方方日記(1月26日) 日本語訳
皆さんのフォローと感心に感謝。武漢市民にとってこの重要な時、人々は初期の混乱や孤立感、焦燥感、緊張から抜け出し、現在はかなりの程度で落ち着いて安定している。だが、依然として皆さんからの慰めや激励は必要だ。今日までのところ、多くの武漢市民はすでに驚き慌てる状態ではなくなった。実は、12月31日の時点から回想し、この期間に私自身が体験した警戒から安堵までの全過程を記そうと思っていた。しかし、それを書くと長すぎる。そこで、まずは随時に日々の感想を書き、その後でゆっくりと「都市封鎖の記録」を書こうと思う。
昨日は1月2日で(訳注:旧暦の1月2日)、雨と風で寒かった。良い知らせもあれば、悪い知らせもあった。良い知らせとは、国の支援の程度がますます大きくなり、より多くの医療関係者が武漢へ来てくれたこと、そのほか諸々だ。これで、武漢市民がどれほど安心できたことか。これらは、周知の事実だろう。
そして、私自身の良い知らせとは、今のところ、家族に感染者がいないことだ。弟(訳注:年下の男のいとこだと思われる)は、感染症の中心地に住んでおり、彼の家は華南海鮮市場と漢口中心病院(訳注:漢口は武漢市の区、武漢市漢口区)の近くなのだ。弟の体調は良いとは言えず、前からあの病院には出入りしていた。だが幸いに、彼ら夫婦に大事はない。弟は、10日分の食料は確保しており、全く外出しないと言っている。私と私の娘、兄一家(訳注:年上の男のいとこだと思われる)は、武昌(訳注:武漢市武昌区)に住んでいる。長江を隔て、危険の程度は、漢口と比べて低く、(武昌は)落ち着いている。家から出られないとはいえ、つまらないという感覚もない。私たちの多くは、外出自粛に慣れた人とでも言えるだろうか。ただ、他の都市から帰省してきた姪と姪の娘は、やや気をもんでいる。もともとの予定では、23日に高速鉄道で武漢を離れ、広州へ行き夫と夫の両親と会うこととなっていた(実のところ、広州へ行けたとしても、日々の生活が武漢より良いとは言えなかったかもしれない)。しかし、都市封鎖となり、武漢から出られなかったのだ。都市封鎖がいつまで続くのか、仕事や子供の学校に影響するのか、全てが問題だ。だが、彼らが持っているパスポートはシンガポールのもので、昨日シンガポール政府から通知があった。それによると、近日中に武漢へチャーター機が飛び、シンガポールへ帰れるようだ(シンガポールの華人や華僑は、武漢に少なくないようだ)。彼らは帰った後も、14日間は隔離される。この知らせがあり、みなは一息つくことができた。もっと良い知らせもある。娘の父親(訳注:夫のことだが、中国語ではこのような言い回しもする)は上海で入院しており、レントゲンで肺に影が見られたが、昨日は警報も解除され、普通の風邪であり、新型コロナウィルスには感染していなかった。そして本日、退院となった。ついこの間、娘は彼と一緒に食事をしていたが、陰性が判明したため、自宅での厳しい隔離を受けることもなくなった(旧暦の12月30日、私は雨の中、車で彼女へ食事も届けたのだ!)。この様な良い知らせが毎日あるようにと、どれほど願っていることか。外出できないとはいえ、少なくとも、私たちの心は少し楽になっている。
悪い知らせももちろんある。昨日の昼間、娘が私に告げた。彼女と親しい人の父親(肺癌を患っている)に感染の疑いがあり、病院へ送られたのだが、応急手当を受けられず、3時間で亡くなったそうだ。これはおそらく、2日前のことだ。電話で、彼女はとても感傷的なっていた。昨晩は仲間の李さんから電話があり、私の暮らしている文聯大院(訳注:団地のような居住区の名前)でも2人の感染者が見つかったと言われた。30歳代で、家族感染らしい。(李さんからは)気を付けるように促された。彼らの家は、私の家から200~300メートルの距離だ。しかし、私の住んでいる所は独立しているので、それほどの心配はいらないだろう。とは言っても、彼らと同じ建物に暮らしている人たちには、やや緊張感がある。今日は、また同僚から話を聞いたが、彼らは軽症の感染者で、自宅隔離で治療するとのことだ。若いし、(治療)体制もしっかりしており、感染も軽症、きっとすぐに症状を克服できるだろう。彼らの早い回復を願う。
