創設者の公文公氏については、著作物その他で、公文の指導者ならどなたもご存知の筈。
私が教室を開設してまもなく亡くなられたので、生前お目にかかることはできませんでした。教育研究会を立ち上げて十年頃にお目にかかってみたかったものです、きっと
元気はつらつとした、面白いおじさんだったであろうと思います。
研究会の中では創業者として、半ば神格化されているかのようで、会長語録は指導バイブルとでもいう扱いです、私も何冊かの著書を読み、なるほど・なるほどと思っていました。
でも、公文から離れてみると、前身が高校教師だったということが、その後の研究会の
ありかたといいますか、運営方針に色濃く影響し、
指導者たちをいわばご自分の生徒のように考えておられたのではないかと思えるようになりました。
教師であれば、生徒を教え導くことは当然のことであり、優秀な指導者たちを育てることは彼の天性にぴったりの仕事であったろうと思います。そうして、その経営体質を
そのまま引きずっているのが、現在の研究会・・・・・
普通、物品を製造販売する業者にとって、それらを購入してくださる方はお客様です。
現在私は何社かの教材制作業者、あるいは販売店から教材を購入しているわけですが
彼らはみな、当方を顧客として対応してくれます。
「売ってやっている」という態度はかけらもありません。
教材を売買する相手として対等の立場で金銭の授受があります。
衣類を購入する時と同じように、販売員が「こちらがお似合いですよ」と言ってくれるように「先生のお教室でしたら、この教材はいかがですか」というようなセールスはありますけれど、それ以上立ち入ったことはないわけです。
こちらも、様々な《お店・商品》の中から、自分に合うものを選択できます。
それをいかに使いこなしていくかは、洋服の着こなしと同じで、私の勝手。
でも、教師対生徒であれば、対等ではありえないわけです。
なんと言っても、教材を購入しているのは各指導者で、それらを使用して塾経営をしているわけですから、研究会にとっては指導者こそがお客様のはずなのですが、
顧客として大切に待遇されているという感じを受けたことはありません、
皆様はいかがですか?
インストラクター時代は、やむをえないかと思うのですよ、研究会の補助を受けて
教室開設をしているわけですし・・・・でも、正資格となった時点で、経費的には
借りは返しているはずなのです、それだけのロイヤルティを支払えるようになっているわけですから。
以前書きましたように、一人のインストラクターを育てる経費が百万とすれば、
三百万のロイヤルティが入った時点で、元は取れているわけです。
となれば、あとはひたすら、研究会にとってはありがたいお客様、のはずなのですが。
ところがどうしてどうして。
売り上げが上がっている(生徒数が多い)指導者に対しては、局員も局長も
それこそ揉み手をせんばかりにするようですが、そこそこの生徒数で、扶養家族でいいんです、というタイプの、でも永年の上得意様には?
ええ、《生徒》ですから・・・・成績の良い、あるいは教師がご贔屓の生徒には何かと
下手に出たりするのと同じ感覚で、それ以外は、その他大勢、なのです、
ご自分の子どもの頃、あるいはお子さんの学校での処遇を考えてみてください。
ね?とっても似てると思いませんか?
