忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

由紀夫ちゃん

2010年05月05日 | 過去記事
サラリーマンをしていると、転勤とか異動は避けて通れぬ「変化」である。この人事異動という「変化」を機に能力を発揮する人もいれば、なかなか対応できずに潰れてしまう人もいる。ま、これも世の常だ。しかし、これらは「乗り越えるべき壁」であるから、それでダメになっても自分が責任を負うほかなく、周囲の人からの同情はあれど、やはり「根本的解決」にはならなかったりする。

例えば異動に含まれる「出世」というやつだ。ここに「Aくん」という新入社員がいるとしよう。「Aくん」は懸命に仕事を覚え、同僚や取引先、顧客からも評判がいい。だから2年後に係長に昇進した。それから課長になって部長になった。この間、20年だとする。

「Aくん」は「新入社員」として、先ず、評価された。それから社員としての仕事を果たす上で一般社員の中心的存在となるわけだが、これが「係長」という中間管理職になると、ほんの少しだけ、現場からの距離が出る。いわゆる「させないと伸びない」などとして、部下というモノを使うことになる。無論、一般社員の成長は会社の成長であるから、会社でも国でも「教育」というものが非常に大切となることは言うまでもない。

しかし、である。

「Aくんの部下」に「Aくん」のような優秀な社員がいればそれでいい。「Aくん」の勤める会社のヒエラルキーは「Aくん」を獲得したことによって強靭な土台ができたのかもしれない。こういうとき、人事責任者などが考えねばならないことは「足元の空洞化」である。「Aくん」を昇進させるということは「一般社員の戦力が低下する」こととイコールなのだ。そしてまた、優秀だった「Aくん」は中間管理職としても優秀かどうかは未知数なわけである。これは最悪の場合、全体の弱体化に通ずる愚策とも成り得るリスクある判断なのだ。

足元がしっかりしていて広いから上は伸びることができる。すなわち「全体の成長」が見込める。これを焦り、先っちょだけをグングン伸ばすとどうなるかは、例えばJALを見ればいい。「ピラミッド型」で安定する条件とは決して人数、つまり「数」の問題ではなく、その「質」にこそ問題がある。広くとも中身がカスカス、ちょうど、骨粗鬆症のような状態であれば「ピラミッドの先っちょ」は惨めにも地盤にめり込んでしまうことになる。

また、それに至る弊害は少なくない。「優秀な人材」とやらが次々と「上に上に」と登る状態は、先述の通り、その下部が機能不全に陥る危険性も包含するが、それと同時に上部の「無能」が肥大するということでもあるのだ。実はこれこそが致命傷となる。

当たり前すぎる話だが、一般社員で優秀とは係長でも優秀とイコールしない。ましてや、それ以上の管理職ともなれば、その資質が会社の業績などにも大いに影響し始める。「毎日、真面目にコツコツと働くだけで満足」というエリートもいるし、それはもちろん、貴重で必要な人材だが、そういう人がそのまま管理職になれば、往々にして管理過多となり、窮屈なだけで面白くない職場になったりもする。また「決まったことをちゃんとする」は最低限必要なスキルだが、これは「決まったこと以外はしなくともよい」という消極に堕する危険と隣り合わせだったりもする。

「組織」というものには、既成概念にとらわれず、自由な発想で希望に満ちた提案をする管理職は絶対に必要だし、石橋を叩いても渡らないという慎重派や、金儲け以外の「理念」を提唱するリーダーも不可欠なのである。これが「バランスの取れた組織」なのであるが、もちろん、こんな調和のとれた組織が自然発生するはずもないから、ここには権限を持った「調整役」が必須となる。つまり「Aくん」を活かして組織全体も強化するには時間とタイミングを読まねばならない。そういう人事システムも確立させておかねばならない。


