グローカル雑記帳

異文化理解や国際交流、中国のこと、日本の地方創生などについて。
また、日々の思ったことなど。自戒も込めた記録です。

「天安門事件」と中国の政治

2019年06月04日 | 中国や大連のこと
 中国の「天安門事件」から30年となった。情報統制の関係で、中国国内では事件について知る人は少ないようだ。だが、海外で暮らしたことのある人たちは、海外の報道に触れているわけだから、事件についても知っている。国際派の人たちは、自分の出身国が独裁国家であるということにも冷静な目を向けている場合が多いので、天安門事件に関しても、海外の情報も含めて考え、複合的に見ている。

 中国出身であっても、海外経験者(または在住者)は、天安門事件についてかなりの事実を知っているはず。しかし、中国国内にいながら、事件について最も知っている、事件の真実を知っているのは、弾圧を行った当事者である中国共産党だ。

 天安門事件に関連して、大連時代に経験したある一幕が思い出される。もう4年前か5年前になると思うが、私はある夜、中国共産党員の人と食事をした。

 少し脱線するが、中国共産党員には2種類ある。1つは、純粋な党員で、中国共産党の仕事をしている人。
 もう1つは、党員として、名前だけ中国共産党に登録している人。これらの人たちは、共産党の仕事をしているわけではなく、一般企業などに勤めている。中国の履歴書には、「政治的態度」という項目のある場合が多い。私も、そこに「党員」と書いてある履歴書をたくさん目にした。
 だが、後者の人たちは、必ずしも中国共産党に忠誠を誓っているわけではない。独裁国家で生きるのであるから、その政党の党員になっておけば、不利益を被ることもないだろう。職場にもよるだろうが、党員なら昇進が早いなど、優遇されるかもしれない。私も個人的に、「正当な評価を受けていないのでは」と思える大学教授を知っているが、彼は党員でなかった。

 さて、本題に戻ると、私が食事したのは前者の共産党員だった。彼は、天安門事件について次のように言った。

 「もし学生たちを鎮圧せず、中国共産党の独裁体制が崩れていたら、中国は大混乱に陥っただろう。その混乱はアジアや世界にも影響し、経済的にも世界に大損失を与えただろう。このような大混乱を防いだわけだから、天安門事件は正しかった」

 この考えには賛成できないが、私は「やっぱりな」と感じた。中国共産党は、このように事件を正当化するのかと知った。

 また、彼は若かったので、事件当時に党員だったとは思えない。入党してから、共産党の内部で、事件について知らされたのだと想像できる。犠牲者の人数はうやむやにされているかもしれないが、「中国共産党が天安門広場で弾圧を行った」という事実は、それを正当化する理屈とともに、中国共産党の内部で語り伝えられているようだ。

 「共産党の独裁体制が崩れれば、中国が混乱する。その混乱は世界にも悪影響を及ぼす。だから、独裁体制の維持のためなら、武力行使も正しい」。こんなことをいう大国を、世界は受け入れてくれるだろうか。毎日新聞は、社説で中国を「異質な大国」と評しているが、私も同感だ。

 事件当時の最高権力者であった鄧小平は、中国共産党を守るために武力行使に踏み切ったとも言われている。おそらく、多くの中国共産党員にとって、共産党を守ることは、至上命題であり、また、死活問題でもあるだろう。
 ある日、中国の民主化が実現し、共産党の独裁が崩れたとしよう。そんな世界で、元共産党員を待っているのは、どんな現実だろうか。かつての独裁集団に、市民はどんな目を向けるだろうか。

 だから、中国共産党員は、党を必死に守るだろう。だからこそ、中国の政治は「中国共産党の中国共産党による中国共産党のための政治」なのだ。やや天安門事件から飛躍してしまったが、私は中国の政治を、この様に見ている。
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【便利なウェブサイト】オンラインでのPDF編集

2019年05月15日 | 雑記
PDFをちょっと編集したい、ということはありませんか。
そんな時、私が愛用しているのは「iLovePDF」というウェブサイトです。
日本語にも対応していますし、パソコンへインストールして使うソフトウェア版もあります。

PDFをいじりたい時、試してみてはいかがでしょうか。
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【書籍の紹介】大連・旅順歴史ガイドマップ(木之内誠・平石淑子・大久保明男・橋本雄一 著)

2019年04月22日 | 中国や大連のこと
大連に関連する書籍が出版されました。
『大連・旅順歴史ガイドマップ』(木之内誠・平石淑子・大久保明男・橋本雄一 著)です。

「大連・旅順の街並みの変遷を、現在の地図上に再現」と紹介にある通り、現在の地図(地名)の上に過去の地名が重ねられています。
正に「大連・旅順の過去と現在をつなぐ歴史地図」となっています。

私は、大連に暮らしていましたので、現在の地名は分かりますが、過去の地名までは詳しく知りませんでした。
非常に興味深い内容です。

大連や旅順に関わっている方、関心を寄せている方にはお勧めです。


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満洲族からモンゴル族への手紙 ~その翻訳と所感~3/3

2019年04月03日 | 中国や大連のこと
 前回からの続きです。

 それでは、中国の歴史を簡単に概観してみましょう。私たちは、漢民族が中国史の中心にいたと考えがちですが、それは違います。
 まず、古代には夏、殷、周という王朝がありました。「これら三王朝は、漢民族の祖先が建国した」と、漢民族は思いたいのかもしれませんが、これら三王朝はそれぞれ別々の民族によって建国されています。この3民族の系統が漢民族に繋がるのか分かりませんが、仮にどれか1つの王朝を漢民族の祖先が建国したとしても、残りの2つはそうならないのです。

