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白隠禅師 坐禅和讃1

2021年04月04日 07時00分00秒 | 慈しみと悲しみと

              佐賀県基山町 大興善寺 月天

衆生本来仏なり    衆生(いのちあるもの、人間)はもともと仏さまであり、

水と氷の如くにて   仏の心は水(さとり)であり、衆生の心は氷(煩悩)のようなものだ。

水を離れて氷なく   しかしながら、氷は本来水であり、水があるから氷が存在するのだ

衆生の外に仏なし   したがって、わたしたち衆生を置いて仏はないのである。

衆生近きを知らずして それなのに衆生は、この身が仏であることに気づかないで、

遠く求むるはかなさよ 遠くに仏がいると思い、それを追い求めることははかないことだ。

譬えば水の中に居て  私たち凡夫は、たとえていうならば水の中にいて

渇を叫ぶが如くなり  水がほしい、水がほしいと、渇を叫んでいるようなものである。

長者の家の子となりて それは長者の家の子として生まれたにもかかわらず、

貧里に迷うに異ならず その家を出て貧しい物乞いの生活をしているようなものである。

 

六種輪廻の因縁は   六種輪廻(六道輪廻)という六つの迷いのはじまり、因縁は、己れが愚痴の闇路なり 自らの無知、迷いからきており、闇をさ迷わせているのである。
坐禅和讃は、白隠禅師が民衆のために四十四句の章句にまとめたもので、ここに謳われている精神は、まさに仏教の真髄と言われている。生きとし生けるもの全て森羅万象をいうが、ここでは特に我々凡夫をさす。六種輪廻の因縁とは、仏教の六道輪廻のことであり、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天に生まれ変わることをいう。私たちが生きるこの娑婆世界も六道のひとつで、苦しみの多い地獄とも言えると説かれている。

 

   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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