私も、くもんの指導者だった頃には、何か違和感を覚えながら、それがどうしてなのか
わかりませんでした。
「おかしいなあ、研究会にとって、私たち指導者はお客様のはずなのに、
この態度はなんなんだろう、講習会でもない時に事務局に教材をとりに立ち寄っても、
こちらから呼ぶまで、誰一人立っても来ない、これってなぜ?」
「たまにアシスタントに教材を取りに行って貰っても、同じだという、それって?」
自分の中で不審に思っていたことが、外から見直してみると、氷解した想いです。
研究会を立ち上げた頃には、きっとそれでよかったのでしょう、
なにしろ創設者そのものが、教育者であり、先生教育に熱心で、それが世の為人のため、
で、案外、経理的なことには疎い御仁だったのかもしれません、数学に強いということと、経理・経営学は別物ですから。
研究会が軌道に乗り、じゃんじゃんロイヤルティが入ってきて、ひょっとしたら
「想定外」に儲かったのかも・・・・それで、《先生》としてはインストラクター制度を
お考えになったのかもしれませんね。
でも、スタートの頃の、いわば丼勘定で事足りた頃と違い、
あちこちに事務局を作り、拠点として動かしていかなければならないとなると、
それなりに、今度は経営の専門家が必要になってきます。
ところが、学校の先生の感性と、商売人としての感覚というのは、似ているようで
まったくの別物です。
よく、殿様商売などといわれるように、商人としての適正な利潤を上げるための気配りは、お殿様には通じません。
例えば、公文教室をやめて、独自の教室を開かれた先生の教室の近くに、
あわてて新たに公文教室を設置し、多大の経費をかけて二・三人の生徒しかいないのに
面子のために開設している・・・・・なんて、ソロバンが合わないことはなはだしいと思うのですが・・・・私の住んでいる県にはそういう教室がいくつもあります。
ですから、四十パーセントのロイヤルティは下げられないのでしょうね。
私だったら、そういう無駄は極力はぶいて、その分、既教室への援助にまわして
既教室での生徒数増員をはかるところですけれど。
もし、創設者が健在でしたら、あのエネルギッシュな方のことですから、
長年の内に、商売ということの感性をも学ばれて、現在の研究会とは別物の、
フランチャイズシステムを作られていたかもしれませんが、あいにく、
現在の事務局は、そういう機動性は持てないようになってしまっているようです。
入社の時から、ちょっとゆがんだ形で教師感覚を学んできてしまった人たちが
トップに立っているわけですから、経営学とはなじまない・・・・
研究会の様々な研修にも、税金の為の帳簿のつけ方の講習はあっても、
「帳簿の見方」の研修はゼロというのからも頷けます。
もっとも、もし、各指導者たちが「帳簿の見方」を学んだら・・・・・
フランチャイズシステムは瓦解しかねませんから・・・・
私が教室を開設してまもなく亡くなられたので、生前お目にかかることはできませんでした。教育研究会を立ち上げて十年頃にお目にかかってみたかったものです、きっと
元気はつらつとした、面白いおじさんだったであろうと思います。
研究会の中では創業者として、半ば神格化されているかのようで、会長語録は指導バイブルとでもいう扱いです、私も何冊かの著書を読み、なるほど・なるほどと思っていました。
でも、公文から離れてみると、前身が高校教師だったということが、その後の研究会の
ありかたといいますか、運営方針に色濃く影響し、
指導者たちをいわばご自分の生徒のように考えておられたのではないかと思えるようになりました。
教師であれば、生徒を教え導くことは当然のことであり、優秀な指導者たちを育てることは彼の天性にぴったりの仕事であったろうと思います。そうして、その経営体質を
そのまま引きずっているのが、現在の研究会・・・・・
普通、物品を製造販売する業者にとって、それらを購入してくださる方はお客様です。
現在私は何社かの教材制作業者、あるいは販売店から教材を購入しているわけですが
彼らはみな、当方を顧客として対応してくれます。
「売ってやっている」という態度はかけらもありません。
教材を売買する相手として対等の立場で金銭の授受があります。
衣類を購入する時と同じように、販売員が「こちらがお似合いですよ」と言ってくれるように「先生のお教室でしたら、この教材はいかがですか」というようなセールスはありますけれど、それ以上立ち入ったことはないわけです。
こちらも、様々な《お店・商品》の中から、自分に合うものを選択できます。
それをいかに使いこなしていくかは、洋服の着こなしと同じで、私の勝手。
でも、教師対生徒であれば、対等ではありえないわけです。
なんと言っても、教材を購入しているのは各指導者で、それらを使用して塾経営をしているわけですから、研究会にとっては指導者こそがお客様のはずなのですが、
顧客として大切に待遇されているという感じを受けたことはありません、
皆様はいかがですか?
インストラクター時代は、やむをえないかと思うのですよ、研究会の補助を受けて
教室開設をしているわけですし・・・・でも、正資格となった時点で、経費的には
借りは返しているはずなのです、それだけのロイヤルティを支払えるようになっているわけですから。
以前書きましたように、一人のインストラクターを育てる経費が百万とすれば、
三百万のロイヤルティが入った時点で、元は取れているわけです。
となれば、あとはひたすら、研究会にとってはありがたいお客様、のはずなのですが。
ところがどうしてどうして。
売り上げが上がっている(生徒数が多い)指導者に対しては、局員も局長も
それこそ揉み手をせんばかりにするようですが、そこそこの生徒数で、扶養家族でいいんです、というタイプの、でも永年の上得意様には?