昨日、湖北省の記者発表は、話題となった。かなりの言われようだった。政府職員3人の表情は、悲しみと疲労に満ち、間違いも多く、心の乱れを物語っていた。実は、かわいそうでもある。彼らだって、家族が武漢にいるはずだ。彼らの自責の念は真実であると、私は信じている。どうして事態がここまで来てしまったのか、正常に戻れば、それも自然と分かるだろう。武漢政府は、初期の段階で感染症を軽く見ており、また都市封鎖の前後で職員は対応に窮していた。それが、市民に大きな恐れを与え、全ての武漢市民が傷つけられる結果となった。このことは、細々と文章にしていきたい。しかし今、私が言いたいことは、湖北省職員の対応の良しあしは、実のところ、中国の政府職員としては平均的ということだ。彼らが、他と比べて劣っているなどということは決してない。彼らは、運が悪かったのだ。職員たちは、書類に従って業務を行う。しかし、書類がなければ、なす術もない。今回の事態が、同じ時に別の省(訳注:省は日本の都道府県に相当)で起これば、そこの職員たちの対応が武漢より良いなどということはないだろう。官界が不運にも淘汰された悪しき結果、政治の正しさについて空論を述べ、事実に即して問題に対処しなかった悪しき結果、真実を口にすることを許さず、真相を報道させなかった悪しき結果、私たちはこれらを1つ1つ味わっているのだ。武漢がまず最初に、大きなものを食らったというだけだ。
皆さんのフォローと感心に感謝。武漢市民にとってこの重要な時、人々は初期の混乱や孤立感、焦燥感、緊張から抜け出し、現在はかなりの程度で落ち着いて安定している。だが、依然として皆さんからの慰めや激励は必要だ。今日までのところ、多くの武漢市民はすでに驚き慌てる状態ではなくなった。実は、12月31日の時点から回想し、この期間に私自身が体験した警戒から安堵までの全過程を記そうと思っていた。しかし、それを書くと長すぎる。そこで、まずは随時に日々の感想を書き、その後でゆっくりと「都市封鎖の記録」を書こうと思う。
昨日は1月2日で(訳注:旧暦の1月2日)、雨と風で寒かった。良い知らせもあれば、悪い知らせもあった。良い知らせとは、国の支援の程度がますます大きくなり、より多くの医療関係者が武漢へ来てくれたこと、そのほか諸々だ。これで、武漢市民がどれほど安心できたことか。これらは、周知の事実だろう。
そして、私自身の良い知らせとは、今のところ、家族に感染者がいないことだ。弟(訳注:年下の男のいとこだと思われる)は、感染症の中心地に住んでおり、彼の家は華南海鮮市場と漢口中心病院(訳注:漢口は武漢市の区、武漢市漢口区)の近くなのだ。弟の体調は良いとは言えず、前からあの病院には出入りしていた。だが幸いに、彼ら夫婦に大事はない。弟は、10日分の食料は確保しており、全く外出しないと言っている。私と私の娘、兄一家(訳注:年上の男のいとこだと思われる)は、武昌(訳注:武漢市武昌区)に住んでいる。長江を隔て、危険の程度は、漢口と比べて低く、(武昌は)落ち着いている。家から出られないとはいえ、つまらないという感覚もない。私たちの多くは、外出自粛に慣れた人とでも言えるだろうか。ただ、他の都市から帰省してきた姪と姪の娘は、やや気をもんでいる。もともとの予定では、23日に高速鉄道で武漢を離れ、広州へ行き夫と夫の両親と会うこととなっていた(実のところ、広州へ行けたとしても、日々の生活が武漢より良いとは言えなかったかもしれない)。