この間生まれたばかりだと思っていたけれど
もう半年経ち、お雛様をみんなで観に行くという幸せなひと時を過ごせました。ありがたいです。
お雛様と言えば、私が子供の時は我が家には、ガラスケースに入った女の子の日本人形一体と、次女の私には、因幡の白兎の神様の日本人形があるだけでした。
これが私のだと言われて育ち、なぜ?男の人形なの?と多いに疑問に思っていました。
しかも、姉の女の子の人形より、なんだか古びていました。
そんなことも
懐かしい思い出です。
そんなことの反動でか、
娘には7段飾りのお雛様を、買ってもらいました。
私の両親が、買ってくれたのですが、
きっと母も7段雛人形を買ってあげたかったのでは、ないかな?と思っています。
けれども、当時住んでいたアパートは狭く居場所がなく困ったことも楽しかった思い出です。
さて、娘はどんなお雛様を買うのかな?
(スポンサーは私達ですが)
と、ここまで書いて来て
今更ながら気がついたのですが、
私がまだ赤ちゃんだった頃は、昭和30年代後半。
一般の庶民にはお雛様なんて、手の届かない存在だったのかもしれません。
そして、私のだよ、と言っていた因幡の白兎の神様の人形は、母が実家から持ってきたものだとも聞いたような記憶があります。
姉のお雛様は母の実家から送られて来たものでしょう。
若い両親はそんなお雛様たちを飾って、私たち2人の子どもを一生懸命に育ててくれたのだなあと思うと、感謝以外のなにものもありません。
まだ貧しかった日本を支えて来た親世代の皆様に、改めてありがとうと言う気持ちが湧いて来ました。
この日本をこれこらもずっと、守って行きたいと、つくづく思います。
お雛様を観に行った記事から、
日本の未来にまで発展してしまいました。
長い文章を読んでいただきどうもありがとうございました。
今日は日曜日。
皆様お元気でお過ごしください