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仏像の声

2011年07月06日 16時14分02秒 | 慈しみと悲しみと

              京都愛宕念仏寺 ふれ愛観音

このところ、本格的な仏像写真撮影に出かけることは少なくなった。非常勤といえども、いつ裁判所の仕事が入るかもしれないので、昔のように長い間全国行脚するようなことはしなくなった。                                                                  

車もパジェロから普通乗用車に買い換え、車中泊もままならないしハチも老齢化している。かくいう私も来月67歳になる。この頃、年のせいか車の運転が下手になった。遮二無二全国を駆け回った頃がホントに懐かしい。これからは近隣都府県を中心にして、無理せず腰を据えて撮影を楽しみたいと思う。

過日、すぐ近くのHさんに、老人会で仏像の話をしてくれないかと言われ、その場で約束してしまった。時期は年末近くでもいいという。Hさんは、私が自治会長をしていた前の会長で、現在も連合自治会の事務局を務める傍ら、今年になって町の老人会の会長を引き受けられた。奥様ともども地域のためにご尽力され、敬服するばかりである。いまでも時々自治会長OBの集まりなどで、親しくさせていてただいている。

Hさんからたびたび老人会への入会を勧められていたが、仏像写真の目的に、お年寄りに見てもらいたいというのがあったので、いいチャンスと思った。またもや仏様が私の背中をポンと押してくれたような気がしたのである。

しかし、人前で仏像の話をするのは初めてだし不安がないわけではない。話の構想はすでに練ってあるものの、テーマを絞り切れていない。ただ仏像写真をお見せして説明することはしたくない。いま、私は尊敬する西村公朝さん著「仏像の声」という本を繰り返し読んでいる。その本の中にヒントが隠されているような気がするからである。

ここ数年、仏像ブームと言われ、仏像に関する本がたくさん出ているが、「仏像の声」は、仏師西村公朝さんが易しく解説してくれるおすすめの本である。冒頭に二つの話が載っていて、とても印象に残っているので、少し長くなるが要点を抜粋して転載させていただく。

「仏像の声」(仏師:京都愛宕念仏寺前住職 西村公朝著・新潮文庫)より 

見知らぬ若者が150万円の不動明王像を買っていったのです。正直いって驚きました。その日、午前中からその若者はカップルで展示会場にきて、一点一点私の作品を熱心に見ていました。やがてその二人は、5万円のお不動さんの絵皿と、150万円の不動明王像の間を何回も何回もいったりきたりするようになりました。今度は不動明王像をじっと見ています。その若者が受付に「あの仏像を買いたいんです」「ローンは何回まで組めますか」と訪ねてきたのです。

私は聞いてみました。「あんな高い仏像買ってどうするの」突然の私の質問に彼は、大学受験に失敗し、工務店の大工見習いとして働き、現場の棟梁に気に入られ、やっとこの仕事で身をたてていく決心がついたこと、ふと立ち寄ったデパートでこの仏像にであったこと、この仏像を見ていると、なぜかエネルギーが湧いてくる。これからの人生で新たな決意をし、スタートを切ったその心を失わないためにも、この恐い顔で自分を叱り、それでいて力づけてくれそうな仏像を、いつも身近において励みにしたい・・・。このように彼は考えたという。

不動明王のことを何も知らない若者が、このときすでにお不動さんの持つ法力をちゃんと理解し体感していたのです。仏像のありのままの姿、形を素直に見、正直に感じるという見方をする人間がいたのです。この若者の話を聞いて、私は1割値引きしてあげました。

 ・・・この話は読むたびに泣けてきます。

同じ展示会で、ちょっとご縁のあった川島明恵さんという人に招待状を出しました。この方は両目が6歳のときから不自由になった30歳ぐらいの女性です。その川島さんが会場にいらっしゃったので、私の最新作である木彫りの阿難尊者の像を両手でさわってもらいました。その像の私の制作意図は、次のようなものでした。

阿難尊者は、釈尊の弟子の中でも特にかわいがられた。彼はまじめに修業し、釈尊のそばで最後まで身の回りのお世話をした。釈尊が少し疲れたといわれたとき、阿難は、釈尊の肉体が最後を迎えていることに気づいた。彼は少しでも長生きしてほしいと、仏界の仏たちに祈った。合掌しながら南無釈迦、南無釈迦と唱えた。その姿は、ほかの人たちにはわからないが、心で泣いていたに違いない。この阿難の心境表現が私の制作意図でした。しかし、私は、川島さんには詳しいことは話さず、この像はお釈迦さんの弟子の阿難さんです、とだけ言って手渡しました。

彼女は、私の阿難尊者の像を抱え、両手の指先で像のあちこちを丹念にさわっていました。そして最後に、「この阿難さん、泣いていらっしゃいますね」と、つぶやいたのです。「泣いている?」私は驚きました。まさに私の制作意図を指先で見破ってくれたのです。そこで私は、「阿難さんてどんな方か知ってる?」とたずねました。すると彼女は「いいえ」と答えたのです。

その後、西村公朝さんは、銅像金箔仕上げの「ふれ愛観音」という、高さ1メートルの像を制作しました。目の不自由な方にも、直にさわってもらうことで仏像に親しみ、仏の心にふれていただきたいという発想から始められたものです。「ふれ愛観音」は、新聞などで取り上げられるや、この像の複製の申し込みが、宗派を超えて全国のお寺から殺到したそうです。わたしの記憶では、京都清水寺本堂の一番手前にも、ひょこんと鎮座されていました。

一昨年暮れ、郷里浜松で開催した仏像写真展で、仏像写真に合掌しておられる若い女性がいらっしゃいました。西村公朝さんの足元にも及びませんが、「み仏の慈しみと悲しみと」をテーマに、気持ちを込めて撮影させていただいたので、とてもありがたく、心から御礼申し上げました。

 

 



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