
福井県 中山寺 阿弥陀如来像
毎朝、般若心経を唱えて20数年になるが、未だに般若心経とは何かと問われれば答えられない凡夫の私、久しぶりに高神覚昇氏の「般若心経講義」を手に取る。
本の第四講に『永遠の生命』という項目があって、そこにも智慧と慈悲について書かれている。「色即是空と見れば、大智を成じ、空即是色とみれば、大悲を成ず」という。ここでいう大智とは大きい智慧、ほんとうの智慧です。大悲という言葉は大きい慈悲、ほんとうの慈悲のことです。仏教では、その智慧も慈悲も、共に空という母胎から生まれてくるものだというのです。その空とは「般若の空」で、有(存在)に対する無(非存在)というような、そんな単純な空という意味ではないという。
空という意味は様々な解釈がなされているが、有るとか無いとかいう次元でないことは私にも少し分かっている気がする。とにかく毎朝般若心経262文字を暗誦していると、自分の心に安らかさを感じることがある。その安らかさが空という状態の一つではなかろうかと、一人勝手に解釈している。
智慧とというのは仏の智恵で、私たち人間の知恵とは比べものにならない。知識はあっても知恵がない人が多い。それと知恵があっても浅知恵とか悪知恵が蔓延る。自分ではどうにもならなくなって神仏に縋ろうとする。それはそれで決して悪いことではないと思うし、そういう祈りの情景は信仰の表れとして美しいと思うし、仏の智慧で私たち人間を大きな慈悲で包み込んでくれる。
仏には、人間を救済するためにカタチを変えて数々おわす。釈迦・阿弥陀・薬師などの如来をはじめ、観音・地蔵などの菩薩たちが柔和な顔で迎えてくれる。不動明王のような恐い顔をした仏もいるが、言うことを聞かない人間を叱咤激励してくれる。
仏像写真をライフワークとして16年になる。自宅のギャラリー「ハチの家写真館」には、常時22枚の仏像写真が飾られている。そのほかにも全国行脚して撮影させていただいた仏像写真の数々が、脳裏に焼き付いて我が家を見守ってくれている。
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