北岸にて 〜 シドニーの北郊・ノースショアから想う日本のこと、世界のこと。

〜シドニーの北郊・ノースショアから想う日本のこと、世界のこと。

パリの夜

2020-09-26 11:33:29 | 旅の雑感
京都を旅行した時に、予約した宿がたまたま明智光秀が挙兵した場所に近かったことで、彼の足跡を辿ることができたことは以前書きましたが、似たようなことはパリを旅した時にもありました。

パリでホテルを探した時に一番優先したのは、なるべく高層階でテラスがあるというものです。そこから街を眺めながら、コーヒーを飲むというのが最もしてみたいことでした。City View, Terraceというのをキーワードに入れて調べたところ手頃な部屋がマレ地区のRepublique駅のそばにあり、そこで予約を入れました。例によって予約を入れてから周辺の情報を調べたのですが、この宿から150メートルも離れていないところにタンプル塔の跡があることが分かりました。タンプル塔というのはフランス革命時に国王ルイ16世と王妃マリー・アントワネットの一家が幽閉されていた建物です。特に王太子のルイ・シャルルは両親が処刑された後も幽閉され続け、体調が悪くても医者にも診てもらえず放置され、わずか10歳で衰弱死してしまいます。このエピソードを知ってから、レ・ミゼラブルで描かれているような「革命軍は善、王党派は悪」というのが必ずしも正しいとは言えないと思うようになりました(当時4歳だった子供に政治的な罪はないはずです)。決して観光地というわけではありませんが、歴男としてはこういう場所を見逃すわけにはいきません(笑)。

ホテルを後にして5分も歩くと右手に公園が見えてきます。この公園がタンプル騎士団の修道院の跡地で、その周辺の道路に塔の跡を示す白線が引いてあるという情報を得ていたので足元に注意して歩いていると、見つけました。薄いですがきちんと正方形の線と側塔を示す円が引いてあります。すぐ脇にあった図書館のスタッフの方に話を聞いてみたのですが、この白線と図書館の壁に埋め込まれたプレートだけが現在のところタンプル塔を示す唯一のものだということでしたので、フランス国内でもそれほど広く知られている場所ではないようです。

その日の夜、小さな子供が楽しげに走りまわる音で目が覚めました。時計を見ると午前2時過ぎです。窓から下の通りを見ますが人影はありません。隣のベッドルームでは妻と娘がぐっすり眠っています。夢だったのかな、と思いながら静まり返ったリビングに戻りました。ソファベッドにもぐりこみながら、ひょっとしたらと思いました。ルイ・シャルルが遠い国から自分を訪ねてきた物好きな男に会いにきてくれたのかもしれない。。。。そうだったらいいのにな、と思いながらまた眠りにつきました。







本能寺とラブホテル

2020-06-21 19:03:14 | 旅の雑感
大河ドラマの「麒麟がくる」の放送が一時休止とのニュースを聞いて、思い出したことがありました。

去年京都を旅行した時に、亀岡市にある湯の花温泉の旅館に滞在しました。予算がタイトだったので、ウチの家族の中で京都観光と温泉と2つのニーズを同時に満たすにはどうするか知恵を絞った結果、京都市内での宿泊をあきらめ、周辺の温泉宿に滞在しながら、市内へはレンタカーを使って観光しようとなった訳です。とくに日本風の情緒のある貸し切りの露天風呂があるという条件で見つけたのが、湯の花温泉でした。

予約を入れてから温泉地の周辺をいろいろ調べてみると、この亀岡の地というのは明智光秀が織田信長を討つべく、全軍を本能寺に向けて出陣させた所だったのですね。今からおよそ400年前に光秀は亀岡を出発し、沓掛の別れ道から西国ではなく京都に向けて軍を進め、夜明けとともに本能寺の信長を急襲したわけです。旅程は午後の新幹線で京都駅に着き、レンタカーを借りてこの明智軍のルートのほぼ逆を辿って亀岡へ行くというものでした。当日、実際に車を走らせてみるとよく晴れた京都の街は平和そのもので、血なまぐさい400年前の事件を想像させるものは何もありません。国道を走っているとセブンイレブンやらケンタッキー・フライドチキンなどのチェーン店が目につきます。それらを横目にみながら、桂川を越える頃まではシドニーの街を走っているのとそう違いはありませんでした。

しかし沓掛を過ぎて、老ノ坂峠へさしかかる頃には、山の木々が夕陽をさえぎるようになり、道にも暗い影が落ちるようになります。寂れた道路脇のラブホテルを何軒か過ぎる頃には、気分が深夜の峠を進軍していた兵士の気持ちに寄り添うようになりました。明智軍の兵士達にも妻や恋人がいたことでしょう。そして戦場に出かける前には、その若い男女が別れを惜しむように抱き合っていたことでしょう。村上春樹の小説の中にもある兵士が死を目前にして、「出征する前に一度だけ抱いた女性のことを思い出しました」というような一節があります。女性の中にはよく「あの男は私とは遊びだったのよ!」みたいに言う人がいますけれども(笑)、男にとってはどの経験も死ぬまで心に残るものだと思います。話がそれましたが、その古く寂れたラブホテルが、明智軍が通った峠の道にあることがとても自然に思われたんですね。

そしてその暗い気持ちは、田園風景が広がる亀岡に入っても続きました。暗い気持ちといっても、悲壮感というと少しニュアンスが違います。ただ戦国時代からあったであろう里山やそれに囲まれた田畑を見ると、むかし人々が「一尺五寸に切った火縄」の銃を担いで京都まで歩き、そこで生死を賭けた合戦をしていたということが、なんとなく事実として腑に落ちるというだけです。