忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

昨日見た映画「網走番外地」→評価SS 

2009年05月28日 | 過去記事
■2009/05/28 (木) 昨日見た映画「網走番外地」→評価SS 1

5月25日。北朝鮮が2006年以来となる2度目の核実験を行い、連日の短距離ミサイルの発射を強行した。政局と金にしか興味がない日本の国会議員様は知らないかもしれないが、この北朝鮮という国は多くの日本国民を拉致し、日本に対して「3発目」の核兵器を使用する可能性のある国であり、また、日本国に対して数々の恫喝外交を繰り広げている、日本海を間においた朝鮮半島の北側にある軍事独裁テロ国家のことである。

昨日に行われた「党首討論」。日本国の内閣総理大臣と最大野党の新しい代表が意見を言い合っていた。キミのところはそれでいいのか、いや、キミのところこそそうじゃないかと、実にお粗末極まりない「口喧嘩」で無駄な時間を費やし、テレビの中継を見た日本国民は、あるいは新聞報道を読んだ有権者は、どうしようもない不安に駆られ、さぞかし脱力したことであろうと思う。私も居酒屋でぼやいていた(笑。

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「大日本帝国」という映画がある。大東亜戦争初戦の快進撃が嘘のように日本軍は追い込まれる。ミッドウェーの大敗を受け、ガダルカナルに米軍の上陸を許し、アッツ島、トラック島などに続き、ついにサイパンでの玉砕が報じられる頃、東条英樹は反目しあう石原莞爾を呼び出し、この国難を脱するがため相談を持ちかけるシーンがある。

政局でなく、ましてや個人的な主観をぶつけ合うわけでもなく、ただ、ただ、大義を果たさんがために協力しようと持ちかける。結果は石原に蹴られてしまうのであるが、しかしながらそれは「論じる意味」すらなさない絶望的な状況をして、もはや「戦争をやめる(敗北する)」ことを前提とした二次元論でしかないためであった。つまるところ、「やめるかやめないか」という話であるのだが、いずれの選択であれ「亡国」の可能性を包含するものであり、判断ではなく決断を問う種類の問題であるが故の差異である。

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■2009/05/28 (木) 昨日見た映画「網走番外地」→評価SS 2

普通に考えれば、そこに議論の余地はないとわかる。また、平時の今から「負ける戦争をしたのが愚かだった」と酷評して悦に入る腹の腐った評論家でもなければ、当時の日本の選択、あるいは当時の国際社会におけるパワーバランスや、当時の国際常識などを踏まえた日本国の動向を咎めるなどできはしないのである。しかし、だ。

実に、久しぶりに更新する日記の冒頭から怒り心頭であるが、今、現在、そこにある問題においてすら、まるで他人事のような「この国のリーダー達」には呆れかえる他ないのである。「ミサイル」を「飛翔体」と換言する愚昧と同じく、明かなる日本国への攻撃に対して腰が引けることを「冷静な対応」とする「この国のリーダー達」が、どうにかやっと抑止できるのはインフルエンザウィルスくらいなものなのだ。

その二日前の23日。大阪は阿倍野区に“本物のリーダー”がふたり講演会を行った。我が虹の会では初めての主催にて「改革クラブを応援する集会in大阪」を開催した。「虹の会顧問・河内屋蒼湖堂」の司会進行で始まった集会はまず、八尾市議会議員である三宅博議員の、いわゆる「三宅節」で会場はテンションをあげる。次から次へと発せられる「どうしようもない正論」に唸る。「虹の会名物」である「二次(虹)会」の席で幸運にも隣り合った私だったが、唸りっぱなしであった。このおっさんを勝たさねばならぬと強く感じた。

そして、西村眞悟衆議院議員。二次会では向かいの席に来てくれた。安居酒屋と言っては失礼だが、虹の会も金がないので良い店は用意できない(笑)。そして安酒を一緒に飲んだ。「お開き」になる前、心の底から「先生、体だけは気ぃつけてくださいよ・・?」と柄にもないことを言ってみる。「日本国のために」必死に闘っているのだと伝わってくる気がするのだ。理屈ではなく、その生き方自体がリーダーなのである。だから、学びながらも背中を支えたくなる。これこそがリーダーの存在意義ではなかろうか。安モンのビジネス書を開くと書いてあるような「リーダー像」が、大真面目な顔してそこにいるのである。

