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愛知県豊川市 財賀寺 千手観音菩薩
会社の定年退職者会報の原稿依頼がきた。次号は申年生まれの人が対象らしい。75文字以内で近況を語る内容を所望している。
「家庭裁判所で家事調停委員をつとめる傍ら、仏像写真家を目指して古寺古仏を訪ねています。公私にわたる人生経験と仏の慈悲を糧に、人生とは何かを問うてます。」と書いた。あと5年は続けたいと思うライフワークである。
「人生とは何か」などとおこがましいが、66歳になってもこのテーマは永遠の課題であり、生きてる限り尽きない人間の業に取り組むようなものである。自業自得、因果応報という仏の教えに率直になれるのは、まさに己自身が身を以て体験したからこそである。
近頃は、遠出をして撮影旅行に行くことは少なくなったが、仏像に限らず、全てありとあらゆるものに仏性があるという「一切衆生、悉皆仏性」という仏の教えに共感しつつ、花一輪、木の葉1枚にも仏の慈悲を感じながらカメラを向けるようにしている。
美しいものだけにカメラを向けてきた自分が、花後の醜い姿にも目を向けるようになったのは、老い行く自分の姿にほかならない。仏教の四苦八苦の生老病死は必ずやってくる。心身の老い支度を、日常の中で徐々にしておかないと、イザというときに狼狽しかねない。
大震災のように、突然やってくる自然の猛威は避けようがない。事故や病気でいつ死ぬかもわからない。だからこそ人と自然との出会いを、常に一期一会として生きることが肝要なのかもしれない。
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