忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

白人憲法の劣化コピーを破壊せしめよ

2010年08月08日 | 過去記事
「神の御業、太陽の光を地上に再現した」(ハリー・トールマン 第33代アメリカ大統領)

当初、トルーマンが承認していた「日本に落とす原子爆弾」の数は、なんと、まあ、18発。しかしながら、あまりの殺傷力に「3発目」を躊躇した。18発も落とせば日本はなくなっていただろうが、それでも「京都は日本の古都であり、貴重な文化財があるから、アメリカは空爆もしなかったんだ!」という親米馬鹿は、猫に顔でも洗ってもらったほうがいい。

京都は落とされるはずだった。どころか、オッペンハイマーの執務室で行われた「第2回目標選定委員会」では堂々の第一位を獲得している。我が京都は「AA級目標」とされた。

理由はこうだ。「人口100万を超す大都市である」「日本の古都である」「多数の避難民が流入している」「小さな軍事工場が多数存在している」「原子爆弾の威力を正確に測定し得る十分な広さの市街地がある」――――理由に「日本の古都だから」があり、何よりも「日本民族滅亡」の本気を隠さぬ「多数の避難民の流入」があることに、かつての日本は「どんな敵と戦っていたのか」がよくわかる。

8月に落とされる予定の2発の原子爆弾は続いて「広島」と「横浜」と「小倉」となったが、第三回目の目標選定委員会が開かれ、横浜と小倉が外された。横浜は翌日、さっそくにも空襲を受けた。代わりに「新潟」が候補として浮上した。これらに合わせて「原爆投下目標地域には空爆するな」という命令も出された。これは普通に考えれば「原子爆弾の威力を計測するため」であり、現実にそういうことになっている。しかし、これは同時に「疎開地などに選ばれる」可能性も多いに含んでいることを、誰よりもアメリカ人は知っていた。連日連夜の都市空爆に恐怖した日本人が、それもとくに「女子供を逃げさせる地域」として「原子爆弾投下予定地」を選んでしまっていることは、決して偶然ではない。

しかし、やはり「京都」は反対意見もあった。とはいえ「日本の古都だから破壊するのが悩ましかった」のではない。戦時で興奮した毛唐にそんな感情はない。それはあくまでも、戦後の日本統治における反米感情を考慮しての反対意見であった。最後の最後まで「京都盆地を測定したい」という科学者や政治家や将校は少なくなかった。

ちなみに、アメリカ軍がこのようにして「原子爆弾をどこに落とすか?イエー♪」と盛り上がっていたのは昭和45年5月である。沖縄の嘉手納から米軍が上陸、いわゆる「鉄の暴風」は4月1日、そのおよそひと月前の3月10日には東京大空襲があった。硫黄島が落ちたのが同年3月26日だ。日本の敗戦は濃厚、どころか、もはや何の抵抗も出来ないのは、誰よりアメリカが知っていた。

知っていたからこそ、当時のアメリカ国務次官グル―が起草したポツダム宣言の「皇室護持」を条件から外した。日本が受け入れられるはずはなかった。だから毎日新聞ですら「笑止!米英蒋共同宣言、自惚れを撃破せん、聖戰飽くまで完遂」と書く他なかった。

昭和45年8月9日、小倉上空は視界が悪かった。京都の代わりに目標選定された「第2目標」の長崎にプルトニュウム型原子爆弾ファットマンが投下される。同時にソ連が日ソ不可侵条約を一方的に破棄して満洲国に攻め込んできた。それでも日本は御前会議で「皇室護持」だけは条件として譲れない、との結論を出した。原子爆弾のあまりの破壊力にビビったアメリカは「3発目」の必要性が希薄となっていたから、宣言書に「皇室護持」を加えることをあっさり認めたが、それでも8月20日には小倉か京都に落とす準備だけはしていた。原爆級のキチガイである。

今年の8月6日、広島の平和祈念式典には初めて、アメリカが公式に出席した。ルース駐日大使館だ。しかし、献花もなければ犠牲者を追悼する言葉もなかった。ただ、暑い中、立っていただけだ。長崎市長は、アメリカ人はリーマンショックで献花する金も常識もないのか?と皮肉を言わず「初めてのアメリカの公式参列には感銘を受けた」と言った。B29爆撃機「エノラ・ゲイ」で広島に原子爆弾を投下した機長「ポール・ティベッツ」の息子は、アメリカで「日本人に無言の謝罪と受け取られかねない」として憤慨し、オバマ政権の決定を批判した。CNNテレビで父親と同じように「原爆投下で戦争終結が早まり、多数の命が救われた。我々は正しいことをした」と述べた。

しかし、上には上がいる。日本という国の総理大臣だ。意味もわからず、誰かが書いた文章を読み上げただけだろうが、それでも被害国の首相としての言葉とは思えぬ他人事だ。挨拶の要旨が産経新聞にあった。一部、抜粋して貼付する。


<核兵器の惨禍を人類は二度と繰り返してはならない。唯一の戦争被爆国であるわが国は「核兵器のない世界」の実現に向けて先頭に立って行動する道義的責任がある。核兵器保有国をはじめ各国首脳に核軍縮・不拡散の重要性を訴える。核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に向け、日本国憲法を順守し、非核三原則の堅持を誓う>