また、そういう組織である程度のポジションともなれば、当たり前に「自負心」というものも出てくる。それが自覚と責任を伴う決意ならば結構なことだが、困るのはこれが単なる「虚勢」に化けるときだ。建前でいえば「プライド」となる。そういう組織の上部は金もたくさん持って帰るが、それより困るのが「仕事をしない」ということなのだ。

これは、私自身のサラリーマン時代の反省を込めて書くのだが、例えば、私はよく店長に自分自身のことを「(本当は)主任がちょうど良い」と何度も語っていたものだ。その時の私の職位は営業本部の本部長だったから、実際の職責よりも3つか4つほど下の職位ということになる。まあ、ある意味、私は自分の無能を自覚していたのである。しかし、それは謙遜などではなく、実のところ全く逆で、私自身の能力を自画自賛しているに過ぎない自慢だった。実はこう言っているのだ。

「主任の仕事をさせれば誰にも負けない」

精一杯、自分自身を客観視した上での結論だった。年齢やキャリア、能力やスキルを勘案してのものだ。実に冷静、且つ、論理的な評価である。

ま、話を戻すと、この「組織のバランスを取る方法」はひとつではないが、そのうちのひとつに「派閥争い」がある。一見すると、中でごちゃごちゃと争っていて、一向に物事が進まないから、これはなかなかイメージが悪い。すぐに思いつくのは自民党だろうw

しかし、何事にもデメリットがあればメリットもあって、先の「健全な派閥争い」から、単なるセクショナリズムに陥った状態、排他的になり、プライオリティが狂うことがデメリットなら、この場合のメリットは「相互監視」ということになる。こんな時代だから、今やどこの組織でも考えねばならないことかもしれない。第三者委員会などの監視システムがそれだが、無論、企業の信頼や心証、あるいはコストを考慮しても、本来、そういうことは「内部で解決する」ことが、大企業や公的機関における道義的責任として求められていた。内部批判や派閥による相互監視が機能していた時代はあった。

また、人間は群れで生きる生き物だが「群れ」には「率いる者」も欠かせない。「群れている」という最大のメリットを活かすためにも「統率する」ことが必然的に求められる。リーダーでもキャプテンでも、リードオフマンでもボスでもなんでもいいが、ともかく、集団や群れには「何かを決定する者」は欠かせぬ存在である。アフリカの小さな部族にでも「長老」がいるように、例えばそれは「長く生きている」という叡智における恩恵を認めた上での「仕来たり」だが、これを「猟が上手い者」とか「戦いが強い者」としても、一応、理屈は通っている。すなわち「組織を守るための人選」であるわけだ。これは先ほどの「Aくん」の評価に似ているかもしれない。一応、理屈が通っているところも同じだ。

ちなみに、最近までの自民党は8つほどの派閥があった。それぞれの派閥の長が集まり、自民党全体としての決定を下していた。その中には、現在の不動産屋幹事長も友愛脱税総理もいたが、ともかく、権力争いという薄汚いイメージを晒してまで「派閥争い」というものがあった。あまつさえ、下野してすらそれを繰り返したから、民主党のダメっぷりを報道したくないマスコミの都合の良いネタにもなった。

もちろん、単なる排他的なセクショナリズム丸出しの不細工もたくさんいて、中を引っかき回して格好つけて出て行く者もいた。これはデメリットであり、ある種の不可抗力でもある。もっと言えば、こういうことはあるべきであり、あって然るべきなのだ。与党の立場であれ野党の立場であれ、党首であれ幹事長であれ、堂々と反対意見を言える組織体制、組織風土とはメリットでもある。これを組織における自浄作用という。

言うまでもない話だが、自民党政権の末期、麻生前首相が母親から月に1500万円受け取っていて「知らなかった」で済ませ、その秘書が逮捕されたらどうなるのか。あるいは福田内閣のときの麻生幹事長(当時)が4億円もの不透明な資金で不動産を購入し、その秘書が3名も逮捕されたらどれほど血祭りにされたのか。マスコミや野党が批判するのは当然としても、確実に「内部から引き摺り下ろされた」はずである。そして、その理由は「派閥争い」というものだけではなく、組織全体の存在意義をかけて、その内部にいる人間が声を上げただろうことは、事実あった「麻生おろし」などの騒ぎをみるまでもないのだ。

