10歳頃のハチ 江ノ島にて
今朝の朝日新聞に、「年賀状のススメ」と題して3氏の意見が掲載されていた。意見は三者三様それぞれに興味深い内容。
95歳にもなる作家の佐藤愛さんは、年をとるにつれて、大切さがわかったという。だんだん友達が生きているか、死んでいるか分からなくなるでしょ。だから年賀状が届くと「ああ、生きててよかった」とおっしゃる。
74歳の私もまったく同感で、高齢者の年賀状のやりとりの最大のメリットと思っている。「終活」で年賀状をやめる人もいるが、互いに近況を綴ることで、何十年も会っていないのに親近感と安堵感が湧く。
しかしながら、そういう私も相手の手間を考えたり、もしものときの家族の手間を考えて、年賀状を大幅に減らそうかと思うことがある。その時は、佐藤愛さんも書かれていたように、この世での現役引退という、ほっとするような、悲しいような気持になるんでしょうね。
漫画家でコラムニストの辛酸なめ子さんは、なぜ幸せのビジョンが家族写真ばかりなのでしょう。「昇進しました」「マンションのローンを完済!」とかもあっていいのに。報告することがない私は、ここ十数年は皇室関連の漫画を描いています。年始に高貴な方々のお話しならおめでたいかなと思いまして。「楽しみです」と言ってくれる方々もいるそうです。 私の場合は、仏像写真家として評価してくれる方もたくさんいて、偶に会うと「仏像撮りに行ってる?」とよく聞かれます。
電通メディアイノベーションラボ副主任研究員の天野彬さんは、年賀状が生き残るうえで、お手本になるのは「手帳」です。スマホのスケジュールの機能で代用できるのに、今も変わらず売れています。手書きで手間がかかることが、逆に魅力になっているからです。年賀状もこんな風に、デジタルと紙、双方を楽しむという視点が必要ではないでしょうかという。 私も手帳を2冊書いていて、趣味のデジタル写真とともに、年賀状の近況報告の題材にも役立っています。
来年の年賀状の原稿作成や住所録の修正も終わり、あとは印刷するのみとなっているが、16年もハチの話題で続けてきただけに、ハチがいなくなって書くことが少なくなってしまった。我が家「ハチの家文学館」にとって、「柴犬ハチのひとり言」が人気だっただけに、ハチの存在感が如何に大きかったか、この時期も切実に感ずる次第である。
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