地震、かみなり、烈暑、豪雨。
まあこうもいろいろとふりかかってくるもんだわ、局地的に。
まんべんなくというのも難儀な話ですが、引きも切らずにそこを攻めるというのは、
もはや自然というには不自然すぎるとも言いたくなるような苛烈さを感じます。
できることは限られる。それはそれで。
ただ、それを口にする立場の向きは、あまりにも偏りすぎてはいないか。
ライフラインの停滞や不通、手が入らないまま待つばかりの遠い日常。
すべてをつまびらかにせよと言いたいのではない。
あまりにも偏りがすぎるのではと言いたいのだ。
山陰にも東北にも、近畿にも中部にも九州にも道半ばのところがあり、
そこでの暮らしを続ける人々がいる。
それをどうにかよい方向に後押ししている人々もいる。
そういった知られざる方々に届くべきものが届いているのかは、
差し伸べたくともその指先をどこに向ければいいのかは、
あまりにも触れる場面が少なすぎるのではないのか。
それを無知だとしたり顔でぶった切りにするような、声の大きい向きの罵声などいらないから、
声なき声を静かに紡ぎ続けるちいさなささやき、そこに微力ながらもエールをおくりたい。
念ずれば通ず。信じるだけでなく、想いは燻らせながらも、滾らせることも憚らずに。
それでは、また明日。