藝藩志・藝藩志拾遺研究会

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第13話 事実と真実のあいだ

2022年05月07日 15時44分47秒 | 思想的な事を書留めてみる頁
「キラキラひかる」というドラマを流している。
その中で「真実は一つ~」という台詞があった。
真実とは?という話をドラマの中でゴチャゴチャ言っている。
「名探偵コナン」も「真実は一つ」と言っている。
しかし最近、「ミステリという勿れ」では、
「事実はひとつで真実は人の数だけある」という主張になっていて、
この逆転現象に強い違和感を覚えたのを思い出した。

ネット上では「事実はひとつ真実は人の数だけある」派が拡大している模様。
そこで調べてみた。

【事実】:
実際に起こった事柄。現実に存在する事柄。
哲学で、ある時、ある所に経験的に予見の条件として見いだされる存在または出来事。論理的必然性をもたず、他のあり方にもなりうるものとして規定される。 
【真実】: 
 うそ偽りのないこと。本当のこと。また、そのさま。まこと。 
仏語。絶対の真理。真如。 真理とは存在そのものの姿が顕になっていることであり、そのように存在そのものを顕ならしめるもの、または存在の真実相がそこで顕となる場所が理性であると考えられる。

これを読んで直ぐに理解するのは難しいと思う。

誰でも判る様に云い方を変えると、
【真実】とは、
嘘偽りのない本当の事。
仏語で絶対の真理。存在そのものの、または存在そのものが顕れた姿。
(つまり、根本的な存在自体の事)

【事実】とは、
実際に確認出来る事柄、現象。
(確認出来る内容が限定的され、同じモノを見ても認識力に差が出る)
哲学では「前提条件」。
理論的必然性を持たず一つではない。
(認識力の差で前提条件に違いが出ると結果も違ってしまう意。)

これでも難しいと思われるので、
喩え話。
「人間の本質は魂である」は「真実」である。
人間はこの世に生まれる前に霊界に於いて存在して居り、
この世で造られた人間の肉体に憑依する事で
この世の人間として生き、通常、肉体の死を以て霊界に帰還する。
これを繰り返す事を輪廻転生という。
これが人間の真実である。
然し乍ら客観的に確認が出来ないので「事実」とは認識されていない。

「人間とは人間と認識出来る肉体を持った生き物」を
客観的に確認する事を以て「実在の人物」と認識される。
つまり肉体を持っていれば人間、
肉体を持っていなければ幽霊、お化けとして区別されるのが事実だが、
どちらも人間の魂が本質であるというのが真実である。
信じるか信じないかはあなた次第
あなた次第」が「一つではない」という事を意味する。
結論として、「事実は一つではない」となる。

これを踏まえて更に説明する。

真実とは感情や認識、現象に左右されない本質的な事象であり、
見る人の評価が加わるものではないから、一つしか存在しない。

ある事象(真実が現象として顕わになる事)を現実に見て、
どこまで認識するか、どの様に評価するかに寄り、
事実関係の認識に各人の差違が生じる場合、
事実は一つとは言えなくなる。
(同じモノを見ても人に依って違った見方になり、
それが事実と認識される意。)

自分の目で確認出来ないと信じないという考えの人は、
「事実確認が出来たら信じる」と言っているのである。
真実には目で見て確認が出来ないものも含まれる為、
事実確認に依っては確信を得る事が出来ない。

真実は一つ、事実は人の認識に左右される。

これが真実!

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