このブログでは、基本的にバイクであちらこちらへ行き、個人的に楽しんだ事を書き連ねるという、誠に勝手なブログなんですが、勝手ついてに私が今までお世話になった車やバイクについても、少し書いてみたいと思います。
まあ単なる個人的な回顧録になりますので、お暇ならばお付き合い下さい。
私が運転免許なるものを取得したのは、高校三年生の時、三学期で自由登校。あとは卒業を待つのみという時でした。当時の私は地元神奈川県立の工業高校に通っていましたが、高校生の交通事故が多くあった事から、私のいた高校では「4+1ない運動」なるものが行われていました。
①免許を取らない
②車に乗らない
➂車を持たない
④車に乗せてもらわない
+親は子供の要求に負けない
確かこんなスローガンでした。でも同学年の男子生徒がバイクの事故で一人亡くなったり、同じ部活の女子生徒が知人の車に同乗した際、大事故にあって入院したという事もあり、「運転免許なんて高校生の分際ではケシカラン」という風潮が教員の中には漲っていました。
そうは言っても、地元の中学校の先輩とか同級生が、原付免許を取ったり、自動二輪免許を取ったりしているので、バイクに触れる機会は結構ありました。初めてバイクの後ろに乗せてもらったのは高校一年生の時、地元の先輩から誘われて出かける際、「バイクのケツに乗るか?」と言われて、YAMAHA XJ-400のタンデムシートに乗せてもらったのが、バイクに乗った初めての経験でした。
400CCのバイクは自転車とは全く違い、乗っている時の安定感、加速感などは今でも覚えています。やはりバイクは出来たら乗りたいとか思いましたが、学校でも免許はダメ、家でも「バイクなんてのは危険だからダメ!」という事で、高校生の時には乗る機会もありませんでした。
とは言っても高校三年生になり、あとは卒業を待つだけという時に、ある先輩から「お前、バイクいらないか?」と聞かれました。何でも一年上の先輩で、高校卒業して車を買ったので、それまで乗ってたバイクが邪魔になったそうで、言い値で売ってくれるというのです。車種を聞くと、「YAMAHA RZ50」だという事でした。
私が高校三年生頃には、50CCの原付バイクには「自主規制」というのが始まった頃で、上限スピードは60キロという事で、新車は全てリミッターや馬力を下げたものになっていましたが、この先輩のRZ50は「規制前」のもので、馬力は7.2馬力で、エンジンをぶん回せば時速100キロも可能だという代物。速度計も80キロまで確かあったと記憶しています。
ハンドルについては「スワローハンドル」に変えてはいるものの、上物だと先輩は言っていたんで「15,000円で良いっすか?」というと、先輩からは二つ返事でOKという回答が来ました。
それから試験場に行って原付運転免許を取得して、高校三年生ではなけなしの15,000円を握りしめで先輩の家にバイクを受け取りに行きました。そこに有ったのは多少、キズが目立ちますが、まがいもなくRZ50でした。
「やったー!」
内心喜んで先輩からバイクのカギを受け取り、いざキックすると「パラン!パンパンパンパン・・・」とエンジンが動きました。でも何か排気音がとても耳に付くのです。もう少し静かなものではないのかな?
そう思いバイクにまたがると、紫煙の排気ガスが股の間から前に立ち上ってきました。見ると排気管の付け根が言っていて、その付け根から排気ガスが漏れているのです。
「先輩!これは?」
聴くとどうやらマフラが錆びたせいもあって、壊れているとの事。でも「15,000円でこのバイクはイマドキないぞ」という言葉に、そこは諦めてバイクに乗って帰りました。
そのあと近所で知り合いのバイク屋に相談すると、格安でマフラのパッキング修理をしてくれるというので、そこは母親に泣きついてお金は出してもらい、修理をしました。
修理をしたら何とも快調なバイクで、当時の私はこのバイクで宮ケ瀬に行ったり、江の島に一人で行ったりして楽しみました。今でもその時の情景は記憶の中にアリアリと残っています。アクセルを吹かすと易々と速度計が振り切れるバイクで、今では殆ど見なくなった、2ストロークエンジン独特の吹け上りも経験しました。
このバイクはその後、一年半ほど乗ってから、友人に5,000円で売り渡しましたが、とても思い出深いバイクでした。