少なくとも自民党には派閥というものがあった。デメリットも多かったが、確実に「相互監視」のメリットもあった。また、その派閥の健全性を担保するものとして「複数の派閥」があった。どこかの民主党のように「小沢派か反小沢派か」という歪な二者択一ではなかった。しかも、その貴重な民主党の良心である「反小沢派」とは、ちょっとボスを批判しただけで解任されかけた副幹事長がいるほどの「絶対権力者」に怯えねばならない。

「選挙に落ちればただの人」といわれる政治家という職業からすれば、批判すれば公認をくれないかもしれない幹事長がいる組織で「内部批判」などできないだろう。すなわち、この組織のデメリットは「自浄作用が機能しない」ということだ。そして絶望的なことは、そんな組織が日本の命運を握っているということだ。派閥争いすらなく、絶対的な独裁者がいる組織の弊害は、例えば、このような前代未聞の哀れで愚かな総理大臣を生む。

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100504/plc1005041845021-n1.htm
<首相「海兵隊が抑止力と思わなかった」>

私が勤め人だった時、本社の会議で社長マンが軽んじられることは少なくなかった。それは言うまでもなく、なぜ、それくらいのことを知らないのに、この幹部会議の場にいるのか?という素朴な理由からだ。血族経営のグループだったから、身内が3名ほど混じっている。それもトップの立場でいるわけだ。しかしながら、創業者はさすがに卓越した人格者だったし、その実子は世間知らずの甘ちゃんではあったが、基本的に勉強家で努力家だった。当初こそ似つかわしくない若社長だったが、徐々にその才能を発揮していた。私は嫌われていたが、認めるところはちゃんと認める。頭の良い切れる社長だと思う。

しかし、この社長マンは別格だった。ある意味、友愛と重なる。一例を出そう。

ある会議の席上だ。創業者が居並ぶ幹部の前で社長マンに問うた。これは私の主観だが、会長も若社長も、なんとなく「社長マン」を知っていたと思われる。もちろん、娘婿ということだからよく知っていて不思議はないが、その、つまり、本当はこの御仁、こういう席に座っている資格はないということに気付いていたと思われる。だから、あまり難しい話は振らず、ただ、会議が終わるまで黙って座っていればいい、というか、座っていてくれという雰囲気ではあった。しかし、その日はなにか、ちょっと、つい、うっかり話しかけてしまったのだろう。問うたのはこうだ。今でも覚えている。

「(今年の)入れ替え比率はどのくらいか?」

質問の単純さからも、会長のうっかりが伝わる。500台の店が500台の入れ替えをすれば、入れ替え率は100%で、話はただこれだけなのだが、残念にも社長マンにはわからない。

それも「店の入れ替え比率を把握していない」というレベルにない。いつものようにフォローしようと発言しかけた私の予想を大きく上回る「答え」に会議の場は凍りついた。

「一所懸命、がんばってます」

全員が、先ず、ん?となった。ここは推測でも「数字」を答えねばならない。4割とか9割とか150割とか、ともかく、アラビア数字を答えてくれねば困るのだが、社長マンは続けて、

「小さい店ながら節約して、いつも言っていることですが、本当に必要なものと不必要なもの、子供にも、このゲームが本当に必要なのか考えろと言うくらい、節約してがんばっています」

とかやっちゃうのである。もう、そろそろ失笑が漏れ始めた。しかし、いま、ここで話を途切れさせるのも変だし、なにより、ちょっと本気で心配になったのだろう、義理の父親でもある会長は優しく、どちらが年寄りなのか分からないほどゆっくりと言う。

「いや、それはわかってる。がんばってるのはわかった。わたしが聞いているのは入れ替えの比率だ、どのくらいだったのかと聞いているんだ」

「いえ、その、決して大きい店には対抗できませんし、社員にも大きい店には敵わないから真似するなと言ってますし、あるものをどうやって使うのかと・・・」

「いやいやいやいや・・・・ちょっとまって、いやいや、あのな、今年のね、入れ替えしたでしょ?そのね、比率を聞いているだけだからね、どのくらいだったの?」

「そ、それは、もう、だから、少なくして・・・」

「減らしているの?どのくらい?」

「何事も無駄がないように節約して、いるものといらないものと・・」

「・・・いやいや、だから、入れ替えは“いるもの”でしょう?だから、それはどのくらいだったのかと・・」

さすがの社長マンも真っ赤だが、私も赤面した。数人いた幹部も窓の外を見たり、資料を見たりしながら、なんというか、もう、あ~~ぁあっという感じである。

そして、最後は会長が折れた。

「もういいです」

私はその「もういいです」にちょっと腹が立った。こんなレベルの人間を社長にしたのはあんたである。任命責任をどう考えているのかと思った。娘婿に優しくする前に、その下で働く人間に優しくしたほうがグループ全体の利益になるのではないかと説教したかったが、もう、こっちがとっくに「もういいです」だったので、もういいと思った。

そういえば、社長マンもよく「思い」とか「気持ち」を口にした。「思いが伝わる」とかよく聞いた。自分だけは常に「奇麗な場所」にいるつもりで、何か不具合があると、オレがこんなに考えてあげているのに、とか、思ってあげているのに、と口にした。呆れるほど、どこかの総理大臣に似ているではないか。法律の話をしているのに「オレはそんな気持ちでやっていない」とも言った。賞与の査定表を作り直し、業務の種類を分類して評価できるようにしても、信じられない評価を口にした。

その評価基準は「社長マンのことを好意的に思っているかどうか」であった。彼は懸命に「賛同」という言葉を使ったが、派遣で来ていた、ちょっとアレな感じの警備アルバイトの男性を、専属で雇うという勝手をして私から叱られたこともあった。最高実行責任者である私を通さず、現場の指揮監督権者である店長にも相談せず、社長マンに対して「後光が射しているようにみえました!」という痛烈なベンチャラを吐いて、現場評価を地に落とした気味の悪い派遣アルバイトを「社長だから」という理由だけで契約社員として採用したのである。その私と同じ年の派遣アルバイトは、社長の威光も後光も私だけではなく、現場の誰にも通じないと知って辞めた。「フィギアで遊ぶ時間がない」とのことだった。

話を友愛脱税に戻そうw

<昨年の衆院選当時は、海兵隊が抑止力として沖縄に存在しなければならないとは思っていなかった。学べば学ぶほど(海兵隊の各部隊が)連携し抑止力を維持していることが分かった>

こういうことを言うのである。さすがにマスコミも庇い切れないようだが、今日の「ミヤネ屋」にはまいった。「記者会見」があるからという理由でテレビをつけていたのだが、肝心の鳩山が話し出すと、なんと、CM連発でかき消したのである。今更、マスコミに失望するほど阿呆ではないが、それにしても驚いた。クレームも来ただろう。

この可哀想な総理大臣は先月の16日、国会内の懇談会にて、

<普天間なんてみなさん知らなかったでしょう。それ(普天間問題)が国民の一番の関心事になること自体が、何かメディアがいろいろと動きすぎているなと思っている>

と発言している。単なるメディア批判かと思ったが、どうやら本当だったようだ。つまり、自分も知らなかったわけだ。普天間なんて知らなかったのである。


これほどの無能、自浄作用が欠片でも残っている組織ならあり得ない。誰かが必ず、こうなる前に止める。同じ派閥の者が表に出さない。出しているのは、取り巻きも負けず劣らぬ無能か、もしくは「わざと」なのである。意図的に阿呆を晒しているのだ。幹部会議で社長マンが軽んじられていれば、こんな不義理の私ですら赤面したが、こんな何かと残念な人を表に出すなど、なんたる非人道的な連中なのか。

