものではない」と教えておいた。つまり、世の中には「謝っても済まぬ場合がある」ということだが、この場合は「謝ったかどうか」だけを問うものであり、事情によれば「相手の許しを得る必要が無い」場合もあるということだ。
この事例もそうだ。倅が謝罪しても相手が無視し続けるならば、これ以上の謝罪は必要ないし、ましてや賠償など話にもならない。それに、これから先の譲歩は「誇りを失う」ことを意味する。もちろん、実益も失うことになる。当然ながら、これ以上は意味が変わってくる。謝罪の意味が「悪いと思ったから」ではなく「交際関係を断たれると困る」に変容する。これはもう「駆け引き」である。すなわち、相手はより一層、倅によりも優位な立場を維持しながら、拒絶、あるいは軽視することを止めないだろうということだ。
しかも、倅に謝罪の理由を問うと「相手が怒っているから」と返る。これが最悪だ。倅はつまり「悪いと思っていないのに謝った」ことになる。もしくは「謝罪したのに許してもらえぬ状況」に困惑していることになる。この相手が女子高生だから問題ないが、これが万が一、支那朝鮮ならばエライ目に遭う。我々はもう、世界中に65年も謝り続けて許してもらえない国を知っている。失った実益はもう、日本があと2個ほど買えるかもしれない莫大なものだ。それでもまだこの国のトップは、ヘラヘラと謝罪&賠償をセットで提供する。もうすぐコーラーとポテトも付けるかもしれない。
沖縄で「米軍基地は出ていけ!」とやる「ど左翼」は、今回の尖閣諸島における追突事件では静かなものだ。理由はいろいろあるだろう。支那共産党はアメリカみたいに呑気ではないし、アメリカは仮にも「言論の自由」が保障されているらしいから、デモや抗議に(表立って)圧力をかけることをしない。もしくは「アメリカは加害者で支那は被害者」という時代遅れの誤った知識が脳を汚染しているのだろう。お大事にである。
また、今回のロシア大統領が国後島に上陸した件も、共産党ですらが気持ちよく非難しているわけだ。日本の外務省も怒り爆発、駐露大使を引き上げたそうだ。支那からは「おまえ」と呼ばれようが「いらっしゃっている」と返す健忘長官がいる日本も、露助のシロクマから舐められた日にゃ黙ってやられてないぞ、と言いたいのかもしれんが、結局のところ、尖閣に続いてこれ以上、弱腰であれ柳腰であれ二枚腰であれ非難されたら政権が吹っ飛ぶ、と無理をしているだけ、あるいは「抗議してますがな!のポーズだけ」だと知れている。形式的な「遺憾の意」を連発するくらいしか実行力のある対策はなかろうと、この国をみている多くの人々も知っている。なんとも情けない国だと、上坂冬子女史も草葉の陰で怒っているだろう。
日本国は我が倅の「ニヤニヤ外交」を笑えない。しかしながら、倅は中学生のとき最初に毅然と対応しないことで、結果的に「相手を殴ってしまった」ことを学んでいる。不埒な輩の要求はエスカレートするのだと教えてある。最初にガツンとかますことが、自分のため、相手のためでもあるのだと説いた。しかし「女相手の場合」を教えるのを忘れたw
倅には「いつか、その女子生徒が、ワタシ、あの人から“おまえ”って呼ばれたことあるの♪」と自慢できる男になれと言っておいた。そうしていると、必ずや、向こうから接触して来る。そして、そのときこそ言うのだ。
「キミは・・だれ・・だっけ・・?wwごめーんww」
とりあえず、私は今から倅の部屋に行ってくる。
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