うろうろとする日々

入不二基義氏のX投稿をよんで

このような投稿があった。

ここで入不二氏自体の発言ではないが、牧野剛氏の名前が出ていて、この点入不二氏が肯定しているのかはいまいちわからなかった。おそらくは入不二氏も東大の哲学系の方々が河合塾で稼いでいるひとがいることを知っていたと思うのだが。

実は小生は駿台の敷居の高さに河合塾に言った人間だが、あまり牧野氏の影響は感じていなかった。

ちなみに国語科の名物講師というのは小生の中では前中昭氏であって、当時は坂本龍一の話などはしていなかったように思う。そのほかにも高校をやめてうつってきたひとたちもたくさんいたような。前中氏の大森荘蔵氏のテキストを使った模擬授業のような感じの募集パンフレットがいたく心に刺さったのをおぼえている。残念ながら立岩真也氏との接点はなかった。

もしかすると牧野氏直接ではなくても、東京進出にあたって、牧野氏を教えて当時東大にうつっていた廣松渉氏の影響下に集まった人たちがいたのか?

当時はたしかに全共闘経験者のひとたちは結構いたような感じであったがどうなんだろう。全員ではないが、その後ご活躍の様子を新聞などでみるひとが多い。

という感じからすると、

廣松氏の弟子(科学哲学)+その周辺の東大の大学院生

高校をやめたひとたち(前中氏などはもう定年だったんじゃあ)

のふたとおりがいて、そういえば古文のS氏は福田恒存がこういった、というようなことをしゃべるようなひとがいて、それはそれでひとつの真理をついていたように思った。こういうひとはおそらく牧野氏とは全く相いれないと思います。

まあそこが外からの、ということなんでしょうけどね。繰り返しますが入不二氏が牧野氏一本のようなところをどう思っているのかわからず書いています。なかなか近いだけに個人名は出しにくいかもしれませんが、入不二氏(師か。たしか河合塾の先生はこれはやめてくれといってたなあ)の河合塾で教えていたお知り合いの特徴なども教えてもらえるといいんですけどね。

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