日日是好日とは誰もが知っている禅の言葉。しかし毎日がよい日だなんて誰も思ったりしないだろう。良い日もあれば悪い日もある。コロナ禍のいまは毎日が悪い日だ。
生きていれば、うまくいかない、喧嘩をする、失敗する、後悔する、涙を流す日だってある。そうした決して「よい日」とは呼べないような日もあるのが人生だ。しかし、そうであってもこの禅語を残した中国の僧侶、雲門文偃(うんもん・ぶんえん)は、やっぱり「日々是好日」であるという。山あり谷あり、浮き沈みがあるのが人生であると分かったうえで、それでもやっぱり毎日は好日であるという。
好日という言葉を「良い」「悪い」で受け取ることなく、食事する、散歩する、本を読むなど、日常の何気ない行為を「かけがえのない日」として好日と言うのかも知れない。何々と比較して良い日か悪い日かでなく、それぞれの行為自体の尊さを言っているのかもしれない。
「日日是好日」とは、日々、一瞬一瞬に徹して生きる、時間を無駄にしない毎日を送るという意味合いでもよく知られている。そういう意味では、いまの私には耳の痛い言葉になっている。
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