職場の同僚から、「子どもと暴力」(森田ゆり著作)という本を勧められ読んでいる。まだ読み始めて100ページぐらいであるが、その中で自由の意味を語っている部分があり、自由の意味をはき違えている自分に気づかされた。
その本の中に、日本の風土に長年染み込んでいる自由とは、わがまま勝手という意味だ。人権概念としての自由とは、自ら考え、自ら行動し、自らその結果を引き受けるという意味だ。自由ではなく、自主という表現が適切だなどと書かれている。
以前、箴言20に自由とは何ぞやと書いたことがあるが、私の自由とは、どちらかといえばわがまま勝手に近い。(クリック⇒http://blog.goo.ne.jp/goo3595628/e/56d0c2824d07effcc7ccd6a457d166ac)
自由になりたい、自由でいたい、そう思っていた。しかし、イザ自由を手に入れても、それは何もしない自由であって、結局はつまらない自由でしかなかった。欲張ってあれこれと手を出しているだけで、結局は何もしないで無為無策な日々を過ごしている自由である。
自由とは自主であるという言葉を教訓に、心とからだの調整をしながら、これからの自由をとことん味わいたいと思う。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます