4 日間1380キロの車中泊の旅に疲れ果てたハチ
先月31日の日曜日から、3日間の予定でハチと一緒にクルマ旅に出かけたことを書きましたが、初日の福島・会津東山温泉で、郷里浜松の小学校のクラス会をしていたら、浜松でひとり住まいの弟が、自宅で倒れて亡くなっていたと突然の悲報。享年63歳、脳内出血だった。あんなに元気だったのに・・・。
翌日以降予定していた会津のお寺と、群馬・渋川カトリック修道院のシスターに訪問中止の連絡を入れて、翌朝自宅へUターン、雨中の東北道をひたすらハチと走った。途中工事渋滞や事故渋滞でかなりの時間を費やし、同じ日に伊香保温泉に行っていたカミサンと自宅で合流、わずか1時間足らずで準備を整え浜松へ出発した。東名でもひどい事故渋滞に遭って運転疲れも出てきたが、とにかく弟のことで頭がいっぱいだった。
弟には、愛知・安城に住む息子と浜松に住む娘がいて、亡くなる前日も娘と孫が遊びにきていた。亡くなった当日、和食処を経営する兄が弟の自宅と携帯に朝から何度電話しても出ないため、旅先の私にも「おかしいぞ!」と電話してきた。弟の娘も「昨日は元気だったよ」とのことであったが、まさかと思いつつ兄と弟の長男、娘が駆け付けたがすでに亡くなっていた。
つい先日、このブログで初めて兄弟のことを書いたばかりだった。ハチの家文学館「兄弟」http://blog.goo.ne.jp/goo3595628/e/31425b5155fb3947e182ce31728ebb4e
兄がひとり住まいの弟を気遣って、隔週割合で弟を呼び酒食を共にしていたが、亡くなったこの日、たまたま朝から電話を入れたとのこと。「兄貴助けてくれ!」という思いが伝わって電話させたのかもしれない。弟は一週間ほど前に会社を退職したばかりで、亡くなったまましばらく誰も気づかないこともあり得たが、その日のうちに発見できたのがせめてもの救いだった。
11月3日葬儀・告別式を終え息子たちと帰ってきたが、弟の死が未だに信じ難く、五人兄弟で残るはすぐ上の兄と私だけになってしまった。通夜の前日、兄の家で兄弟夫婦四人、朝の3時まで語り明かした。まさかの弟の死、三人一緒に健康で長生きしようと語りあったのは先々月の半ばである。その翌日、いつも一人で寂しかろうと弟の家に泊まった時が最後となってしまった。この時、弟から義妹の十七回忌の話を聞いたばかりで、誰かさん(私)と違って真面目によくぞまあ一人で頑張ってきたなと感心していた。
人間いつかは死というものがやってくる。お釈迦さまが言う四苦八苦の中の生老病死の死である。誰もが死にたくないと思う。死は怖い。しかし、やがて或いは突然に死はやってくる。今朝の朝日新聞に「死生観 本社世論調査」が載っていた。
「安らかに簡素に逝きたい」「孤独死が心配4割」「心の準備をしてから逝きたいが49%」「ある日突然に逝きたいが44%」などの調査結果に、弟の突然の死が重なって自分はどうなのかと考えてしまう。
前のカミサンが27歳で逝った時は、息子たちが大学を出るまでは死ねないと思ったし、その後は親父と同じ72歳までは生きたいと思った。再婚した時はカミサンや息子の家族のためにも長生きしなくちゃと思いつつ、せめて80歳までは生きたいと思うようになった。弟のように突然死もあり得るが、大事なことは一日一日を大切に生きること、これに尽きる気がする。 22/11/4
<柴犬ハチのひとり言>
お父さんもお母さんも、とても悲しんでいます。ボクもおじちゃんの枕元で最後のお別れをしました。いつだったか、おじちゃんの布団にもぐり込んで寝たこともありました。やさしくておもしろいおじちゃんでした。今度は天国でおばちゃんといっしょです。さびしくないよねおじちゃん。
お父さんはプライベートなこの記事を、公開していいものかとためらっていたようですが、思い切って「公開」のボタンをクリックしました。お父さんもお母さんも長生きしてね!