ドラマのセリフだったと思うが「雑巾を嘲うには汚すんじゃなくて飾るんだ」というのがあったが、阿呆を煽てて表に晒すなど、なんと可哀想なことをするのか。仲間なら隠してやれと言いたい。黙って座っていればわからないのに、野党席からわぁわぁやっていれれば、なんとなく、同じような連中もいるし、あまり目立たなかったのに、これではもう、日本国中、いや、世界中に「ここにこんな阿呆がいます」と晒しているだけではないか。

その辺でも生きていけない程度の残念な人を、一国の総理大臣にしてしまうなど、これは究極の虐めではないのか。私は人道的見地から、あるいは人権擁護の観点から、鳩山由紀夫氏の名誉のためにも、早くお家に帰してあげて欲しいと思う。お布団を敷いてあげて欲しいと思う。なんとかに効く薬は無いとも言うが、それはある意味、そういう思いというモノを受け止めてあげて欲しいと思うのである。

まあ、そのお仲間も「仕分け人」とか言って遊んでいるみたいだが、あの水着コンパニオンみたいな仕事をしていたおばさんが「世界2位じゃダメなんですか?」と叫んで心配されていたし、自衛隊の銃器コストの仕訳の際「カラシニコフみたいな掃除しなくてもいい銃はダメなのか?」とわけのわからんことを言う大学教授は、どんな銃でも掃除しなきゃダメとは知らず、ついにはコスト削減が言いたいのか「インターネットでは30ドルで売ってますが?」などと言っちゃうのである。自衛隊に「鉄砲は闇市で仕入れろ」と公の場で威張って言うほど重症なんだから、大学側はお布団敷いて上げてほしい。

そういえば今回の仕分けでも「新世代ネットワークの研究開発等」に対する仕分けで光ルーターを取り上げ「もし、あした、光よりも早い技術が、どこかでポンとできたとしたら、その事業は意味があるんですか?」などとびっくり仰天、そんなこと言い出したら、もう、何にもできないじゃんというレベルの発言が仕分け人から飛び出して震えたが、これに内藤副大臣は「少なくとも研究者の皆様がたは、オール光が今の目指すべき方向性だと信じてやってるわけです」と答えていたが、半笑いだったのはいかがなものか。可哀そうじゃないか。笑っているヒマがあるなら、その仕分け会場にお布団敷いてあげて欲しいのだ。

ったく、みんな友愛が足らんのと違いますかという今日この頃、ちょっと残念な人には友愛精神で接しましょう。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100504-00000081-jij-pol
<抑止力論にすがる鳩山首相=「県外移設」公約ではない>







・・・・・。






<昨年の衆院選で普天間移設に関し、「最低でも県外」と訴えた首相だが、同日は「(民主)党の考え方ではなく、私自身の代表としての発言だ」と正式な公約ではなかったと釈明。さらに「当時は(海兵隊の抑止力は)必ずしも沖縄に存在しなければならない理由にはならないと思っていた」と語り、「浅かったと言われればそうかもしれない」と安全保障に関する認識不足をあっさりと認めた>





・・・・・・。













・・・・・。




・・・・・な?



これはもう批判するとか、叩くレベルにないでしょ?

なんか可哀想で涙出る。完全に操られているんだ。こんなこと真面目に言う大人がいるはずないし、ましてや政治家なんてできるはずがないし、しかも総理大臣なんてやれるわけがない。由紀夫ちゃんは悪くない。可哀想だけど、マトモじゃなくなってるもん。

さあ、もう、その変な柄のパジャマ着て、お布団で寝なさい。

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