藝藩志・藝藩志拾遺研究会

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第12話 LGBTQ+ と 輪廻転生

2021年07月05日 21時41分43秒 | 思想的な事を書留めてみる頁
2021年7月1日6:15配信(ヤフーニュース・東京スポーツ記事)
リンク切れするはずなので概要説明と私見を・・・。

歌手の宇多田ヒカルがインスタ・ライブ配信で、”ノンバイナリー”を告白。
”ノンバイナリー”とは、自身の性別を中性的に捉える事らしい。
”ジェンダーレス”と云った方が判り易い表現かもしれないが、
より正確に表現するなら、”ジェンダーフリー”と云うべきだろう。

LGBT関連はなかなか複雑で解り難いが、
トランスジェンダー(心身の性の不一致=LGBT
バイセクシャル(男女どちらにも性的指向がある=LGBT)
とも違っていて、
「LGBTQ」或いは「LGBTQ+」という表記が浸透しつつあるという。
「Q」とは「クイア」(性的少数者)或いは
     「クエスチョニング」(?・未だ分類出来ていない事)
を意味する様だ。
”ノンバイナリー”を法的に認める国では、
「Mr」「Miss」などに加えて「Mx」(ミクス)という敬称があるという。

”ノンバイナリー”を自称する人に依ると、
「男になったり女になったりその時に依って感覚が変わる」という。
宇多田ヒカルも最近知って自分が当てはまると自認したのだという。

記事に依るとバイセクシュアルをカミングアウトした有名人に壇蜜やカズレーザー等が居るが、ノンバイナリーは宇多田ヒカルが初めてだと云うが、LGBTを自認した人の中にも、この新しい定義を知って変更する人がいるかもしれないと私は思った。

最近、LGBT関連法案について議論が為されているが、
そもそもLGBTについての理解度が低い情況での議論に難があると思う。
もう10年以上議論が進展していないというが、
だから急いで進展させて答えを出さなきゃいけないというのは違う。
LGBTを想定していない社会システムが前提の法の建付なのだから、
そのまま想定に入れるという事に難があるのではないか。
在り方から根本的に法の想定を見直す必要がある、
つまり根本思想から見直して憲法から作り換えた方が良いと個人的には思う。
今の情況での法案成立は、オリンピック下の水際対策の様にザル。
次々と問題が噴出して対応に追われる事になる様な気がする。
国会議員や公務員に議論させるとその程度に留まる。

扨、LGBT関連でどうも解り難いと思っていたところ、
”ノンバイナリー”という言葉に触れて納得した事があった。
「L」(レズビアン)
「G」(ゲイ)
「B」(バイセクシャル)
「T」(トランスジェンダー)
正直、これだけでは説明つかないのではないかと思っていたからだ。
ここ30年程でかなり話題に上る様になり
急に対象人口が増えた様な印象があるがそうではない。
このカテゴリーは「思想的な事を書き留めてみる頁」。
私の知る事を前提にLGBT関連をどう見ているかを述べる。

このカテゴリーの 「第3話 輪廻転生の世界」
輪廻転生はあるという事を簡単に説明した。

「何故人はこの世に生まれてくるのか?」
これは人間にとって永遠のテーマみたいなものですが、
一つのルールとして、生まれてくる前の記憶は一旦リセットして、
フラットな状態(飽く迄も記憶)からスタートする事に、
基本的にはなっている。
極稀にそうではない人が紛れ込んでいるのだが、
それでも全ての記憶が維持されているわけではない。
人に依っては相応の役割が与えられている。
ただ、その役割を自認出来る人は殆ど居ないが。
第1話でも提示したが、参考書籍を挙げて於きます。

記憶はフラットだが、
生まれてくる環境は人に依って随分差がある。
これは単純には断定出来ない事だが、
各個人の前世の行いや生じた課題に依っては
生まれてくる環境条件が違ってくる。
そういう意味で生まれてくる環境には明確に差別化が為されている。
これは明らかに平等ではないが、
生まれる前迄の事が加味された上での事であり、
これは公平な差別化です。
それとは別に
生まれる前に提示された課題に沿った環境が与えられるケースもあり、
一葉では無い為、各個人の事情を情況を見て断定する事は出来ない。

「何故人はこの世に生まれてくるのか?」という問題の中に、
この世の環境の中で課題をクリアして昇格するという目的がある。
あの世は霊格に準じて序列があり、ピラミッド構造になっている。
あの世で学習した内容をこの世で実技研修と同時進行で実技試験が行われていると考えると解り易いかもしれない。
あの世に還ってから課題をクリアしたかどうかの判定を受ける。
人がこの世に生まれてくる理由をざっくりと説明するとこういう話になる。

この輪廻転生の仕組みの中に、
立場を入れ替えるというものがある。
恵まれた環境では安定した成果が出せても、
恵まれない環境では成果が出せない、
ということでは本物の能力とは云えない為、
様々な環境、立場で実力が試される。
その一つに男に生まれたり、
女に生まれたりという事も含まれている。
幼児期にどういう事に興味を持つかを見ていると、
ある程度どちらの傾向が強いかが判るが、
成長と共に生物学的性に馴染んでいくと思われる。
つまり、環境や教育で男の子は男に育っていき、
女の子は女に育っていく。
ところが、無意識に魂の記憶が呼び覚まされて、
生物学的性に馴染めない人が出てくる。
これによって「LGBTQ+」に該当する人が存在している。
生まれる前からの性自認と恋愛対象、
現在の生物学的性別の組み合わせで違いが出る。

理論が確立している仏教をベースにした方が説明しやすい為、
仏教に結びつけて説明するが、
究極の仏教美術では仏像が中性的な存在になる。
これは偶然ではない。
あの世では霊格が低いと男女の特徴の違いがハッキリ出易く、
霊格が高くなるにつれて男女の両方の特徴を備える為
性別がハッキリしなくなる。
「男でも女でもない」(中性的)な方向性が
理想的な魂の進化なのではないかと思うが、
一方でこの世のシステムは、男女に分かれて生まれ、
互いに自己の特性を生かし、協力して社会を運営していく用に出来ている。
従って、「LGBTQ+」を否定するつもりではないが、対応を間違えると
この世のシステムを崩壊させかねない矛盾を孕んでいると思う。

夫婦別姓問題等も含めて、
社会制度を根本からガラッと変えてしまう決断を出来るのだろうか。

*世間では”ノンバイナリー の理解が難しい様だ。
輪廻転生での経験が豊富になり、
男と女の両方の性格を兼ね備えて、
それが理解出来る魂に進化する。
両方の能力が獲得出来ているから霊格が高いとも云える。
ノンバイナリーの場合、
男性としての能力が必要な場合は、男性の部分が前面に出て、
女性としての能力が必要な場合は、女性の部分が前面に出る。
男になったり女になったり・・・という事になる。
これを言い換えれば、「男性でもあるし、女性でもある両性」となるし、
男女の区別を嫌う場合には、「男性でも女性でもなく中性」
という表現の仕方になるのだ。
恋愛対象としては、
バイセクシャル、男性、女性と一葉ではないが、
それは前世までの経験に基づいているので、
人に依ると云うしかない。

自分の性を男性、女性のどちらかに限定される事を嫌う傾向が強い。
つまり、精神が性別の問題を超越してしまっているから、
どちらか一方だけでは当てはまらない。
これがノンバイナリーの一番の特徴。

この世に於いて天国を再現しようとする計画の中で、
あの世から多角的なアプローチをしている、
人種、宗教、性別等々、様々な問題を解決する為に各分野に人が派遣されている。
勿論、全員がそうだというわけではないが。




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