神田和泉屋直営の日本酒のお店。その神田和泉屋の横の路地を入ってすぐの二階に上がると和の小料理屋的雰囲気の「坐」がある。奥には囲炉裏風の席があり、お手玉をまん丸大きくしたような腰当が置いてあった。私のような正座しか出来ない者には好都合である。
このお店は、厳選された日本酒を如何に美味しくいただくかがメインのようで、秋田春霞特別純米山田錦、同じく春霞でにごり酒の美山錦、栃木四季桜貴酒純米吟醸を 、それぞれ二合片口でいただいた。
いずれもすっきり上品な味で「うまい!」の一言に尽きる。まさに日本酒の香りとコクを味わうのに相応しいお店である。最高級の酒は、石川鶴来菊姫の大吟醸十年古酒菊利姫山田錦で二合片口17千円。とても手が出ない値段である。
このお店は、ランチメニューもあるようだが、何といっても店主拘りの日本の銘酒を味わうことで、酒の肴はお刺身など用意できるものの、脇役に過ぎない思いがした。酒歴46年の私も初めての美酒であった。
今日は、茨城で暮らす長男に「一緒に飲もう!」と誘われてこの店に来た。過日、会社の方にここのお酒をいただいて、その味の素晴しさに感激したらしい。そこで酒好きのオヤジを連れて飲みたかったのが本音のようだ。二人での親子酒は約1年半ぶりである。
長男との、初めての親子酒は神楽坂のお店だったし、オヤジに似ず、洒落たいいところを知っている。今年もう40才になるが、結婚し、子供も二人出来て、嫁さんの家にマスオさんになって行ってしまったが、幾つになっても親子は親子である。
昔、父子家庭やっていた頃、「野風増」という歌をカラオケでよく唄った。「お前が二十歳になったら、女の話で飲みたいものだ・・・」などという歌詞である。
二十歳の倍になっしまったが、オヤジとしては嬉しいひと時である。ただし、女の話は墓場まで持っていくつもりであるが、今日、息子はいみじくも「家に連れてきた人は、みんなイイ人だった」と言っていた。ちょっぴりホッとした。
我が家は毎年、盆暮れの休みに全員集合、総勢13人が寝泊りして賑やかなときを過ごしているし、ひな祭り、端午の節句、新入学など爺婆の出番も多い。そうした家族ぐるみの交流はあるものの、親子二人で飲むことは数少ない。息子たちは携帯電話で「どう、元気?」と気遣ってくれる。そしていつも養母であるカミサンのことも気にかけてくれている孝行息子である。この放蕩道楽オヤジから、何でこんな優しい息子が出来たのか、本人の努力もあるが、やはり二十年にわたり面倒見てくれたおふくろのお陰である。今夜こうしてこの上ない美味しい酒が飲めるのも、家族全員健康であればこそのこと。また、み仏の慈悲あればこそと心から思っている。
酒が進むにつれ、殆ど話したことがない亡き妻の看病当時の思いを、ついぞ曝け出してしまった。息子に話したのは初めてのことである。
亡くなるまでの4ケ月間、毎日のように小松菜とりんごのジュースをつくり病院へ届け、そこからバスで戸塚駅へ、新橋乗換時に駅前の吉野家の牛丼で朝食、そこから銀座線で日本橋の職場へ、帰りは東京駅で幕の内弁当を買って、東海道線の車内で夕食、それからまた病院へ寄り自宅へという毎日であった。また、休日は長男のいる東横線大倉山の妻の実家へ、交互に二男がお世話になっている横浜山手外人墓地近くの聖母愛児園へ・・・。話している途中から涙が滲み出て、声が詰まってしまった・・・。二男出産後余命1ケ月と言われ、茫然自失としてしまったときのこと、病名「原発性肝臓ガン」、当時日本橋の丸善書店でガンに関する書物を探し、丸山ワクチンを見つけた私は、直接日本医大の丸山先生に面会を申し出て、川崎新丸子の付属病院に転院、ワクチン療法を続けた。丸山ワクチンは、ガンに効く効かないで世論を二分したような記憶があるが、私は今でも延命効果があったと信じている。私の書棚には、今でもガンに関する本がズラリと並んでいる。全日空(全部の日が空いているという造語らしい)になったら、のんびり読み返してみようと思う。
とにかく、末期ガン特有の痛みが激しく、最後はモルヒネの注射を打つ場所がないほどであった。しかし、熱心に通ってくれた横浜原宿の聖母の園のシスターが、亡くなる一週間前にフランス人神父をお連れになり、フランス・ルルドの奇蹟の聖水を口に含ませながら妻に洗礼を授けて下さった。礼名はマリア マグダレナ。不思議なことに、あれほど毎日痛がっていたのに、亡くなるまでの一週間は痛みもなく安らかであったのをよく覚えている。ルルドの奇蹟として私は今でも信じている。
聖母愛児園には最近出かけていないが、聖母の園はクリスマスミサなど、時たま訪ねて感謝のお祈りを捧げている。今私は、仏教と仏像写真をライフワークにしているが、カトリックについても関心が深く、数回にわたる海外旅行では必ずカトリック聖堂でお祈りをしてきた。私の場合は、キリストというよりマリア信仰に近いが・・・。
生みの親のことは、今のカミサンの気持を考えれば当然のことではあるが殆ど家族に話していない。昭和47年に亡くなってから、写真も飾らず、息子たちに語ることもなかった。ただひたすら供養と親の責任をまっとうしてきたつもりである。
今のカミサンは、17年間毎日仏壇にご飯をあげてくれている。亡くなったおふくろの面倒もみてくれたし、息子や嫁さんや孫たちにも好かれている。血はつながっていなくても、一途に、一生懸命である。息子も十分承知してくれている。ありがたいことである。
21/2/12
神田和泉屋乃 坐 (かんだ いずみやの くら)
東京都千代田区神田小川町2-8 神田横田ビル2F
営業時間 11:30~13:30 17:30~23:00
定休日 土曜・日曜・祝日
ホームページ
http://www.kanda-izumiya.com/
飲み屋のことを書くつもりが、ついつい私事の話になってしまった。
読み手のことを意識すれば、書かないほうがいいのかもしれない。
しかし、書かずにいられないときもある。 ご容赦願いたい・・・。
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