 その後は、春秋戦国という分裂の時代を経て、秦が統一王朝を築きます。秦は、辺境から出た国ですので、華(漢民族)ではなく、夷(非漢民族)であった可能性は非常に高いと思います。秦の後は漢民族の漢王朝となり、それからは、北に騎馬遊牧民たちの国、南に漢民族の国という状態が長く続きます。中国に存在した漢民族の統一王朝は、漢と明だけとも言われています。そして、中国全土を完全に統治した非漢民族の国が、元と清。民族で言えば、モンゴル族と満洲族です。

 この様な歴史的経緯から、満洲族、モンゴル族という二大民族と漢民族は、複雑な関係にあるのではないかと思います。この二大民族に対し、漢民族は完全な敗北を喫したわけですから、少なくとも一部の漢民族は、複雑な感情を抱いているはずです。
 ある時、こんなことがありました。数人で食事をしていて、話の流れは忘れてしまいましたが、話題が清のことに及びました。その時、同席していた漢民族の方が「清の話はやめてくれ」と言いました。おそらく彼にとって、清の時代は屈辱の敗北の歴史であり、聞きたくない話だったのでしょう。

 前半でも触れましたが、中華思想や華夷思想というものがあります。これは、華(漢民族)こそが世界の中心であり、それ以外の夷(非漢民族)は劣っているという考え方です。漢民族の中ではこの様な設定になっているのでしょうが、中国の歴史を振り返れば分かる通り、漢民族は決して、中国の中心ではありませんでしたし、ましてや世界の中心でもありませんでした。

 「夜郎自大」という言葉もあります。これは、夜郎という民族が漢王朝の強大なことを知らず、自らの力を誇ったという話から、「自分の力量を知らずに威張ること、またそのような態度」を言います。ですが、「夜郎自大」の言葉は、そのまま漢民族に当てはまらないでしょうか。相手を見下し、自分を世界の中心と思っているから、また、その夜郎自大さから、敗北を繰り返して来たのではないでしょうか。

 私には、敗北を正当化するための思想が、中華思想や華夷思想であると思えます。事実とは異なるが、自分を世界の中心であるとして、敗北から目を背ける。自分よりも強い相手を野蛮な「夷」として見下し、慰めを得る。この様な自己正当化の幻想や神話とも言えます。ニーチェの言葉を借りれば、「ルサンチマン」とも言えるでしょうか。

 現在、中国のGDPは世界で第2位。いつか1位になるとの予測もあります。ですが、中国の民主化を支持する1人として、最後に一言。中国が世界で本当の大国、世界の国々に受け入れてもらえる大国になるためには、中華思想と華夷思想、そして独裁の克服が必要であると、私には思えます。(中国と独裁に関しては、別で書こうと思います。)
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満洲族からモンゴル族への手紙 ~その翻訳と所感~2/3

2019年03月26日 | 中国や大連のこと
 前回からの続きです。

 作者の書いている内容に対し、私には同感の部分と違和感を覚える部分の両方があります。

 私も、文化に優劣はないと信じていますし、文化を守ることは大切だと思います。民族も、もちろん平等です。
 大学時代、ある英語の先生が、ご自身のアメリカ留学時代を振り返り、「違いがあるから楽しい」とおっしゃっていました。留学先で様々な出自の学生たちと触れ、そう感じたということです。正に、その通りだと思います。私も大連で、色々な民族や出身の人と知り合いました。
 ある生物種が絶滅してしまったら、それは取り返しのつかないことです。文化の消滅も、これと同じことではないでしょうか。

 また、作者は自分が満洲族だと言えないと書いていますが、私が大連で知り合った満州族の方々は、自ら「私は満洲族」と名乗ることが多々ありました。私が外国人だから言いやすかったのかもしれませんが、満州族であることを誇りに思っている人もいるはずです。

 私が違和感を覚えたのは、作者の歴史観、作者の語る満州族の歴史についてです。とは言いましても、今の中国では、作者の語っている歴史観が支配的であり、その様な設定になっているのだと思います。つまり、劣った非漢民族は、自文化を徐々に失い、漢民族に同化するという設定です。いわゆる中華思想や華夷思想とも言えるでしょう。

 この様な歴史観は、事実(史実)に反しています。中国の歴史を概観する前に、少し満洲族の文化について述べます。例えばチャイナドレスは、代表的な中国の服飾文化となっていると思いますが、元々は満洲族の服です。現代中国語も、その源流は清の王宮にあります。清は満洲族が建国しました。満州語を母語とする人たちの王宮で話されている中国語は、当然のことながら、満州語の影響を受けているのです。

 さらに、清末には、漢民族から「滅満興漢」という思想も生まれます。「滅満」とは、満州族を滅ぼすこと。「興漢」とは漢民族の復興であり、漢民族中心主義とも言えるでしょう。興漢だけを考えても、清に続く中華民国と中華人民共和国は、この漢民族中心主義の上に成り立っています。中華民国(台湾)は、民主国家ですので、あからさまな民族差別は弱くなっていると思いますが、中華人民共和国は、共産党(漢民族の支配層)の独裁と相まって、漢民族中心主義は強化されていると思えます。「滅満」という思想を生んだことのある社会の中で、満洲族が満洲族として生きていられたとは思えません。

 次回に続きます。
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