12月15日土曜日、家元の父上を「偲ぶ会」で献舞をさせていただいてきました。
お写真のスライドショーを拝見しているときは、
学生時代のイケメンぶりにきゃーきゃー言ったり、
豪華客船のソファでワイングラス片手にタキシードでドヤ顔を決めていらっしゃる
近年のチャーミングなお姿に思わず笑い声を立てたりして時を過ごしていました。
出番がきて拍子を踏み始めた瞬間に、心の色が一気に変わったような気がしました。
涙が出てきそうになって、
曲に添う明るい踊りの表情と、お父さんを懐かしんでお話するような気持ちと、別離の鈍痛のようなものと、
体がからからの空っぽになって手も足も腰も首も主人をアテにせずに自分の仕事を粛々としてくれているような感覚と、
私は舞台の上でばらばらになって、そのおかげで自分にだっておいそれと見せはしない気持ちが見えたような気がしました。
閉会後に廊下でお声をかけてくださったお客様から、
「間合いなのかなんなのか、なんだかよくわかんないんだけどね、
あの足を踏む音がすごく印象に残ったんだよ」とお言葉がありました。
場所の都合ふだんお稽古場では抑えめに「トン」を踏むのですが、
仲間とホテルの廊下を歩きながら、今日は踏むところはきちんと踏みましょうと話していました。
古来芸能で地を踏むのは神にはたらきかけ鎮める行為なのだと、
師匠の言葉はじめ学んだことが体に染み付いています。
黄泉に行かれたのか天国に行かれたのかわからないし根拠はないけれど、
今日はせっかく踊らせていただくのだし、お話するにはきっとその言語しかない、と思いました。
だけど、踏んだとたんにあんな心と体になるとは思っていませんでした。
なんだかよくわかんない、だけど、お客様もおなじところで心を動かしてくださったことがとてもうれしくて、
自分のつたない踊りもこんなに大きな報いを受け取ることがあるんだなって、驚き、励まされました。
わたしはお父さんのパソコンの家庭教師としてお宅にお邪魔していた時期があって、
踊りをお目にかけるよりも先に顔と名前を知っていただいていました。お浚いの後日に伺ったら、
「あんなに踊れるとは思わなかった。いつでも名取になれるな」
とおっしゃいました。
いくらお家元の父上とはいえあっさりすごいコメントをなさるなと思っていました。
けれど今日はじめて知ったことには、先生が幼少の頃からお稽古に送り迎えしていたのはお父さん、
長唄常磐津清元端唄とすっかり覚えて自宅で浚っている幼き日の師匠にそこは違うよと振りを直してすらいたそうで。
並外れた才能を診て近所のお師匠さんから先代のお稽古場へ変えたのも他ならぬお父さんだったのだそうです。
ただの厚意とは違う、大コーチから賜った言葉だったことを今日まで知りませんでした。
正式に、名取模擬判定Aだったんだ・・・! って愕然としました。
お隠れになるほんの数日前、お稽古を見にいらしていて去り際、
「ありがとうございました」
と不思議なくらいていねいに一言残されたのを覚えています。
お芝居の伏線みたいに、一瞬かたまって謎がよぎったけれど、そのときはどういうことなのか、わかりませんでした。
それがお目にかかった最後です。
お医者様でいらっしゃったお父さんは生前、QOLなんて高校倫理の教科書に載るよりもずっと前から、
人生の幕引き、終末期について患者自らが意思を明らかにする考えを基にした活動を精力的になさっていました(終末期を考える市民の会)。
ご自身も例外なく、どんな最期を迎えたいかを考えて、生きていらっしゃいました。
祈られる前から、ご冥福なのではないかと推察しています。
どうかゆっくりと休んでいただけたらと、かげながら願っています。
芙三次筆
お写真のスライドショーを拝見しているときは、
学生時代のイケメンぶりにきゃーきゃー言ったり、
豪華客船のソファでワイングラス片手にタキシードでドヤ顔を決めていらっしゃる
近年のチャーミングなお姿に思わず笑い声を立てたりして時を過ごしていました。
出番がきて拍子を踏み始めた瞬間に、心の色が一気に変わったような気がしました。
涙が出てきそうになって、
曲に添う明るい踊りの表情と、お父さんを懐かしんでお話するような気持ちと、別離の鈍痛のようなものと、
体がからからの空っぽになって手も足も腰も首も主人をアテにせずに自分の仕事を粛々としてくれているような感覚と、
私は舞台の上でばらばらになって、そのおかげで自分にだっておいそれと見せはしない気持ちが見えたような気がしました。
閉会後に廊下でお声をかけてくださったお客様から、
「間合いなのかなんなのか、なんだかよくわかんないんだけどね、
あの足を踏む音がすごく印象に残ったんだよ」とお言葉がありました。
場所の都合ふだんお稽古場では抑えめに「トン」を踏むのですが、
仲間とホテルの廊下を歩きながら、今日は踏むところはきちんと踏みましょうと話していました。
古来芸能で地を踏むのは神にはたらきかけ鎮める行為なのだと、
師匠の言葉はじめ学んだことが体に染み付いています。
黄泉に行かれたのか天国に行かれたのかわからないし根拠はないけれど、
今日はせっかく踊らせていただくのだし、お話するにはきっとその言語しかない、と思いました。
だけど、踏んだとたんにあんな心と体になるとは思っていませんでした。
なんだかよくわかんない、だけど、お客様もおなじところで心を動かしてくださったことがとてもうれしくて、
自分のつたない踊りもこんなに大きな報いを受け取ることがあるんだなって、驚き、励まされました。
わたしはお父さんのパソコンの家庭教師としてお宅にお邪魔していた時期があって、
踊りをお目にかけるよりも先に顔と名前を知っていただいていました。お浚いの後日に伺ったら、
「あんなに踊れるとは思わなかった。いつでも名取になれるな」
とおっしゃいました。
いくらお家元の父上とはいえあっさりすごいコメントをなさるなと思っていました。
けれど今日はじめて知ったことには、先生が幼少の頃からお稽古に送り迎えしていたのはお父さん、
長唄常磐津清元端唄とすっかり覚えて自宅で浚っている幼き日の師匠にそこは違うよと振りを直してすらいたそうで。
並外れた才能を診て近所のお師匠さんから先代のお稽古場へ変えたのも他ならぬお父さんだったのだそうです。
ただの厚意とは違う、大コーチから賜った言葉だったことを今日まで知りませんでした。
正式に、名取模擬判定Aだったんだ・・・! って愕然としました。
お隠れになるほんの数日前、お稽古を見にいらしていて去り際、
「ありがとうございました」
と不思議なくらいていねいに一言残されたのを覚えています。
お芝居の伏線みたいに、一瞬かたまって謎がよぎったけれど、そのときはどういうことなのか、わかりませんでした。
それがお目にかかった最後です。
お医者様でいらっしゃったお父さんは生前、QOLなんて高校倫理の教科書に載るよりもずっと前から、
人生の幕引き、終末期について患者自らが意思を明らかにする考えを基にした活動を精力的になさっていました(終末期を考える市民の会)。
ご自身も例外なく、どんな最期を迎えたいかを考えて、生きていらっしゃいました。
祈られる前から、ご冥福なのではないかと推察しています。
どうかゆっくりと休んでいただけたらと、かげながら願っています。
芙三次筆
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