ええ、《生徒》ですから・・・・成績の良い、あるいは教師がご贔屓の生徒には何かと
下手に出たりするのと同じ感覚で、それ以外は、その他大勢、なのです、
ご自分の子どもの頃、あるいはお子さんの学校での処遇を考えてみてください。
ね?とっても似てると思いませんか?
私も、くもんの指導者だった頃には、何か違和感を覚えながら、それがどうしてなのか
わかりませんでした。
「おかしいなあ、研究会にとって、私たち指導者はお客様のはずなのに、
この態度はなんなんだろう、講習会でもない時に事務局に教材をとりに立ち寄っても、
こちらから呼ぶまで、誰一人立っても来ない、これってなぜ?」
「たまにアシスタントに教材を取りに行って貰っても、同じだという、それって?」
自分の中で不審に思っていたことが、外から見直してみると、氷解した想いです。
研究会を立ち上げた頃には、きっとそれでよかったのでしょう、
なにしろ創設者そのものが、教育者であり、先生教育に熱心で、それが世の為人のため、
で、案外、経理的なことには疎い御仁だったのかもしれません、数学に強いということと、経理・経営学は別物ですから。
研究会が軌道に乗り、じゃんじゃんロイヤルティが入ってきて、ひょっとしたら
「想定外」に儲かったのかも・・・・それで、《先生》としてはインストラクター制度を
お考えになったのかもしれませんね。
でも、スタートの頃の、いわば丼勘定で事足りた頃と違い、
あちこちに事務局を作り、拠点として動かしていかなければならないとなると、
それなりに、今度は経営の専門家が必要になってきます。
ところが、学校の先生の感性と、商売人としての感覚というのは、似ているようで
まったくの別物です。
よく、殿様商売などといわれるように、商人としての適正な利潤を上げるための気配りは、お殿様には通じません。
例えば、公文教室をやめて、独自の教室を開かれた先生の教室の近くに、
あわてて新たに公文教室を設置し、多大の経費をかけて二・三人の生徒しかいないのに
面子のために開設している・・・・・なんて、ソロバンが合わないことはなはだしいと思うのですが・・・・私の住んでいる県にはそういう教室がいくつもあります。
ですから、四十パーセントのロイヤルティは下げられないのでしょうね。
私だったら、そういう無駄は極力はぶいて、その分、既教室への援助にまわして
既教室での生徒数増員をはかるところですけれど。
もし、創設者が健在でしたら、あのエネルギッシュな方のことですから、
長年の内に、商売ということの感性をも学ばれて、現在の研究会とは別物の、
フランチャイズシステムを作られていたかもしれませんが、あいにく、
現在の事務局は、そういう機動性は持てないようになってしまっているようです。
入社の時から、ちょっとゆがんだ形で教師感覚を学んできてしまった人たちが
トップに立っているわけですから、経営学とはなじまない・・・・
研究会の様々な研修にも、税金の為の帳簿のつけ方の講習はあっても、
「帳簿の見方」の研修はゼロというのからも頷けます。
もっとも、もし、各指導者たちが「帳簿の見方」を学んだら・・・・・
フランチャイズシステムは瓦解しかねませんから・・・・
私なら…いまさら…という思いです。
あっ失礼しました。
実は公文のスタッフをしています。もともと批判的でしたが縁あってスタッフをすることになり、指導者の方の情熱に合わせて仕事をこなしていってますが、その先生も開設4年目になりますがいろんな理不尽なことに気がつかれて不満を漏らしておられます。でも…私なら最初から冷静に事務局と向き合えば利用される可能性が見えていたはずだと思うのですが…。いろんな面で。先生の情熱は最初燃え上がっていたようです
でも、私が最初批判的だった公文の指導方式はさすがに今はいい方向で受け取っています。でもだからこそ!こんな情熱を持った指導者をもっと大切にしてほしいと考えていたところです。私の主人も同じ考えで
「飼い殺しやな~」なんてきわどい発言をするぐらいです。