宮城県 高蔵寺 阿弥陀如来
写歴というよりカメラ歴54年になるが、年数をただ重ねただけのこと。本当は写真に頼らず、眼で見て心のフィルムに焼き付けることが大切だと思う。
写真というのは、読んで字の如く「真実を写す」ことにある。その写真が訴えるものは何かを如何に表現するかも大切ではあるが、写真の上手い下手以前の「伝える」という手段の一つとして写真の持つ意味は大きい。
10年前に2年をかけて、全国のお寺巡りをしながら撮らせていただいた仏様の中には、手がなかったり、穴が空いていたりしている損壊仏も少なくなかった。地方にも、数百年もの間その土地の人々を見守り続けてきた仏像がたくさんある。知られざるみ仏の姿を、出来るだけ多くの人々に伝えたい。それが私のライフワークでもある。
この頃はデジタルカメラが主流。フィルムや現像代がかからないし、メディアの容量も飛躍的にアップして、私が日頃持ち歩いているポケットカメラのSDカードは、最大サイズ10MBの静止画で6600枚もの撮影が可能である。
しかし、それが却って災いしてか、やたら撮りまくることがある。安易に撮影している写真には感情が伝わらない。どこそこのお寺にはどういう仏像があるという、ガイドブック的写真ではダメなんだと自戒することも多く、まだまだ修行が足らない。かの有名な土門拳さんのように、鬼気迫る写真を撮りたいものだ。
当地の「阿弥陀如来」様と偶然出会えました。
高蔵寺阿弥陀堂 木造阿弥陀如来坐像
本尊の阿弥陀如来坐像は、平安末期の治承元年(西暦1177年)に建てられた御堂の主尊として翌2年に作られた寄木造りに漆箔を施した丈六の木像です。
舟底天井につかえるばかりの透かし彫の大きな飛雲光背を背にして、床の上に直接すえられた蓮華座に安置されています。
平安時代から鎌倉時代への過渡期を代表する仏像です。
現在は京都に運搬し修理作業行われています。
貴重な情報に驚きました。ありがとうございます。
この阿弥陀様は、私が師と仰ぐ西村公朝さんの本
「仏像は語る」にも掲載されていて、今でも印象深い
仏さまです。