スケート施設「MAO RINK」実現 東京・立川でセレモニー:朝日新聞デジタル
朝日新聞にこのような記事がでていた。
11月1日には2面の全面広告で100周年を宣伝していた”立飛ホールディングス”のものらしい。
ところで、この”立飛”は”当然”立川飛行機”の省略だ。
しかし、歴史的に立飛ホールディングスはどうやら立川飛行機の後継企業とうわけではないようで、立川飛行機自体はもう終わった会社のようである。しかしこの会社のホームページには戦前からの飛行機製造のことも出ている。だが”立飛ホールディングス”は不動産業の会社であるようだ。
要は、戦前の立川飛行機自体がかなりの負債なども持っていて、負債のみならず当然戦前の国策企業であれば、従業員もたくさん抱えていて、戦後どうなったのか、、、空襲も受けている会社である。どうなんだろう。例えば同じ多摩地区の中島飛行機でなくなった女子学生がいたことなど先日NHKで報道していたが、空襲を受ければそのような犠牲者もいたろうし、戦後事業をやめたときの退職者のその後も気になるところだ。
が、そのようなことはホームページの歴史にはでていない。
先ほど中島飛行機のことを書いたが、スバル(富士重工)は中島飛行機が前身であることを堂々と書いていると思う。しかし、立飛ホールディングスは、どうもそのあたりの”負債”についてどうかというのは書いていないように見える。
それにしても当然戦前の国策会社なので、土地の取得などについては恩恵もあっただろう。でもって、私企業としてその運用で儲けていくと。中島飛行機の跡地がICUやアメリカンスクールインジャパンなど、わりと公共的な目的に使われていることを考えると、なんだかなー、という感じがある。まあスケートリンクも公共といえば公共ですが。
もし立飛ホールディングスが利益のある部分を基金にして、第二次世界大戦のあと、今でも残る海外も含むあれやこれやの解決にあたるなら、小生は称賛の限りを尽くすところだがどうなんだろう。