反吐が出る。ふざけるなと言いたい。日本の総理が言うべきは「もう、絶対、日本には核兵器を使わせない」である。核兵器のない世界へ取り組む必要などまったくない。しかも「道義的責任」とは何か。原子爆弾を落とされて、無辜の民が何十万人も殺された「道義的責任」とは何のことなのか。これこそが「原子爆弾を落とされたのは日本の侵略主義の所為」という「エノラ・ゲイ」の機長がいう「アメリカの都合」そのものではないか。

「安らかにお眠りください。二度と過ちは繰り返しませんから」という、ふざけきった石碑の文言を正当化しているわけだ。認めているのである。アメリカのスミソニアン航空宇宙博物館にはアポロ11号と一緒に「エノラ・ゲイ」が展示されている。アメリカ人に「20世紀で最も印象深い出来事は何か」とアンケートすれば「広島長崎の原子爆弾投下」が第1位になった。2位が「月面着陸」で3位は「パールハーバー」だった。ペニシリンでも飛行機でもなく、アメリカ人からすれば20世紀とは原子爆弾投下なのだ。原子爆弾で黄色い日本人を焼き殺したことは「アメリカの偉業」なのだ。日本の総理大臣がそれを認めて祝福しているのである。これで原爆で殺された無辜の民が安らかに眠れると思う方がどうかしている。眠れない。断じて眠れない。

支那朝鮮は日本にミサイルの照準を合わせている。北朝鮮はともかく、支那は明らかに核を搭載している。ならば、日本の首相が多くの無辜の民、同胞の魂の前で誓うべきは「今度は絶対に使わせない」という覚悟ではないのか。結果から言うと「使われるくらいなら、先に使って滅ぼしてやる」という決意のことではないのか。「日本にはその用意が常にある」という世界への宣言こそが「日本の」恒久平和を保障することになろう。世界の大国はすべからくそう言っているではないか。


ところで、大東亜戦争で日本は重慶を空爆した。期間にして半年以上、落とした爆弾は218発にもなった。サヨクはこれを「執拗に繰り返された無差別爆撃」だとするが、普通の頭で考えれば「無差別」ならば半年もいらない。日本軍は気真面目にも軍事施設を特定して、蒋介石を狙うから、これだけの期間を要したわけである。「都市に対する戦略爆撃のお手本」だ。白人には真似できない。また、イタリアはエチオピアでやった、ドイツもオランダやイギリスの都市を爆撃した。もちろん、民間人にも多くの死傷者が出た。

トルーマンの前のアメリカ大統領ルーズベルトは、それを「人間の良心に極めて深い衝撃を与える非人道的な蛮行だ」と非難した。その舌の根も乾かぬうちにドイツのドレスデンの上空には連合軍の爆撃機が1000機飛来した。その爆撃の凄まじさは火事嵐(ファイヤーストーム)を巻き起こして十万人を焼き殺した。東京に対しても陸軍記念日の3月10日に低空夜間焼夷弾爆撃を行った。成層圏にまで達した火事嵐は秒速50メートル、ナパーム剤が放つ火炎は竜巻と化して東京の下町に住む民間人を容赦なく焼き殺した。これはもう「非人道的な蛮行」どころではない。「鬼畜の所業」である。「軍事施設を狙ったが民間人を殺してしまった」という建前すら捨て去ったジェノサイドであり、ナチスと比して劣らぬホロコーストである。

そんなご都合主義、アメリカの合衆国憲法の前文には「我々人民が合衆国憲法をつくった」と誇らしげに書いてある。しかし、つくったのは55人の白人だ。そんな「誰かにだけ都合がよい憲法」をもつアメリカからつくってもらった、もっと「誰かにだけ都合のよい憲法」をありがたがっている日本はもっと変なのである。

だから原子爆弾を落としたアメリカに対しても「落とされたことは仕方がない。もう、落とされないようにします」としか言えないのである。一刻も早い憲法改正、いや、合衆国憲法の劣化コピーの破棄を要する。先ずは「普通の国を取り戻す」ことこそ、多くの英霊や、かつての戦争で亡くなった先人に対する供養である。

先帝陛下は玉音放送で「原子爆弾」についてこう述べられた。




敵ハ新ニ残虐ナル爆彈ヲ使用シテ無辜ヲ殺傷シ惨害ノ及フ所眞ニ測ルヘカラサルニ至ル(敵は新たに残虐な爆弾を使用して、無辜の非戦鬪員を殺害傷害し、その悲惨な損害は本当に人間の考えの及ばない程である




「許す」と「忘れる」は全く違う。「許さねばならない」が「忘れてはならない」のである。アメリカの教科書には「原子爆弾は現在の広島、平和記念公園に落とされた」と書いてある。いかにも人道的配慮から「何もない広い公園を狙って落とした」としたいのだと伝わる。ウソをつかねばならないのは「非人道的な蛮行だった」と認めているからである。しかし、周知の通り、原子爆弾が投下された当時の広島、相生橋上空580メートルで炸裂したリトルボーイの真下は住宅密集地であった。広い公園など、どこにもない。

アメリカに日本製の原子爆弾を投下する必要は今のところないが、せめて、日本の総理大臣には「アメリカのウソの手伝い」をしてほしくない。ま、支那朝鮮のウソを悶えて喜ぶ変態政権に望む方がどうかしているのかもしれないが、日本人と同じく、アメリカの原子爆弾で焼き殺されたはずの朝鮮人の子孫が「原爆酒」などと称して喜んでいるのはもっと解せないところである。質の悪いウソが蔓延すると、頭がおかしくなる。日本人もそろそろ、本当に気付かねば危ない。

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