しかし、都市封鎖となり、武漢から出られなかったのだ。都市封鎖がいつまで続くのか、仕事や子供の学校に影響するのか、全てが問題だ。だが、彼らが持っているパスポートはシンガポールのもので、昨日シンガポール政府から通知があった。それによると、近日中に武漢へチャーター機が飛び、シンガポールへ帰れるようだ(シンガポールの華人や華僑は、武漢に少なくないようだ)。彼らは帰った後も、14日間は隔離される。この知らせがあり、みなは一息つくことができた。もっと良い知らせもある。娘の父親(訳注:夫のことだが、中国語ではこのような言い回しもする)は上海で入院しており、レントゲンで肺に影が見られたが、昨日は警報も解除され、普通の風邪であり、新型コロナウィルスには感染していなかった。そして本日、退院となった。ついこの間、娘は彼と一緒に食事をしていたが、陰性が判明したため、自宅での厳しい隔離を受けることもなくなった(旧暦の12月30日、私は雨の中、車で彼女へ食事も届けたのだ!)。この様な良い知らせが毎日あるようにと、どれほど願っていることか。外出できないとはいえ、少なくとも、私たちの心は少し楽になっている。
悪い知らせももちろんある。昨日の昼間、娘が私に告げた。彼女と親しい人の父親(肺癌を患っている)に感染の疑いがあり、病院へ送られたのだが、応急手当を受けられず、3時間で亡くなったそうだ。これはおそらく、2日前のことだ。電話で、彼女はとても感傷的なっていた。昨晩は仲間の李さんから電話があり、私の暮らしている文聯大院(訳注:団地のような居住区の名前)でも2人の感染者が見つかったと言われた。30歳代で、家族感染らしい。(李さんからは)気を付けるように促された。彼らの家は、私の家から200~300メートルの距離だ。しかし、私の住んでいる所は独立しているので、それほどの心配はいらないだろう。とは言っても、彼らと同じ建物に暮らしている人たちには、やや緊張感がある。今日は、また同僚から話を聞いたが、彼らは軽症の感染者で、自宅隔離で治療するとのことだ。若いし、(治療)体制もしっかりしており、感染も軽症、きっとすぐに症状を克服できるだろう。彼らの早い回復を願う。
昨日、湖北省の記者発表は、話題となった。かなりの言われようだった。政府職員3人の表情は、悲しみと疲労に満ち、間違いも多く、心の乱れを物語っていた。実は、かわいそうでもある。彼らだって、家族が武漢にいるはずだ。彼らの自責の念は真実であると、私は信じている。どうして事態がここまで来てしまったのか、正常に戻れば、それも自然と分かるだろう。武漢政府は、初期の段階で感染症を軽く見ており、また都市封鎖の前後で職員は対応に窮していた。それが、市民に大きな恐れを与え、全ての武漢市民が傷つけられる結果となった。このことは、細々と文章にしていきたい。しかし今、私が言いたいことは、湖北省職員の対応の良しあしは、実のところ、中国の政府職員としては平均的ということだ。彼らが、他と比べて劣っているなどということは決してない。彼らは、運が悪かったのだ。職員たちは、書類に従って業務を行う。しかし、書類がなければ、なす術もない。今回の事態が、同じ時に別の省(訳注:省は日本の都道府県に相当)で起これば、そこの職員たちの対応が武漢より良いなどということはないだろう。官界が不運にも淘汰された悪しき結果、政治の正しさについて空論を述べ、事実に即して問題に対処しなかった悪しき結果、真実を口にすることを許さず、真相を報道させなかった悪しき結果、私たちはこれらを1つ1つ味わっているのだ。武漢がまず最初に、大きなものを食らったというだけだ。
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