先月31日の日曜日から、3日間の予定でハチと一緒にクルマ旅に出かけたことを書きましたが、初日の福島・会津東山温泉で、郷里浜松の小学校のクラス会をしていたら、浜松でひとり住まいの弟が、自宅で倒れて亡くなっていたと突然の悲報。享年63歳、脳内出血だった。あんなに元気だったのに・・・。
翌日以降予定していた会津のお寺と、群馬・渋川カトリック修道院のシスターに訪問中止の連絡を入れて、翌朝自宅へUターン、雨中の東北道をひたすらハチと走った。途中工事渋滞や事故渋滞でかなりの時間を費やし、同じ日に伊香保温泉に行っていたカミサンと自宅で合流、わずか1時間足らずで準備を整え浜松へ出発した。東名でもひどい事故渋滞に遭って運転疲れも出てきたが、とにかく弟のことで頭がいっぱいだった。
弟には、愛知・安城に住む息子と浜松に住む娘がいて、亡くなる前日も娘と孫が遊びにきていた。亡くなった当日、和食処を経営する兄が弟の自宅と携帯に朝から何度電話しても出ないため、旅先の私にも「おかしいぞ!」と電話してきた。弟の娘も「昨日は元気だったよ」とのことであったが、まさかと思いつつ兄と弟の長男、娘が駆け付けたがすでに亡くなっていた。
つい先日、このブログで初めて兄弟のことを書いたばかりだった。ハチの家文学館「兄弟」http://blog.goo.ne.jp/goo3595628/e/31425b5155fb3947e182ce31728ebb4e
兄がひとり住まいの弟を気遣って、隔週割合で弟を呼び酒食を共にしていたが、亡くなったこの日、たまたま朝から電話を入れたとのこと。「兄貴助けてくれ!」という思いが伝わって電話させたのかもしれない。弟は一週間ほど前に会社を退職したばかりで、亡くなったまましばらく誰も気づかないこともあり得たが、その日のうちに発見できたのがせめてもの救いだった。
11月3日葬儀・告別式を終え息子たちと帰ってきたが、弟の死が未だに信じ難く、五人兄弟で残るはすぐ上の兄と私だけになってしまった。通夜の前日、兄の家で兄弟夫婦四人、朝の3時まで語り明かした。まさかの弟の死、三人一緒に健康で長生きしようと語りあったのは先々月の半ばである。その翌日、いつも一人で寂しかろうと弟の家に泊まった時が最後となってしまった。この時、弟から義妹の十七回忌の話を聞いたばかりで、誰かさん(私)と違って真面目によくぞまあ一人で頑張ってきたなと感心していた。
人間いつかは死というものがやってくる。お釈迦さまが言う四苦八苦の中の生老病死の死である。誰もが死にたくないと思う。死は怖い。しかし、やがて或いは突然に死はやってくる。今朝の朝日新聞に「死生観 本社世論調査」が載っていた。
「安らかに簡素に逝きたい」「孤独死が心配4割」「心の準備をしてから逝きたいが49%」「ある日突然に逝きたいが44%」などの調査結果に、弟の突然の死が重なって自分はどうなのかと考えてしまう。
前のカミサンが27歳で逝った時は、息子たちが大学を出るまでは死ねないと思ったし、その後は親父と同じ72歳までは生きたいと思った。再婚した時はカミサンや息子の家族のためにも長生きしなくちゃと思いつつ、せめて80歳までは生きたいと思うようになった。弟のように突然死もあり得るが、大事なことは一日一日を大切に生きること、これに尽きる気がする。 22/11/4
<柴犬ハチのひとり言>
お父さんもお母さんも、とても悲しんでいます。ボクもおじちゃんの枕元で最後のお別れをしました。いつだったか、おじちゃんの布団にもぐり込んで寝たこともありました。やさしくておもしろいおじちゃんでした。今度は天国でおばちゃんといっしょです。さびしくないよねおじちゃん。
お父さんはプライベートなこの記事を、公開していいものかとためらっていたようですが、思い切って「公開」のボタンをクリックしました。お父さんもお母さんも長生きしてね!
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