浜松の食事処 「万松」(ばんしょう)
私は男ばかり五人兄弟の四番目である。上から全員3才違いで、一番目と二番目は病死していない。残ったのは私と郷里浜松に住んでいる兄と弟。帰省したときは、その兄と弟の家に泊めてもらっている。
兄は浜松で「万松」(ばんしょう)という和食の大衆割烹を営んでいるが、創業25年目にして、店の敷地に平屋の自宅を建てた。それまでは店の2階を住居にして、店の増築、改装にお金をかけ商売優先の生活をしてきた。当初は十数人も入ればいっぱいだった店も、今では敷地も買い増して駐車場も広くなり、同時に150人は入れる大きな店となった。また、すぐ近くに広い駐車場付きの貸店舗4軒も所有している。私が定年退職したら、ここで喫茶店でもしないかと冗談交じりに言われたことがあるが、兄弟離れて暮らすより、浜松に帰って来ないかと言いたかったのかも知れない。ちなみにうちのカミサンは、九州の大分で小さな喫茶店を10年ほどやっていた。毎日のようにいれてくれるコーヒーが美味しいのも、我が家自慢のひとつである。
包丁一本でたたき上げた兄の人生、安くて美味くてボリュームたっぷりの和会席をはじめ、刺身、鰻、海老などの料理も口コミで評判になり、ファミリー客を中心に、遠くは愛知県からもりピーターがやってくるほどになった。不況しらずの繁盛ぶりに兄本人も驚くほどてある。新聞やテレビの取材も数回あり、地元では一応名の知れた食事処となっている。
職人気質の兄は仕事に厳しい。だからこそここまで繁盛しつづけて来られたと思う。心筋梗塞で二度救急病院に入院しているが、働きづめの兄に、もう引退したらと言っても聞く耳を持たない。すでに次男があとをいつでも継げるまでに腕をあげているが、まだまだ大将でいたいらしい。
私と兄と弟とは、特に兄弟仲がよく、それぞれの子供が小さいころから、互いの家に行き来し泊まったりしていた。私と弟がカミサンを亡くしたこともあって、兄が日頃から気にかけてくれていたし、今でも一人暮らしでいる弟には、物心両面で支えてくれているのが嬉しい。
私が帰郷した際は、兄弟三人が新築した兄の家で寝食を共にし、弟の家にも、ひとり寝は寂しかろうと泊まるようにしている。
兄の家では、店が終わってから夜9時すぎの食事になるが、つい先日も油ののったカツオやマグロ、サヨリ、〆サバ、浜名湖の天然鰻、特大の海老フライなどなど、唸るほどの美味に酔いしれるほどであった。私はカツオが大好きで、この日のカツオは東京・横浜では滅多に味わえない上ものだった。
親も亡くなり、兄弟も三人だけとなった今、兄にはいつまでも長生きしてほしいと願っている。一人暮らしの弟も、愛知県にいる長男が家を建てて弟の部屋も用意してくれているというが、長年暮らした家からは離れがたいらしい。
三兄弟の年の数は計198歳にもなる。離れて暮らす私には、時々電話で「おい!元気でやってるか!」と気合を入れてくる。ついつい長電話になることもあるが、「兄弟仲良くしようぜ!」が兄の口癖だ。
うちのカミサンも九州の二人の姉ちゃんと仲がよく、三姉妹の年の合計は189歳とお互い高齢化している。
兄も弟もそれなりに頑張っている。私などは仏像写真家を目指すなどと自由気ままな生活で、気だてのいいカミサンとハチとのんびり暮らしてるだけである。あとはわずかでも社会貢献できればと、家事調停委員の仕事を続けながら、写真の腕を福祉施設の人たちのために生かせればと思っている。
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