久しぶりに「社長マン」と飲みに行く。んで、何かの話から、
「韓国人は生きている人間は批判しても、死んだらみんな神様扱いや。」
と言い出す。頭の中で『それは日本人の死生観だろww』と思いながらも黙っていた。すると、「大統領なんかでも生きてるときはボロクソに言われることもあるけどな、死んだら英雄扱いやもんナ。韓国人はそういう民族やネンなぁ・・・(しみじみ)」とか言い出すから思わず、
『・・・んじゃ、ノムヒョンはぁ?』
と聞いてしまった。我ながら情けない。
なんとも無駄な質問をしてしまった。申し訳ない。
曰く、
『ノムヒョンもそうや。何万人も集まって褒め称えてる。これが韓国人の民族性やな。あっさりしてるんや。死んだらあっさりとしてる。』
ということらしい。私は我にかえり、「あ、そうですか。」と受け流した。
・・・・・・あっさりしてるねぇ・・・・
この御仁は追悼施設である焼香所から2000万ウォンが盗まれたことを知らない。李大統領から送られた花輪がバラバラにされたことも、追悼行事が行われた広場で大規模な暴力事件が発生して72人が逮捕されたことも知らないのである。そして、今月24日には大漢門前にあるノムヒョン元大統領の焼香所が破壊され、完全に撤去されたことも知らないのだろう。しかしながら、まあ、これらを押しなべても「死んだら神様。あっさりしてる。ノムヒョンは極稀なパターンやな♪」と強弁するのだろう。もうそれは確信している。
そして、誤解を恐れずに言えば、だ。
別に(事実なら)“それでもいいじゃん”ということだ。
別に「個人に対して」言っているわけじゃないし、極端に言えば、例え祖国では「首狩り族出身」だったとしても、その本人が「首を狩らずに文化的に暮らしている」なら、それ(首狩り)はそれでいいぢゃないかということだ。それを「くくく、首なんて狩ってないわい!!」と嘘たれるから、実はこいつ首狩ってくるんじゃないか?と訝しがられるのである。
「2」へ
■2009/06/29 (月) 首狩り族の公共心2
民族イメージによるプライド先行は理解するが、あまりに事実とかけ離れていれば逆効果であることは言うまでもない。例えば、日本人は控えめであり、個人的に主張することを苦手とし、ダンスは恥ずかしがり、酒は弱いし、謝ってばかりだ、と言われても、多くの日本人がそうなんだから、そこで「そんなことないやい!」と気張って酒飲んで倒れたら馬鹿にされるだけであるのだ。江戸時代に“ちょんまげ”してたからといって恥ずかしがる必要がないように、朝鮮人やシナ人が「死人に鞭打つ民族性」であることは事実なんだから、個人がムキになって否定する必要はないのである。ただ――――
事実でないことは認めてはならない。
首狩り族でない限り、他国の人から「首狩り族め!」と言われたら、ちゃんと根拠を示して反論せねばならない。ほら、我々は首狩り族じゃないでしょ?と納得していただかねばならない。それは個人の問題で済まない場合もあるからだ。とくに影響力のある知識人や国民の代表である政治家などは、より強く自覚していなければならない。
「南京大虐殺」や「従軍慰安婦」や「沖縄集団自決」などがそれにあたる。しかしながら、何度もここに書いたが、それが事実ならば事実でいいのである。謝罪や賠償はともかく、事実ならば認めてもいいのである。今を生きる者が反省するかどうかはともかく、事実ならば事実として捉えてなければ何かと不具合があろうと思う。
つまり、
「韓国人は優れた民族!背は高くて体力があって脳の作りも日本人より発達してる!」
が阿呆な理屈ならば、
「日本人は残虐で首狩り族が鉄砲持っただけ!9条無ければ世界制服を企て狂信的に戦争する!」
も阿呆なのである。言ってることが反対なだけで同じレベルにあるのだ。
しかしながら、「あったこと」を「なかった」とし「なかったこと」を「あった」とする悪意を峻別することは容易ではない。容易ではないから安易な方向に流されることになる。
「3」へ
■2009/06/29 (月) 首狩り族の公共心3
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/politics/174136.html
<早くも「鳩山総理」のかけ声 民主代表、札幌で気炎>
この赤い新聞が持ち上げる人物にも警戒すべきなのである。この赤い大地の新聞が、本当に心からこの人物が「日本国のため」になる逸材であり、日本国総理にふさわしい人物であると考えているのかどうかを見極めねばならないのである。
記事だけ読めば、だ。
<集まった支持者ら5千人(主催者発表)からは、「鳩山総理」「日本を頼むぞ」との声援が上がっていた。鳩山氏はこれに先立ち、日高管内新ひだか町でも街頭演説を行った。>
まさに大自然が育んだニューリーダー誕生!平和の使者、友愛の戦士参上!である。
北海道で塩バターラーメン食ってるヒマがあるなら党首討論くらい出来るだろうと思うのだが、赤いマスコミは足並み揃えてやんややんや。テレビのニュースとか、新聞の大見出しをチラ見するだけならば、おおぉ、そうなのか、鳩山さんだな、よし!とインプットしてしまうのかもしれない。しかし、例えば、過日の党首討論を録画して観るような国民は、マスメディアの「鳩山代表の圧勝だった!」という論調に驚くのである。どこがだ?と疑問に感じるのである。気の弱い人なら、「そうか・・・自分がおかしいのか・・?」と悩んでしまうほどであろう。まさに「言ったもん勝ち」「書いたもん勝ち」なのである。
んで、その「言える場、書ける場」を持つマスコミこそ警戒せねばならんのである。また、その「言い方、書き方」を注視せねばなるまい。何を言って、何を言わないのか。何を書いて、何を書かないのかも重要なファクターであるが、もう、そのアンフェアを攻め立てても仕方がない。相手は確信犯であり、明確な意思を持った工作機関と呼んで差し支えないようなマスメディアも存在する。彼らはその垂れ流すプロパガンダが、10人のうち9人には通じないとしても、残りの1人を取り込むがために必死なのである。
いくらネットが普及して、紙媒体の新聞が売れなくなり、テレビの視聴率がガタ落ちであろうが、その『1人』をオルグするがため腐臭のする情報を発信し続けるのだ。
そして目を凝らせば、存外、「その1人」は少なくない。
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