報告ときどきピアノ

開始日、経緯・前後関係と復旧無理な改竄があり、常にも仕上げ原文どおりでご覧にないかも;何とか照準合わせようと奮闘中

話がそれるのはそれる話が必要なのでして(途中追記22日11:30)

2024-10-22 16:31:00 | 日記

 こうやって、話がそれちゃうのを、

「脱線という」と、小学校の先生が断りながら

よく、脱線されてましたが、

何なら私も  脱線症候群  とでも名乗ろうかと思ったら

いつも誤変換しかしないくらいなのに、すぐ出てきた😓  

もうそんな言葉あるとか???


最近、~症 だとか、誰もが当然の如く使ってしまうようになりました。

しかも、状況当然な事柄まで、その前ぶれだの症状だの

悪の都合でその都度かってに作って出回る情報。

多くが騙されたりマヒして、考え直すのを止めてしまっています。

その鈍感症のほうを、ホントは

重視してほしい。

でもまあ、悪の作用に逆らうのは、並大抵ではありません。

;


日本の教育が正しかった時期にきちんと学んで、

さらに経緯と現状を確認しているので、現在もおなじ

結論は出ています。


きほん、

脳に由来する病気はありませんので

精神病など脳の疾病に分類されるものは、由来としては存在しません。


~症 の診断は、法律上 工面の便宜的な区分に過ぎず

医者がいっしょになって蔑称の意識になるとすれば

言語道断です。

おそらく形式的な立場にいて、医学の内容も

忘れきっているような、藪医者にもならない人ですが、


案外、医者の世界こそ(無知から生ずる)男尊女卑が激しいらしく、

患者のことを言おうとして、自分の事を言ってる

ってな、少なからずの人がいると思われます。


さらに、こんな傾向医者が1人でもいたら、

いッくらでも偽医者のなりすまし出現です。


医者は少数でも、優れた人が各地定着でレベルを上げて
いる必要が
あったんだ

と、私は思っています。


脳に関する場合、そこそこまともな医者なら

総合的に高度な根拠で慎重な診察等によってそれなりの診断を

目指すはずです。

    しかし、その存在は無くなってきているに等しいと思う。

少なくとも、

必要なかなりの期間で検査、診察をしたとしても

診断には至らないケースが相当数であることを

ハッキリ言える医師が、

偽物(能力的に医師に相当せずも含む)の可能性は 低いです。


警察が便宜的な検査を導入したことも、

「ケース別 多発事件の起こさせ」でプッシュされたとみます。

私には、

悪の側が蔑称偏見を世に広め、

詳細やゆえんを暴かれるのをはばんだ たくらみが、

最初から見てとれております。


ある程度基本をしっかりさせてから、私のように慎重に半世紀

以上費やしたとしても、けっきょく

各々に降りかかっていた災難関連に気付かない場合も多いでしょう。

さらに、他人に気づいてもらうには、奇跡的な確率。


同じような確認方法や苦労を勧めるつもりはありません。

でも、そういえば、と気づき、思い出すきっかけには、
ぜひ、してほしいものです。


言葉には、善悪意図が混在することになります。

特に今世紀に入ってからやたら目にする耳にするような

権威を得た言葉には、悪の意図が盛り込まれやすいだろう

と思っていたら、やはりでした。


本人の脳機能を疑わせるような言葉を当てはめられることは、

(あるお医者さんがおっしゃっていたように)誰もが

全員起こりうるのです。

悪からの災難は、人間等 双方やまとまりに関わることです。

対処として、

(悪のもっていきようで)関係社会の因果を

受け入れてもらったほうがいいとなってしまう事を判断されてたら、

便宜的なケース名称で、認知症など言われていたりする・・

そんな名称や分類は、改ざん書類によって固定されてきたはず、それこそ見た目の意味や分類系列と実際は、運用的に乖離することを、医師は知りながらも従うようになるわけです。
結果は明らかです。
例えば「その人には(悪にとって不都合な)認知をさせたくないんだな」
と逆らって捉えれば当てはまること続出うけあいです。

昔は人生50年と言っても、実時間は現在の倍以上。
多くの昔の著名人の寿命が偽られているのをよく知っていますが(寿命オタクみたいだったもので)、一休さん等、昔でも90を超えていましたし、中国の優れた賢者、思想家は決まって相当な高齢までおちついて現役指導。頭を活用するまとまった時間軸が、一生の間にとれたのです。
年寄りは幕府の高級役職の名称にもなっていたように、その積み上げた知恵や知識は、未来への希望に他なりません。
だから悪は、一掃しようとしていた
のです。

ボケというのは、蔑称で、人には使ってはいけないとされましたが、

悪側からの、長老など知者を狙った事象が近代には

発生していた現れかもしれません。

アルツハイマーや認知症 のことば持ち込みの前身でしょうが、

脳が根本的に生物由来でどうこうといった関係性は無いのです。


知らずと突っ込まれている誤解に変換してしまう情報や、

言葉から受けたイメージから、

人や事を固定してしまうことは、じつは最悪。

野蛮な偏見に、身を置いている状態にあるので、

ほんとうに難しいことですが、

こんな氾濫のあたかも言葉には、

気を引き締めていただかねばなりません。


一時的な物事では、事例としては把握すべきでも

人の中身を判断してしまうのは不可能!


昭和中頃までに証拠物改ざん等その
本質が高度にわかっていたから

昔の本当の警察幹部や医者等は、断じてはいなかったのです。

医者の能力を必要以上に過大評価してみせて、

最初からコミニケーションをあきらめる医者がいたり、

それぞれに不信感を抱かすようなケースを

悪は作っていたようです。


そのなかにあっても、

警察や医者が正しく対処しようとしていた場合も
あったはずだけれど、

結局は悪の都合のところまでこじ開けられ、

過ちを誤りへと拡大固定してきた、

社会的に深刻な状況と言わざるを得ません。

;


この記事も脱線ですが、1976年頃の学校の先生の授業も、

必要に応じて臨機応変に、

まっ先に重要なことにふれておく必要が出てきていて、

従来の内容と区別をしようとしていたのだな

と、理解します。

じっさい、

状況理解共有や将来にむけての

無駄な話は1つもありませんでした。

 

こちらも⋯。よろしくお願い申し上げます

 


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