神奈川県 鎖大師 青蓮寺 不動明王
大乗十来(だいじょうじゅうらい)のひとつに、「智恵は精進より来る」というのがある。大法輪閣編の仏教名句・名言集には、次のように書かれている。
一般に知識と知恵があって、迷わぬ行動の方向が定められると思いがちであるが、この大乗十来はその順序は逆であって、精進がなければ判断は生まれないものであることを示唆しているのである。
浄土宗では、修行の過程を五つに分けて弟子たちに教えている。一、掃除。二、勤行。三、精進。四、智恵。五、忘行。見事な順序である。
今日の青少年の非行の原因の一つに、勉強をさせるのに子供の尻をたたき、母親が、子どもがなさなければならない日常の仕事を、みんな代わってしてあげているために、人間としての大切な努力性、共調性、自発性が欠けることによる弱さが原因しているといわれる。
精進とは、努力や体験の重さに加えて、゛つづける゛ということの大きな自己開発の要因があるのである。智恵が先行しては本物になれないのである。(石川洋氏訳)
この言葉に私も十分頷ける。現代の日本は、小学校から塾に行かせて、いい大学に入って、いい会社に入って、高収入のいい生活をしようなどと、情操教育そっちのけで受験戦争に勝ち抜く学科知識を詰め込む傾向が強い。
人間としての生きる智恵なるものを教えるのは、学校の先生だけでなく、親であり、社会の大人であるが、少年たちには人間の生き様を描いた本を読み、泣けるような映画・テレビなどを大いに見てほしいと思う。
近頃の民放テレビは、ふざけたバラエティが目に余る。そういうものを偶に見てリラックスするのもいいが、芯となるものを持ち続ける精神が大事だと思う。
日頃から私は、「人間、知識より智恵」と言ってきた。「智恵は精進より来る」というのは、ただ体験に基づく頭の働きだけではなく、日頃からの努力が肝要ということでもあろう。
少子高齢化もあり、少年の非行事件は確実に減少しているものの、若者の引きこもりや自殺が目立つ。強い子に育ってほしいと願うのは、私の独りよがりだろうか。
ここでは精進料理とは何かより、例えば禅宗の修行僧雲水たちが、料理を作りつづけることに意味があるということではないでしょうか。