9/6(木)は森美術館で開催している「建築の日本展」に行ってきました。
澁谷から2.8km、歩いて30分とのグーグルが表示したので都会を探索しながら美術館へ向かうことにしました。
リュックを背負っていたので背中に大量の汗をかきながらでしたが、朝食で水分をしっかり取ったのでここまでは大丈夫!
入口には大きな木組みが置いてありました。
ミラノ国際博覧会2015 日本館 木組みインフィニティー
建築の日本展は次のような構成で進んでいきます。
01 可能性としての木造
02 超越する美学
03 安らかなる屋根
04 建築としての工芸
05 連なる空間
06 開かれた折衷
07 集まって生きる形
08 発見された日本
09 共生する自然
最初の「可能性としての木造」では入ってすぐのところに平等院鳳凰堂の組み物の模型が展示されていました。
鳳凰をイメージした深く突き出し、反りがある大屋根をどうやってもたせているのか?
斜め下方に差し込む尾垂木という長い材を入れ、尻側に荷重をかけテコの原理で先端を持ち上げています。
仏教伝来により、組み方の技術が持ち込まれてきましたが日本では風雨が大陸より強いので軒をさらに深く出さざるを得なかったようで、工匠たちは屋根裏の隙間を広げてそこに太く、長い丸太を入れれば軒を深くすることを思いついたようです。
幾重にも重なる木組みに見とれてしまいました…。
木組みから発生した日本建築ですが過去と現在を比較し、展示しています。
明治には木造でつくる西洋建築をつくり、昭和にはコンクリートでつくる木組風の建築をつくることになります。ホテル東光園や香川県庁舎などですが時代と共に建築が変わっていきます。真似ることからさらに進化する。
例えば東大寺南大門と磯崎新が計画した空中都市や隈研吾が設計した梼原 木橋ミュージアムを比較しています。
また、孤篷(こほう)庵(あん) 忘(ぼう)筌(せん)という茶室は縁側の先に障子を建てています。室内と縁側の部分にもありますが縁先に上部だけあり、下がありません。内部から見ると庭下の風景が切り取られた形でみることになりますし、そこから入る場合は、障子戸をくぐって入ってくるようになっています。これを前田圭介のアトリエ・ビスクドールと比較しています。敷地境界廻りに設けられた塀が浮いていて、植栽の上と下が見えるようになります。
過去から受け継いで進化している!
現代の建築も素材や構造、形は変われど日本を感じてしまいます。
今の住宅はどうだろう!
軒や庇がない家は進化したものだろうか?
大体は価格を下げるため、カッコよさからではないだろうか…。
原点を大事にしなくては…。
こんな模型もありました。
千利休がつくった待庵
原寸で再現されています。
中に入ることもでき、長い列をつくっていました。
丹下健三の自宅模型(1/3)
かなりの見応えがありました。
時間にして3時間ぐらいはいたでしょうか…。
足がTDLに行った以上になりましたが、そこに行かないと分からないものがあります。
体は疲れましたが…なんかやる気が出てきました!
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