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■2009/05/28 (木) 昨日見た映画「網走番外地」→評価SS 3

発言は「過激」であろうと思う。講演の中でもそれは強く感じる。しかし、暴言でも失言でもなく、「強い意志」が言葉となるとき、普通の言葉であれ「強いフレーズ」となる。

「耳に優しい」だけの薄っぺらい言葉を吐くサヨクや、「耳を塞ぎたくなる」だけの下劣な言葉を叫ぶホシュとは明確に一線を画するのである。例えばその日、こんなことがあった。

冒頭である。河内屋蒼湖堂顧問が挨拶をしていた。顧問は過日の「ピースボートの話」をした。ソマリアに海上自衛隊を派遣することに反対しながら、また、自衛隊に対して目に余る誹謗中傷を繰り返している社民党の「辻本清美」が名を連ねる「ピースボート」が、なんと、海上自衛隊の護衛艦に守られながらソマリア海域を抜けたという恥知らずな話である。そのとき、河内屋顧問は「辻本清美“さん”」と呼んだ。

すると、会場からこんな声が上がった。大きな声だった。

「あんな奴に、~さんをつけるなっ!!」

見れば老紳士である。半ば冗談のつもりだったのかもしれない。その後も続けて何か言っていたが、すぐに意味がわからなかった私は腰を浮かせた。しかし、河内屋顧問は、

「わたしは、どのような人でも、こういう場合(公の場で話す際)は敬称をつけます。」

と言って、何事もなかったかのように話を続けた。

そうなのだ。万が一、河内屋顧問があのような場で、

「そんなピースボートなどは砲撃して沈めてしまえ!辻本清美は半島に帰れ!」

とアジるような「人格」ならば、私は今年の「父の日」に贈り物を用意しない(何かは内緒ね♪)のである。それに、河内屋顧問が本気でアジるならば「朝鮮人はゴミだ!」などという頭の悪いフレーズで済むはずもない。もう、聞いただけで貧血を起こし、ただ、黙ってビルの屋上に上ってしまうほどのフレーズを発するだろう。数年間は睡眠障害を伴うはずだ。事実、あの「見た目と伴う兇悪な言論」はとても怖いのである。嗚呼ぁ!!

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■2009/05/28 (木) 昨日見た映画「網走番外地」→評価SS 4

しかし、河内屋顧問は「場を弁える人」であり、持ち上げても何も出ないが(笑)、人格者なのである。少なくとも、虹のメンバーから慕われており、多大な影響を与えてくれたのである。また、コレも個人的なことだが、私の自宅玄関の靴が並ぶようになった。河内屋顧問から「出船」の話を聞いた私が倅に伝えたのである。三宅市議にこの話をすると、

「なるほど!それさえやっていれば、あとは全部、どうにかなるわい!」

と言ってくれた。その「出船」のおかげかどうかは知らんが、たしかに倅は変だと思う。私は本当に「それ」しか言わない。河内屋顧問から教えられた「出船」の話に強く感じたことから、私は倅に対しても強く感じるように話したのかもしれない。ともかく、倅はちゃんとやっているし、できていなかったら慌てるようになった。そして、自慢ではないが、18になろうかという倅は未だに「酒を注ぎにくる」のである。勉強していても、私が帰宅して風呂に入って出てくるとテーブルまで来て酒を入れてくれる。

もちろん、親としてまだまだ不安なところはある。しかし、年頃になった男の子が父親に対して「おつかれさま~~♪」とニヤニヤしながら酒を注ぎにくるということは、他の部分も想像がつくと思われる。親に対して秘密はあろうとも疾しいことがないのだ。未熟は未熟として受け入れることができ、倅は「社会に出たらお父さんのようにできるのだろうか?」という素朴、且つ、正常な不安を抱いているようだ。まだまだ細くて弱いかもしれんが、太くて曲がっているよりはマシな人生が歩めるだろう。親馬鹿ながら、実に「普通の子」である。ちょっとは曲がってほしいところだ。

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ま、ともかく、この最近、いろんなことがあった。

そういえば、私の38回目の誕生日もあった。

今年はなんと、おかあしゃんから「山崎18年」が進呈されたのであった。2万円もしたというのである。なんとも、毛穴が広がるほど美味かったという今日この頃、さあ、来月から忙しくなるだろう。ちゃんと仕事しながら遊びながら「できること」をちゃんとやろう。

おっと、「京阪殺しの軍団」も観なければ・・・

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