
南会津の山中に全長約450mの両側に、道に妻(正面・出入り口)を向けた寄棟造りの茅葺屋根の民家が建っています。
若松から5里の距離にある大内宿には本陣や脇本陣が設置され、会津藩の参勤交代や廻米の集散地として重要な場所だったようです。
戊辰戦争では大内村も戦場になったそうですが宿場は戦火を逃れました。
1980年(昭和55年)7月12日「下郷町伝統的建造物群保存地区保存条例」が制定。
1981年(昭和56年)4月18日、国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されました。
大内宿の建物、正面(縁側など)は長さ10mの桁(梁)1本を利用しています。
開口が長いので繋ぎを入れないのでしょう。当たり前ですね…。


東京江戸博物館にある移築された江戸~昭和初期の建物もそうでした。
会津から大内宿へ行く途中、道路沿いに建つ住宅も大屋根で同じような年代の住宅が立ち並んでいました。
屋根は鉄板に葺き替えられていますが骨組みは昔のままだと思います。
50年ぐらい前であれば、どこの街に行ってもこのような建物があったのではないでしょうか?
私の小さい時の記憶では、実家がこのような家でした。
野口英世が生まれた母屋のような…。
日本の原風景はとても懐かしくさせてくれました。