今日の晩ごはんはたこ焼きでした。
たこ焼きって、すごいんですよ。
その凄さに改めて気づいたという話。
まず1つめに、美味しいでしょ。(笑)
丸くて一口で食べれるし、
(私は大食いです←)
具もソースも味変できるし、
そして前もって取り分けないから自分がどれだけ食べたか見えなくて、
永遠にいける気がする。(笑)
(…よね?笑)
そして今日、たこやき良いなと思ったのが、
コミュニケーションがとても自然に生まれる
ということ。
私は今実家で家族と住んでいます。
喧嘩が多いわけでもなく、
かといって何でもかんでも話すわけでもなく、まぁ普通の家庭かなと思います。
中学生の時ぐらいまでは、
嬉しかったことも愚痴も成績も何でもかんでも親に話して、聞いてもらってアドバイスもらったり、
反抗期には些細なことでも毎日のようにぶつかってみたり、
まだ子どもだからお金のこととか自分ひとりで判断できないことも多くて、そういった意味でもよく相談したり話したりして、親は私のことを結構知っていたし、
私も知られていると思っていました。
だけど高校生になって、
大学生になって、
留学もして、
海外で働いたりもして、
親の知らない私が増えていったように思います。
バイトをしたり、友達と遊んだり、
自分のコミュニティが増えて、
親と共有しない時間が増えて、
物理的に離れる期間もあって、
隠していた訳ではないけれど、
(いや恋愛とかはそうかもしれない。)
自然と、親があっての自分という存在から、自分と親が人間として、それぞれ立っているみたいなイメージになっていました。
だから親とは普通に話すけど、
全てをさらけ出すということは無くなっていました。
親の方からも、私が大人になったと信頼して、いちいち詮索や干渉をしなくなったのだと思います。
それでたこ焼きの話に戻るんですが、
たこ焼きって、一回で終わらないじゃないですか。
一回おわったら、また生地を入れて、焼いて丸めて、あつッ火傷した、とか言いながらひたすら食べる。
また無くなったら、次のターン。
生地に火が通るのを待って、
ちょっとずつ転がして、
自分の子どもみたいに愛着湧きながら
じっくり待つ。
この間に、会話が生まれるんですよね。
別に大した内容ではなく、
「知らないうちに足をつったみたいに膝の裏が痛いんだけど」
「マッサージしとけば?」
とか、
「え、この青のり美味しい」
「だっていつもの『青さ』じゃなくて100円高いやつだもん」
「へー。青のりと青さって何が違うの?」
「…さあ?」
とか、
「やっぱ鉄板のそっち側はよく火通るよね」
「そっち側まだ白いもんね」
「トレードしよ」
「よし、こっちこい、面倒みてやる」
みたいな(笑)、
しょーーーーーもない会話なんですけど、
そういう時間って
意外と貴重。
そのうちお酒も進んできて、
食卓についている2時間ぐらいの
最後の30分ぐらいは、
昔の思い出話だったり、
親の若い頃の話だったり、
私がいま抱えている悩みだったり、
そういうことを話したりもする。
改めて、そういう時間っていいなーと思いました。
なかなか改めて、
座って、最近どうなのよ、さぁ話して、
っていう展開にはならないけど、
なぜかたこ焼きを介すことで、
とてもこのやりとりが自然で心地よくてあったかいものになるなぁと思ったのでした。
タコとか粉とか買いにいったり、
鉄板出してきてまた片付けたり、
さすがにしょっちゅうは面倒くさいけれど、
たまにならその手間も全然惜しくない。
将来私も家庭をもったりして
会話足りてないなぁとか思ったら
無理に話しかけてみるより、
その日の晩ごはんをたこ焼きにしてみるっていうのも
意外と良い作戦なのかも、
って思ったりしました。
あとたこ焼き以外にもありそうだから、
話したいこととお料理とか、
ベストな組み合わせ考えてみると面白いかも知れないですね。
キャンプファイヤー×マシュマロで恋バナとかロマンチック(笑)
さて、明日は朝からバイトなのでそろそろ寝ます。
おやすみなさい。
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