藝藩志・藝藩志拾遺研究会

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第3話 輪廻転生の世界

2020年11月16日 00時25分16秒 | 思想的な事を書留めてみる頁
人は死んだら終わりでは無く、始まりでも無い。
朝起きて夜寝る。
そんな事の繰り返しをしているに過ぎない。
これを仏教では「輪廻転生」(りんねてんしょう)といいます。
「転生」というのは二つの意味があるといわれています。
一つはこの世に生まれる事
もう一つはあの世に生まれる事
人の本質は「魂」にあり、「魂」のホームはあの世であるので、
正確にはあの世に還る(かえる)といいます。
そうしてあの世とこの世を延々と往復する事を「輪廻」といいます。
この思想は仏教に限った事ではなく、世界中にある歴史のある思想です。
例えば、エジプト文明でも輪廻転生の思想を元に「太陽の舟」が建造され、
ギザの三大ピラミッドの側で発見されていたり、
ミイラ作りも転生の思想あっての事でした。
インドの諸宗教は当然輪廻転生の思想がベースにあります。

イエスは輪廻転生の事は説かれていないとか、
釈迦も死後の世界については語らなかった(無記の教え)と言われますが、
イエスも釈迦も死後の世界の心配をするより、
今の自分の生き方、心の在り方を正す事に専念すべきだという立場から、
輪廻転生についてはあまり語らなかったと考えられます。
イエスの弟子が作ったキリスト教では、
帰依しなければ死後に地獄に落ちるとか脅して、
信者獲得に奔走したりしており、
死後の世界自体は否定していません。
釈迦もあの世の存在について否定はしなかった為、
後世には浄土思想が誕生します。
輪廻転生は世界のスタンダードなのです。
 
前回の「何も悪いことしていないのに、何故こんな目に遭わなければ~」
という話。
テレビで”悲惨な生活を送っている子供達を支援してください”
というCMが流されていたり、
一方では何の不自由も無く裕福な生活を送っている子供も居る。
多くは一生その状況が変わらないままで終わる事になります。
そういうのを見ると、何とも理不尽な事に思えますが、
神も仏も居ないんじゃないかと思う気持ちは理解出来ます。
死んだらそこで終わってしまうのであれば、
確かにその通りなのですが、
”死んでも魂は存続して、あの世の生活に移行するのだ”
という事になると、全く事情が違ってきます。
物理学では「作用・反作用の法則」というものがありますが、
実は「魂」の世界でも「作用・反作用の法則」は存在します。
「作用・反作用の法則」というのは、
押せば同じ力で押し返される、引けば同じ力で引きつけるので、
プラスにはプラスで返ってくる。
マイナスにはマイナスで返ってくる。
良い行いをすれば、良い結果が返ってくる。
悪い行いをすれば、悪い結果が返ってくる。
これを仏教では、「因果の法則」と云い、
死後の世界を” 天国・地獄 ”という
二つの世界に分けて描いて見せているわけです。
生まれてから死ぬまでの間に
「作用・反作用の法則」が必ずしも成立していないのは、
死んだら終わりではなく、
まだ続きがあるからだという事を知らなくてはなりません。
出来たら生まれてから死ぬまでの間に、
マイナス評価になる様な事は避け、
プラス評価になる様な事を多く行う事が推奨されます。
但し、霊界の善悪はこの世の善悪と必ずしも一致していないので、
”これくらいは大したことない”という自己判断は通用しません。

これは、”人は何故生まれてくるのか”というテーマにも関係しますが、
人に依って「魂」のレベルが違うので、
生まれてくる際に与えられている課題も違います。
採点基準も人に依って違いがあるので、
これくらい出来たら合格という絶対基準は有って無い様なものです。
この評価次第では、次の転生時の条件が違ってくる可能性が高いです。
生まれてくる前に環境設定をしますが、
今回、恵まれた条件であまり良い評価が出なかった人、
次回は環境設定の自由度が狭くなって、
厳しい環境に生まれなければならないかもしれません。
つまり、「厳しい環境下で揉まれて来い」という可能性があります。
良い事も悪い事も、自分の言動ひとつひとつが後で全部自分に返ってくる。
それが霊界に於ける「作用・反作用の法則」です。

そう簡単には説明出来ない様な複雑な世界ですから、
例えば理不尽な死に方をした人がどういう状況で、
今後どうなるのかなどという具体的な事は、
想像する事は出来ても、
実際はどうなのかという事は解らないとしか云えません。
ただ、シンプルな見方をすると、
この世とあの世を順に輪廻しながら、
云ってみれば、肉体という制限下でこの世に合宿して
魂の昇格試験をしている様なものです。
今やっている事が後々の自分を苦しめる事のない様に。

*一つだけ云って於くと、
地獄に行く事を「地獄に落ちる」という云い方をして、
まるで罰を受けるかの様な云い方がされますが、罰ではありません。
この世に於いては、
様々なレベルの魂が混在する中で揉まれる事が
”魂の磨き”になるわけですが、
あの世では魂のレベルが違うと
お互いを認識すら出来ないくらい住み分けがハッキリしています。
あの世では、ある一定レベル以下の世界を”地獄”と呼んでいるわけです。

私が「鬼滅の刃」を見る気がしないのは、
そういう世界に近い話に関心を持つ事は、
そういう世界と同通し易くなると考えるからです。
あの世の世界を簡単に説明するなら、
最下層が地獄でここは無数に有る世界、
その上が幽界(この世に最も近い世界)、
その上が天国の最下層から無数に天国の階層がある。
そういうイメージです。
あの世の存在を信じるか信じないかはあなた次第ですが、
第2話と併せて読んで考えてみてください。

今回のお勧め書籍
*これは小学生の時に読んだ書籍です


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