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こころの時代・・・生死を物語る

2021年02月04日 10時06分21秒 | 慈しみと悲しみと

                     岐阜県 千光寺 円空仏

NHK-Eテレ「こころの時代」を久しぶりにみる。岐阜県高山市の飛騨千光寺住職・大下大圓さんは、僧侶の姿で医療・福祉の現場へ出向き、末期のがん患者やその家族、医療者たちの苦悩や葛藤に寄り添う活動を30年以上続けてきた。大圓さんは、心の奥底にある声に耳を傾け、「死」を見つめながら「生」を語る。「希望を持つことは死の直前までできる」と説く。ちなみに飛騨千光寺は高野山真言宗の密教寺院で、今から1600年前に飛騨の豪族両面宿儺(りょうめんすくな)が開山し、約1200年前に真如親王(弘法大師の十大弟子の一人)が仏教寺院として建立された古刹。円空仏の寺としても広く知られている。

余命いくばくと末期のがん宣告を受けた時、人間誰しも相当のショックを受けるだろう。50年前に、前妻が原発性肝臓がんで、余命1ケ月と主治医に言われた時のことは今でも鮮明に覚えている。当時、妻も私も27歳、二男出産直後で幼い息子を二人抱えて途方に暮れた。闘病生活の心の支えとなったのがカトリックのシスターSさんだった。彼女は宗教こそ違えど、千光寺住職大下大圓さんとおなじように、末期のがん患者やその家族の苦悩や葛藤に寄り添う活動をしていたのである。シスターは90歳近くになるが、元気で年に一度はお会いしている。

仏教では生老病死と言って、四苦八苦の中に説かれている。人間生まれて来なければ苦はない、老いも病気も避けて通れず人間いつかは死ぬ、死後はどうなるかまで取り沙汰される。この世に生まれた以上、誰にも「生」があり、百人百様の生き様が描かれていく。この世のすべては諸行無常、千変万化を繰り返し同じ状態がずっと続くことはない。

私も今年77歳となる。親父の享年72歳を疾うに超えた。コロナ禍以前から狭心症の前歴もあり、死の恐怖を味わったこともある。コロナに感染したら重症化する確率が高く、感染=死と言うことになりかねない。ある意味、仮想「死」を見つめながら「生」を考える時かもしれない。

 



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